絶望のなかで生きる困難
イスラム過激派のテロが繰り返し報じられる。何とかならないのか。《こうした事態に慣れて……忍耐》するしかない、と著者は言う。この世界がテロを生み出すのだから、テロだけをなくすことはできないのだ。著者コスロカヴァール氏はイラン出身、フランスで活躍する社会学者だ。イスラムの思想に詳しく、刑務所で長期の聞き取り調査も行なった過激派研究の第一人者である。
かつて、アナキストもマルクス主義者も過激派だった。この世界が不正で他に方法がないとき、テロは最後の手段だ。イスラム過激派の背景はなにか。
まず現代は、植民地の負の遺産が残るポスト・コロニアリズムの時代だと著者は言う。労働者不足のフランスは一九六○年代、旧植民地から大量の移民を受け入れた。その二世、三世が都市近郊でくすぶっている。イスラム系は人口の八%なのに、受刑者の半数を占める。植民地でなかったトルコなどから移民を受け入れたドイツに比べ、フランスは問題が深刻なのだ。
ライシテ(政教分離)がこれに輪をかける。カトリックを打倒して成立したフランス共和国は、公共の場に宗教の徴(しるし)が現れるのを禁じる。少女がスカーフを被(かぶ)って登校するのも禁止。欧米で主流の多文化主義と反対の「ライシテ原理主義」が、イスラムの誇りを傷つけている。
そのいっぽう、ウェブですぐイスラムの思想にアクセスできる。イスラム世界は傷めつけられている。イスラエルの横暴、アメリカの軍事介入、専制的な政権、シーア派とスンナ派の対立、アラブ民族主義の挫折、世俗主義の浸透。今こそイスラムを復興し、ネオ・カリフ制を目指すべきだ。そんなメッセージが若者の心を掴(つか)む。
そこでISに加わろうと、十代、二十代の若者が現地に出向く。最初は過激派とは言えない。現地で訓練を受けると、筋金入りのジハード主義者に変わる。帰国すれば本物の危険分子だ。ほかにも、刑務所で感化されたり独りで過激になったりするケースがある。
テロ集団は刻々、姿を変えている。9・11以後、アルカイダはゆるいネットワークに移行した。いまやテロはほとんど、数人の小グループか単独犯だ。事前の検挙がむずかしい。代わりに被害も小規模で済んでいる。こういう状態があと何十年も続くと覚悟すべきだという。
もうひとつ大事なのは、テロとイスラム原理主義を混同しないことだ。テロリストは、ジハード主義者だ。彼らは初めのうち、ヒゲをたくわえ、イスラム法に忠実な原理主義を装った。外見が似ているので、人びとはイスラム恐怖症になった。だが最近彼らは、外見から気づかれぬよう、一般人を装っている。まっとうな原理主義をテロリストと勘違いしたのでは、テロリストの思うつぼである。
ジハード主義者は、例外的少数者だが、必ず現れる。失業や生活苦、二流市民にされた憤懣(ふんまん)を、世界の矛盾と重ね合わせ、ある日イスラムの戦士となる。孤立しながら犯行を準備し、死を恐れず人びとの命もためらわず奪う凶悪犯、と報じられて満足する。裏返しの承認欲求だ。彼らを脱過激化するプログラムを用意すべきだが、難しい。
本書が描き出すのは、グローバリズムのきしみに世界の片隅で人びとが悲鳴をあげ、絶望のなかで生きようとする困難である。テロリストが死にこだわるのは、ほんとうは生きたいからであろう。「怪物」の貌(かお)の裏側に、人間の顔をしたふつうの若者をみとめる、著者の温かな視線がせめてもの救いである。(池村俊郎、山田寛訳)