風を孕み滑走する不揃いな結晶たち
奥泉光の創作技法には毎作大きな驚きがあるが、『雪の階(きざはし)』の壮大な試みには度肝を抜かれた。作者はこの傑作において、最高度に洗練された小説文体のあり方を提示した。物語としては、二・二六事件前夜のオルタナティヴ・ファクト(あり得たかもしれない真相)が浮き彫りになる。男女の死の謎を解くミステリであり、二大戦間の政情を背景にした政治サスペンスであり、日本、ドイツ、ソ連をめぐるエスピオナージ(諜報(ちょうほう)もの)であり、史実をモデルにした歴史小説でもあり、そのうえ、胸キュンの恋愛小説でもある。
而(しか)してその真の姿は? これらの小説スタイルの批評的擬態、はたまた、日本にもギリシャにもエジプトにも――世界中に――見られる、「異能のきょうだいによる天地開闢(かいびゃく)と統治」という神話アーキタイプの現代的展開と言えるかもしれない。
幕開けは、日本が軍需景気にわく一九三五年(昭和十年)。「天皇機関説事件」や、「相沢事件」が起き、国体明徴声明が二度発せられた。
そんな年の四月、本作では、樹海で女学生と陸軍将校の死体が発見され、情人同士の心中とみなされる。女性は天皇機関説を主導する大学教授の娘、男性は急進的皇道派の中尉。この心中説に強い疑いをもち捜査に乗りだすのが、美しき伯爵令嬢で天才的碁打ちの「笹宮惟佐子(いさこ)」だ。父はヒトラーに心酔する国粋主義者にして(どうやら)二流の策士だが、娘はずば抜けた頭脳とリベラルさをもつ。この深窓の探偵の補佐役に、少々そそっかしいが行動力のあるフリーカメラマンの女性がつき、さらに彼女の助っ人として、取材力のある新聞記者の男性が加わり、恋愛模様を展開する。
惟佐子は来日中の高名なドイツ人ピアニストから、じきじきに日本の案内役を頼まれる。熱心な奥泉読者なら、「心霊音楽協会」所属のこのピアニストが弾く「ピタゴラスの天体」が先行作に出てきたのを思いだすだろう。彼の奇妙な依頼の裏には、惟佐子の伯父で欧州に行ったきり消息不明の「白雉博允(はくちひろみつ)」の存在があった。一体その目的とは……?
武田泰淳の『貴族の階段』を踏まえ、松本清張の“時刻表ミステリ”へのオマージュも。また、一人の女性をめぐる二人の男性の行動と死には、作者が最も影響を受けた漱石の『こころ』の構図も見え隠れする。
反機関説勢力は当然、一枚岩ではなく、思惑が入り乱れる。一君万民、特権階級の廃絶を唱える急進派もいれば、権力の中枢にすり寄って甘い汁を吸おうとする華族や資産家もいる。ここにゴットメンシュ(神人)の血筋を支配層とすべく皇室の転覆を目論(もくろ)むマッドな優生論者が……。
作者が本作で初めて採用した「三人称複合多元視点文体」は、たんに一人称的な内面視点を並列したものではなく見事だ。作中、ヴァージニア・ウルフへの目配せがあるが、かの人もかくやという自在さ。ときには助詞ひとつで視点が切り替わり、語り手から作中人物へ、さらには幾人もの人物の間を「目」が行き来するスリル。時空を超えて、相対すはずのないふたりが言葉を交わす(かに見えたりする)。後半までヒロインの心の内が見えないのもいい。他人への反感も共感もないエンパシー・ゼロの惟佐子を囲み、人々の声が生で反響しあう。だからこそ、終盤で、「もし雪が球体ならばもっと規則正しく運動するだろう。だが雪の結晶は複数が絡まり合い、不揃(ふぞろ)いな鳥の形をなすがゆえに風を孕(はら)んで滑走するのだ」という彼女の内なる声が響いてきたときの感慨は深い。そして、これはまさに本作を評する言葉に他ならないと気づくのだ。