書評
『ウィリアム・モリス伝』(晶文社)
裏面物のカタルシス不足
偉大な人物が亡くなった後の、スタンダードなオフィシャル・バイオグラフィーは、しばしば当の人物のマイナス面をかくすために書かれたかのように、書かれることがある。関係者がまだ存命中ということも理由の一つだろう。ウィリアム・モリスの場合も、遺族友人に近い立場のJ・W・マッケイルによる、いくつかのカードを伏せて書いた伝記がモリス像を定着してしまった。伏せたカードの一枚に、たとえばモリス夫人ジェイン・バードとロセッティとの恋愛関係、あるいはこれにモリス自身がまきこまれて形成された三角関係がある。しかし一九六四年にロセッティのジェイン宛の手紙が解禁されると秘密は公然化した。本書は、そのロセッティ書簡解禁以後のモリス伝である。かくされた犯行、埋められた宝物があらかじめあって、それをあばき、掘り出す。となれば、イギリスお家芸の探偵小説、冒険小説の書法が思いあたる。実際、次つぎに新事実があらわれてきて、わくわく、ひやひやさせられる。あの神秘的なジェイン・バードは、貸馬車屋の娘ではなくて、馬丁の娘だった。モリスの長女の持病は癲癇で、次女は不幸な結婚にやぶれたあと、女ともだちと同棲していた。モリス自身は、わざわざロセッティと妻ジェインの愛の巣にするためにでもあるかのようにケルムスコット・ハウスを設営するという、奇怪なマゾヒスト役を演じた。
要するに、ヴィクトリア時代の偽善的なモリス像の仮面の背後には、どろどろした性や病気や無意識にさいなまれるモリスがいて、聖化された家庭生活も、社会主義者としての政治活動も、よほど事実とはちがう、ということになる。ここまでは、一種のヴィクトリアン・アンダーグラウンドの暴露物として、いささか後ろめたい興味につられて読める。
しかし事実というものは、そこだけに光線を当てすぎると、しばしば嘘になりかねない。家庭的スキャンダルに焦点がしぼりこまれると、モリスの他の活動がぼけてくる。とりわけ装飾芸術家としてのあれほど多彩だった活動の記述が、手うすにならざるをえない。
もっとも、これは全体的なモリス研究ではなくて、あくまでも伝記だといわれればそれまでである。そういうものを読みたければ、たとえば手近に故小野二郎氏のモリス研究がある、と訳者解説にもある。たしかにおもしろすぎる読み物を読んだあとには、毒消しを飲んでおいたほうが無難のようだ。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 1990年5月27日
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