現代日本映画から観る、日本映画の日本性……
日本人がアメリカやフランスの映画ばかりを観て、東南アジアや東アジアを無視していることに、四方田は苛立っている
戦前と戦後で、日本人の意識がもっとも変わったのがどこかと言えば、あるいはそれはアジアへの帰属意識かもしれない。戦前、朝鮮半島や台湾、満州に植民地を持っていた日本は、良くも悪くも日本がアジアの一部だということを意識していたし、広大なユーラシア大陸に向ける想像力があった。だが、すべての植民地を失い、アメリカの占領下に置かれた戦後、日本人は自分の島国性を必要以上に意識するようになったのではないだろうか。それは同時に日本がアジアの一部であることを都合よく忘却してしまうことでもあった。映画評論家・四方田犬彦の苛立ちは、ひとつにはそこから生まれているのではないだろうか。多岐にわたる著作を持つ四方田だが、その大きな部分を占めているのがアジア大衆映画の研究である。『電影風雲』(93年白水社)では香港ニューウェーブや台湾新電影など80年代から90年代にかけて同時発生的に絶頂を迎えた東アジア映画の新潮流を紹介するいっぽうで、『怪奇映画天国アジア』(09年白水社)ではインドネシア、タイ、マレーシアなど東南アジアのホラー映画を研究し、さらにはブルース・リーについての著作もある。映画が大衆文化であるなら、その中心は本来ホラーやアクション、大衆的メロドラマでなければならない。そして、同時に政治経済歴史的な影響を考え合わせなければならない。日本人がややもすればフランスやアメリカの映画ばかりを観て、東南アジアや東アジアを無視していることに、四方田は大いに苛立っている。
本書は四方田犬彦の日本映画についての本である。現代日本映画と、映画批評にまつわる原稿を集めたものだ。そこでもちろん最大の問題になるのは日本映画の日本性、誰もが無邪気に自明のものとしている日本性についてである。四方田は日本映画における「他者」の存在を論じる。たとえば在日朝鮮・韓国人という「他者」は日本映画においてどのように表象されてきたのか。それは過剰に理想化されるか、さもなくば存在そのものを認められないかのいずれかになってしまう。日本映画において、まったき異物は排除されてしまうのである。あるいは日本映画研究について。「日本映画」を研究しようとするとき、映画本来が抱いている越境性は都合よく無視されてしまっていないだろうか。『ゴジラ』(54年)がフィリピンで自国スターの出演場面をつけて大ヒットを飛ばしたことを思い出すべきではないか。あるいは『シン・ゴジラ』(16年)がどこまでも日本向けの、「日本人にしか理解されず、日本人だけが共感を示すフィルムである……日本文化の自足構造を再確認することだろう」と痛撃する一文。
そうした議論はいずれも興味深い。だが、本書の最大の読みどころはそこではなく、日本映画批評特有の問題について触れているところである。つまり、蓮實重彦の抑圧だ。
四方田犬彦は蓮實重彦の弟子筋にあたるが、そのエピゴーネンとなることを拒み、独自の映画批評言語を探してきた。それだけに、これまでも直接的にも間接的にも日本の映画批評における蓮實重彦の大いなる影響と、それがいかに抑圧として働いてきたかについて語っている。本書で何よりも面白かったのは「『東京物語』の余白に」と題されたエッセイである。四方田は小津安二郎の名作『東京物語』(53年)において、笠智衆が住む尾道の埠頭の風景から戦後生まれたスラム街が排除されたことを指摘する。小津から12年後、ドキュメンタリー作家の土本典昭はそのスラムが実際に排除されるさまを『ノンフィクション劇場 市民戦争』(65年)で描いた。小津は自分の美学を優先してこの醜いスラムを消し去ったのだと四方田は言い、
小津安二郎と土本典昭を同時に映画として愛すると、軽々しく口にすることはできない……この二人の監督の姿勢の根源的な対立を、映画という抽象的な表現のもとに回避し、あたかも両者が映画共和国の仲よき隣人であるかのように語ることは、誤っているばかりか偽善的でもある……小津と土本を同時に愛することはできない。
と断言する。「小津を海外で再発見する人たち」への痛罵を含め、四方田がどちらの側に立っているかは、本書の表紙が土本が撮りつづけた水俣の海であることからもあきらかだ。やがて書くことが予告されている小津論は、かならずや蓮實重彦の語った小津からの決別を告げる1冊になることだろう。なお、同時に告知されている内田吐夢論は純粋に読んでみたい思いに駆られる。