書評
『機関銃の社会史』(平凡社)
「突撃」の合図とともに、一斉に塹壕(ざんごう)を飛び出し、鬨(とき)の声をあげながら銃剣を突きたてて突進する兵士たち。やがてカタカタという機関銃の乾いた音が響き、兵士が一人また一人と倒れてゆく。後にはただ、累々と重なる死体の山また山。戦争映画でおなじみのこうした戦場のイメージは、本書によれば、じつは機関銃という初の近代的な武器を巡る新旧の戦争観の対立を象徴する光景だったという。
十九世紀の中頃、人手不足を背景に発達したアメリカ工作機械産業によって生みだされた機関銃は、まず南北戦争でその威力を発揮したが、ヨーロッパ列強の軍隊で正式に採用されるまで思っているよりもはるかに長い時間を要した。というのも、将校の多くが貴族階級の出身者によって占められるヨーロッパの軍隊においては、戦争とは、あくまで勇気、決断力などの精神力の戦いであり、訓練された歩兵の銃剣をもってする突撃にまさる武器はありえないと考えられていたからである。
しかし、その一方で、アフリカなどの植民地で少数の白人の軍隊が多数の土着民軍を敵にまわして戦う戦闘において、機関銃はとてつもない威力を発揮していた。イギリスのアフリカ植民地の獲得は、ガトリング銃やマキシム銃を抜きにしては考えられないものだった。それは戦争ではなく、虐殺だった。二十世紀初の近代戦である日露戦争では、旅順港攻防でロシア軍の機関銃は、乃木軍を相手にその威力をたっぷりと見せつけたが、これは敵が東洋人だったからと考えることもできる。
だが、それでもまだヨーロッパの将軍たち、とりわけ英仏の将軍たちは、勇気ある歩兵の突撃は、ドイツ軍の機関銃に数段まさると信じていた。その結果、第一次世界大戦においては、塹壕戦で戦争が長期化すると同時に戦死者は従来とは比較にならぬおびただしい数に達した。こうして十九世紀の精神主義的戦争観は葬り去られ、二十世紀のメカニカルな戦争観が誕生することとなる。機関銃の出現は、あきらかに世界を変えたのである。
【この書評が収録されている書籍】
十九世紀の中頃、人手不足を背景に発達したアメリカ工作機械産業によって生みだされた機関銃は、まず南北戦争でその威力を発揮したが、ヨーロッパ列強の軍隊で正式に採用されるまで思っているよりもはるかに長い時間を要した。というのも、将校の多くが貴族階級の出身者によって占められるヨーロッパの軍隊においては、戦争とは、あくまで勇気、決断力などの精神力の戦いであり、訓練された歩兵の銃剣をもってする突撃にまさる武器はありえないと考えられていたからである。
しかし、その一方で、アフリカなどの植民地で少数の白人の軍隊が多数の土着民軍を敵にまわして戦う戦闘において、機関銃はとてつもない威力を発揮していた。イギリスのアフリカ植民地の獲得は、ガトリング銃やマキシム銃を抜きにしては考えられないものだった。それは戦争ではなく、虐殺だった。二十世紀初の近代戦である日露戦争では、旅順港攻防でロシア軍の機関銃は、乃木軍を相手にその威力をたっぷりと見せつけたが、これは敵が東洋人だったからと考えることもできる。
だが、それでもまだヨーロッパの将軍たち、とりわけ英仏の将軍たちは、勇気ある歩兵の突撃は、ドイツ軍の機関銃に数段まさると信じていた。その結果、第一次世界大戦においては、塹壕戦で戦争が長期化すると同時に戦死者は従来とは比較にならぬおびただしい数に達した。こうして十九世紀の精神主義的戦争観は葬り去られ、二十世紀のメカニカルな戦争観が誕生することとなる。機関銃の出現は、あきらかに世界を変えたのである。
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