自著解説

『胃袋の近代―食と人びとの日常史―』(名古屋大学出版会)

  • 2018/10/23
胃袋の近代―食と人びとの日常史― / 湯澤 規子
胃袋の近代―食と人びとの日常史―
  • 著者:湯澤 規子
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(354ページ)
  • 発売日:2018-06-26
  • ISBN-10:481580916X
  • ISBN-13:978-4815809164
内容紹介:
一膳飯屋、残飯屋、共同炊事など、都市の雑踏や工場の喧騒のなかで始まった外食の営みを活写。社会と個人とをつなぐ“食”の視点から日本近代史を書き換える。

『胃袋の近代』刊行によせて 湯澤規子

なぜ、「人々」ではなく、「人びと」なんですか?

その日初めて私の研究室を訪ねてきた学生は、できたばかりの本の表紙を見てそう言った。正鵠を射る、とはこのことである。

私は今から約100年前、「近代」とよばれる時代の都市の街路や市場(いちば)の雑踏、田んぼの畦道や大根畑の脇道を歩き、新しく登場した織物工場や寄宿舎にもぐり込み、そこを行き交う人びとの声や足音、工場の喧騒に耳をすませ、絶えず鼻をつく食べものや汗や土のにおいをかぎ、時に彼らと寝食を共にした。と書くと、大げさに聞こえるかもしれない。また、学術研究をする身としては、あまりにも客観性に欠けると批判されるかもしれない。

しかし、膨大な史料に埋もれながらその解読に没頭する過程で、また、フィールドを歩き、喜怒哀楽に彩られた多くの人の昔語りに耳を傾ける中で、私は「確かに今、100年前の人びとと共にいて、その雑踏の中に身を置いている」、と思わずにはいられない瞬間を幾度となく経験することになった。これが歴史を「追体験する」ということなのだろう。おそらく、今後の研究人生の中でこのような経験をすることはもう二度とない、とさえ思える、貴重で不思議な体験であった。

そのような体験のなかで、私には、「近代という時代を行き交う雑踏のなかには実にさまざまな人びとがいて、誰もが時代の担い手」(本書3頁)であるように思えてならなかった。冒頭の問いに戻れば、人々の「々」は「同じ」、あるいは「くりかえし」という意味であるため、「さまざまな人」、かつ彼らのそれぞれが近代という舞台に立つ唯一無二の固有の存在であると言うためには、「々」ではなく、あえて「びと」とする必要があったのである。タイトルを印象付ける「胃袋」という言葉と同じくらい、いやじつはそれ以上に、私はサブタイトルにさり気なく佇む「人びと」という言葉に意味を込めた。「人びと」という言葉は、本書に登場し、交錯する、じつに多様で豊かな人生をみずみずしく、かつ躍動的に描くためには欠かせない、本書の底流となる重要な水脈なのである。

こうして五感を研ぎ澄ませて知り得たさまざまな事象が徐々に、しかし、くっきりと像を結び始めた時、それがまるでひと続きの物語のように見えてきたことも、私にとってはさらなる驚きであった。この像がほどけてしまいませんように……、と祈るような気持ちで夢中で書き留めた内容の全貌が本書、『胃袋の近代――食と人びとの日常史』である。

はじめは何の関係もないように見える事象、別々の場所で出会った史料、活躍の場も立場も異なる人びとの人生や志が思わぬところで結び合い、共鳴し合うことになったのは、本書が人間の多様性への理解に重きを置く一方で、「胃袋」という誰もが持っている身体の一部に着目し、誰もが経験している「食べる」という行為を、歴史を描く視点に据えたからだと思えてならない。その意味で、「胃袋」から、つまり「食べること」から歴史を描くことは、歴史学の一つの可能性と新しい方向性をあわせ持っているといえる。しかし、そうだとするならば、なぜ、これまで胃袋から見た歴史は存在しなかったのだろうか。

それは「食べること」があまりにも当たり前の日常の出来事であるがために、とりたてて記録され、論じられることがほとんどなかっただけでなく、経済活動の中でも生産活動への注目に偏ってきたこれまでの研究のなかでは、生活をめぐる諸事象は歴史化されないまま残されてきたからである。しかし、幸運なことに、近代という時代には、急速に拡大する都市へと集まる労働者たちの胃袋を満たすための集団喫食のシステムや、食料の体系的な生産と流通のしくみが整えられたために、それに関わる史料が各地に残されるようになった。つまり、歴史を描くうえで「食べること」に注目することは重要である、と自覚できさえすれば、史料がおのずと語りだす準備はできていたのである。

食べることは人間にとって、最も重要かつ日々逃れられない性(さが)のひとつである。それはいかに飽食の時代になろうとも変わることがない。本書ではそれを注意深く見つめることで、私たちが「生きる」とはどういうことかを考えようとした。そのために、「食べる」というよりは「喰らう」というニュアンスに近い庶民の胃袋をめぐる経験と風景から、人びとの生きる姿と彼らの悲喜こもごもを、世相との関わりのなかで描いてみたつもりである。

その結果、胃袋から歴史をひもとくことは過去を知るということにとどまらず、私たちが生きる現代とその先の未来を考えることにもつながった。「食べるという行為は極めて『個人的』なものにみえて、じつは同時に極めて『社会的』なものなのである」(本書268頁)ということに気づき、「食べることに、本能としての食欲の充足以外の意味を付与するのは、人間が手に入れた一つの可能性である」(本書268頁)ということができたのは、歴史を学び、追究することが、自分以外の誰かを深く理解しようとする試みであるからにほかならない。過去の人びととの対話は、生きる世界や価値観の選択肢は決して一つではない、と気づくきっかけとなり、それは自分自身や現代を問い直す行為へとつながる。「誰が胃袋の心配をするのか」という問いに対しても、本書で描いた過去の出来事や人びとの実践に照らせば、私たちがこれまで考えてきた以上に柔軟で豊かな議論が展開できるかもしれない。

なぜ「人びと」なのか、と問いかけてくれた学生たちと一緒に、そして、本書を手にとってくださった皆さまと本書を囲み、「胃袋」から見えてきた歴史を通してこれからいったいどんな議論が展開するのか、皆さまの人生と本書がどのように共鳴し合うのか、それにじっくりと耳を傾けることが今からとても楽しみである。

[書き手]湯澤規子(ゆざわ・のりこ)
1974年、大阪府生まれ。現在、筑波大学生命環境系准教授。
胃袋の近代―食と人びとの日常史― / 湯澤 規子
胃袋の近代―食と人びとの日常史―
  • 著者:湯澤 規子
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(354ページ)
  • 発売日:2018-06-26
  • ISBN-10:481580916X
  • ISBN-13:978-4815809164
内容紹介:
一膳飯屋、残飯屋、共同炊事など、都市の雑踏や工場の喧騒のなかで始まった外食の営みを活写。社会と個人とをつなぐ“食”の視点から日本近代史を書き換える。

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初出メディア

名古屋大学出版会ウェブサイト

名古屋大学出版会ウェブサイト 2018年6月29日

名古屋大学出版会は、名古屋大学をはじめ中部地方の各大学における研究成果である学術図書の刊行を行い、中部地方の、さらにはわが国の学術文化の振興に寄与することを目的として、1982年6月に任意団体として設立、その後1985年に財団法人となり、現在に至っています。

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