書評

『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房新社)

  • 2018/10/24
ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来 / ユヴァル・ノア・ハラリ
ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来
  • 著者:ユヴァル・ノア・ハラリ
  • 翻訳:柴田 裕之
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(280ページ)
  • 発売日:2018-09-06
  • ISBN-10:4309227368
  • ISBN-13:978-4309227368
内容紹介:
我々は不死と幸福、神性をめざし、ホモ・デウス(神のヒト)へと自らをアップグレードする。そのとき世界は、あなたはどうなるのか?

新しいタイプの預言者の出現か

預言者らしき人が登場するのは、平穏な時代ではないだろう。なにも内乱や戦争ばかりではなく心の穏やかさが感じられないのだ。それも千差万別だろうが、そう感じる人々がかなり多いにちがいない。

著者Y・N・ハラリはヨーロッパ中世史・軍事史を専攻し、イスラエルのヘブライ大学で教鞭(きょうべん)をとる少壮の歴史家である。なによりも前作『サピエンス全史』で一世を風靡(ふうび)したので記憶に新しい。

これまで人類は飢饉(ききん)、疫病、戦争に悩まされてきた。だが、20世紀末には、飢饉よりも肥満で死ぬ人が多く、疫病よりも老化で、戦争よりも自殺で亡くなっているという。これらの三大苦を少なくとも先進諸国はほぼ克服したと言っていい。

そうであれば、人類はどこに向かうのだろうか。これまで人類の課題はマイナスをゼロにすることだったが、それがほぼ実現したからにはプラスを目指すようになる。そこで目標となるのが、不死と至福と神性であるという。若さを保つための老化防止(アンチエイジング)の動き、不安のない豊かな生活、現生人類の能力を凌(しの)ぐ超人などを想像すれば、「デウス(神)たるホモ(人)」を描く著者の議論には具体性がある。預言者を気取っているわけではないが、著者はあくまでその可能性がかなり高いと語るのだ。ここに本書の主題がある。

近代以前の人類は自然と人間界の出来事をすべて神々あるいは神の思(おぼ)し召しだと思っていた。だから、犠牲を捧(ささ)げ、祈りを重ねて、荒ぶる神の心を鎮め災厄が降りかからないように努めてきた。病気になれば神の機嫌を損ねたと信じ、落雷にでもあえばまさしく天罰であった。要するに、真の原因を探求する姿勢がほとんどなかったのである。

ところが、17世紀に始まる科学革命は、そのような人類の宿命を一変させることになる。リンゴが木から落ちるのは、神の定めではなく、万有引力の法則があるからである。科学革命の最大の成果は、聖典や古伝承を重んじなくなったというよりも、「無知の発見」なのである。

それまで、人間にとって資源とは原材料とエネルギーの二つであった。だが、土地の開発が進み、農作物が増大し、工業製品も増産されたが、そこには限りがあった。石炭、石油などのエネルギー資源もいつかは尽きる宿命にある。それに生態環境の崩壊という忌まわしい試練が待ち構えている。明るい未来は望めそうにないと絶望したくなる。

しかしながら、われわれは今や第三の資源に気づき、それを最大限に活用しつつある。それこそ「知識」なのであり、それには限りがないのだ。すべては全能の神が決定するのではなく、人間は世界を思いどおりに作り変えることができる。動物のなかで特別な存在であるばかりでなく、人間の生命、心、意識、意志ほど尊いものはないと考えるようになった。これは人間至上主義ともよべるものであり、一種の宗教と言ってもよい。

哲学者ニーチェが「神は死んだ」と唱えたのはまさしくその宣言であった。その流れのなかで、20世紀には、自由主義、社会主義、進化論(ファシズム)という3種の人間至上主義に分裂し勢いづいたが、最終的には自由主義が勝利し現在がある。

そもそも、人間は神や国家の存在を信じ、共同主観的なネットワークを拡大し、協力することで他の生物に卓越してきた。今やテクノロジーの開発とともに経済成長なしに人間至上主義の社会が成り立たない事態に陥っている。

ところが、生命科学者たちの明らかにするところでは、生物はたんなるアルゴリズム(計算処理)であり、人間の心や意識もニューロンの信号の諸パターンにすぎないという。だからこそ、コンピューターが個人のすべてを把握する可能性は無視できないのだ。自由主義はなによりも個人の自由意思を大切にしてきたが、今や科学は魂も意志も否定し、遺伝子とホルモンとニューロンが存在するだけだと主張する。

ところで、自由主義が大勢力になったのは、すべての人間に価値を認めたことが広く理にかなっていたからだ。だが、現代科学の示唆するところでは、我々に自由意思などなく、兵士よりもドローンが、労働者よりもロボットやコンピューターの方が価値ある時代は間近に迫っている。

ふりかえれば、なぜ先端思想だった社会主義は敗北したのか。著者には自明のことらしく、新しいテクノロジーに付いていけなかったのだ。ブレジネフもカストロもマルクスやレーニンが蒸気の時代にまとめた考え方にしがみつき、コンピューターとバイオテクノロジーを理解しなかったからだという。もしマルクスが現代に生きていたら、『資本論』を読む暇があったら、インターネットとヒトゲノムを勉強するように命じるだろうという著者のユーモアには事の神髄がある。

21世紀、生物工学と情報工学がますます発達すれば、自由主義も資本主義も民主主義も崩壊の危機にさらされる。その可能性のシナリオを描くことによって、回避すべきは回避する。その意味で本書の著者は新しいタイプの預言者かもしれない。
ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来 / ユヴァル・ノア・ハラリ
ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来
  • 著者:ユヴァル・ノア・ハラリ
  • 翻訳:柴田 裕之
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(280ページ)
  • 発売日:2018-09-06
  • ISBN-10:4309227368
  • ISBN-13:978-4309227368
内容紹介:
我々は不死と幸福、神性をめざし、ホモ・デウス(神のヒト)へと自らをアップグレードする。そのとき世界は、あなたはどうなるのか?

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年10月14日

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