書評
『銀座カフェ・ド・ランブル物語―珈琲の文化史』(阪急コミュニケーションズ)
コーヒーとワインの共通点って何
ワインが上手に寝かせれば寝かすほどおいしいことは知っていたが、コーヒーもそうだとは思いもよらなんだ。この本『銀座カフェ・ド・ランブル物語』(TBSブリタニカ)の主人公の関口一郎さんは、コーヒーの生豆の貯蔵庫を自宅に持っていて、そこに二十三年前に手に入れたマタリ(豆の品種)をはじめ、新しいところでは、三、四年のキプーやトラジャ・アラビカなどを貯め込んでいる。ワインと同じで、良い産地と悪い産地があり、良い産地でも年によって出来不出来の差があるから、おいしいコーヒーをインスタントじゃなくてコンスタントに飲もうと思ったら、これぞというのが市場に出たら思いきって買い込み、それを寝かせて”枯れ工合”を整えてから使う。同じ袋の豆でも枯れ工合が粒ごとにちがうので、すぐに使うと味にムラが出てしまうからだ。
関口さんが自分の舌のためだけにこんな努力をしているのだったら、そんな話勝手にしろだが、こうして選りすぐり貯め込んだ豆を焙煎して他人に飲んでもらうのがうれしくて、昭和二十三年以来、銀座で「カフェ・ド・ランブル」の経営を続けて半世紀、今年で七十六歳になるというのだから、食い物のウンチク譚に付きものの裾の汚れた感じなしに読める。
この本は、自分も喫茶店を経営する劇作家の森尻氏が日本のコーヒー界の伝説の人物を初めて描いた本である。
いわばコーヒー界の名人伝なのだが、この名人は他の業界とちがい最初からプロを目ざしたわけではないらしい。早稲田の理工を出た後、映写機製造業などをしていたが、おいしいコーヒーを飲みたい一心で工夫を重ね、友だちに飲ましているうちに、ついに請われるまま映写機工場を改造して喫茶店経営に乗り出してしまったという。
喫茶店の経営者というのは生きる姿勢になんか謎めいたところがあって、最初から意図してこの道に入ったというより途中乗車の感じをカウンターの向こうで漂わせているものだが、関口さんもその口だったらしい。
さて、途中乗車から始まって五十年間、関口さんは他の多くの経営者のように途中下車することなく、豆の吟味から焙煎、抽出とコーヒー技術に改良を重ね、関口流とでもいうべきいれ方を確立するらしいが、そして著者は、そのいれ方の奥深さを微細に描写してくれるのだが、残念ながら僕はコーヒーはほとんど飲まないので、“アッ、この描写のところで、好きな人は香りがプンと鼻にくるんだろうナ”と思うに留まる。
そんな僕でも関口さんの偉さが実感できるエピソードが一つあった。それは例のアイスコーヒーのことである。あの飲み物は最初はなかなかいいが、途中で話しこんだりして時間をおいてから口にすると氷が溶けて水っぽくなってしまう。たいていの人はそういうものなんだと思って気にかけもしないが、名人はコーヒーの名誉のためになんとかしようと考えた。だんだん水っぼくなるコーヒーなんてがまんがならないのだ。
あなたならどうしますか? 答えは次のカッコの中。
(るれ入をーヒーコたっ凍にりわ代の氷)(4・13)
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