再読三読『芸術を愛する一修道僧の真情の披瀝』
ヴァッケンローダーはわずか二十五歳で夭逝したが、ドイツ浪漫派の精神そのものといってよい人である。枢密顧問官だった厳格な父親の意向で、法律家への道を歩まざるをえなかったが、その彼を支えたのは学友ルートヴィヒ・ティークの篤い友情と、ドイツ中世芸術、イタリア・ルネッサンス芸術に対する、あくなき憧憬の念だった。ドイツ浪漫派は、フィヒテやシェリングの哲学、シュライエルマッヒェルの宗教学などを取り込みながら、ヴィルヘルムとフリードリヒのシュレーゲル兄弟が中心になって理論を構築、提唱し、運動を展開した文芸思潮である。ヴァッケンローダーは、そうした流れに乗るタイプではなかったし、またその立場にもなかったのだが、シュレーゲル兄弟の全仕事に匹敵するほどの強い刻印を、ドイツ文学史上に残した。
それは『芸術を愛する一修道僧の真情の披瀝』(岩波文庫)を一読すれば、よく分かる。ヴァッケンローダーには、父親の意にそむいてまで文学、芸術の道へ進むだけの勇気がなかったため、この処女作は匿名で出版された。実際には、ティークの筆も少なからずはいっているらしいが、ともかくここにあふれるアルブレヒト・デューラーやラファエロ、ミケランジェロなどに対する、ナイーブといってもよいほどの熱い想いは、浪漫派の本質を何よりも雄弁に物語っていよう。
こうした志向は、ギリシャ古典芸術に範を求めた、ヴィンケルマンやレッシングの古典主義に対する、きわめて個人的な抵抗であったろう。ヴァッケンローダーに、それを一つの運動として盛り上げようとする強い意志は、おそらくなかった。むしろその成果は彼の死後、遺志を継いだティークがシュレーゲル兄弟の運動に接近することによって、初めて統合されたとみてよい。もっともシュレーゲル兄弟は、ヴァッケンローダーが避けたギリシャ、ローマの古典研究から出発しているので、かならずしもたどった道は重ならない。その橋渡しをしたのは、よくいえば柔軟な発想の持ち主だった、ティークの功績といえるだろう。
この本の最後に、「音楽家、ヨゼフ・ベルクリンゲルの注目すべき音楽生活」の章がある。遺稿『芸術幻想』の中の「ヨゼフ・ベルクリンゲルの数編の音楽論稿」とともに、ヴァッケンローダーがベルクリンゲルに仮託して、自己の真情を吐露した貴重な告白である。これらの断想を読むと、月並みな言い方だが、人はパンだけでは生きられないことを、改めて思い出させてくれる。
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