書評

『文学熱の時代―慷慨から煩悶へ―』(名古屋大学出版会)

  • 2018/11/04
文学熱の時代―慷慨から煩悶へ― / 木村 洋
文学熱の時代―慷慨から煩悶へ―
  • 著者:木村 洋
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2015-10-30
  • ISBN:481580821X
内容紹介:
政治の季節が終わり、蘇峰が新たな理想を求め、独歩が無名の人民の経験を「記憶せよ」と呼びかけるうちに、文学は切実な営みとして「発見」された。内面の告白や青年の煩悶をひとたび正面から受け止め、経世の世にあって人生を問いかけていった知識人の挑戦を、端正に描き出す力作。

「文学の平民主義」開いた蘇峰

徳富蘇峰は熊本の読者にとって馴染みが深い偉人。ところが、福沢諭吉などとくらべると、蘇峰の分はよいとは言いにくい。蘇峰は明治の鹿鳴館に象徴される上からの欧化主義に反対し、「平民主義」や「中等階級社会論」をとなえ、民権論に棹(さお)さす若き論客として颯爽(さっそう)とデビューした。ところが日清戦争後、国家膨張主義者になる。蘇峰経営の『国民新聞』は御用新聞といわれた。そのことから反体制派からは蘇峰は保守反動オヤジのような扱いを受けることにさえなった。先年の(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2016年)NHK大河ドラマ「八重の桜」では、文学青年蘆花のほうは好意的に描かれたのに対し、蘇峰のほうは繊細さに欠けた俗物のように描かれていた。

しかし蘇峰は文学音痴ではない。それどころか蘇峰が創刊し大きな影響力をもった雑誌『国民之友』は、多くの誌面を小説の書評や評論に割(さ)いていた。当時の雑誌は政論一辺倒だったから、そんな雑誌群の中では異彩をはなっていた。蘇峰の『国民新聞』も政治・社会の改良のつぎに文学の改良を目標としてあげていた。明治初期の政治小説のように英雄を主人公とするのではなく、社会の下層民を主人公にする「文学の平民主義」への道を切り開いた。文学の地位をたかめようとする蘇峰の情熱は「当時の言論界の中で突出していた」と著者は言う。

本書は近代日本文学史において無視されるか、軽視されがちな蘇峰を政治熱から文学熱への転轍(てんてつ)機の役割をはたした人物、つまり近代日本文学の起点の人として論をはじめる。蘇峰を起点とする近代日本文学史を本書の著者以外誰が考えたであろう。

しかし、蘇峰の文学振興は、文学をそれ自体として価値があるとしたものではない。文学はあくまで政治の改良や社会進化の手段として意義づけられた。ポスト蘇峰世代は、蘇峰が切り開いた文学の平民主義のほうはいただき
ながらも、文学それ自体としての意義を称揚し、蘇峰流の手段としての文学論を否定する。ポスト蘇峰世代の試みは「文学の自立化」である。

文学の自立化によって、「文学が政治に比肩する重大な使命を帯びた営み」となっていく。高山樗牛や内村鑑三などから自然主義にいたる道がこれである。こうして性欲、煩悶(はんもん)、厭世(えんせい)などが人間考察のための積極的な対象になる。蘇峰の手段としての文学観を仮想敵とした成果といえるが、その経緯をみれば蘇峰の文学の平民主義が極北化したものともいえる。しかし、文学の自立化の道はなだらかにすすんだわけではない。保守派や教育家など文学の外部からの攻撃にさらされた。本書はそのせめぎあいを作品に添って復元し、活写する。その緻密な筆力に舌をまく。こうした文学の動線とは別の「余裕派」などにくくられがちな夏目漱石だが、著者は漱石の『それから』にはじまる後期作品は、自然主義にいたる文学の動線に対する「幾分遅れてきた応答だった」として明治文学の動線の頂に位置づけて、説得的である。さながら画竜点睛(がりょうてんせい)の感をいだく。

蘇峰にもどれば、1908(明治41)年に自然主義作家が勢ぞろいした『二十八人集』が刊行され、蘇峰が序文を寄稿していることを思い出した。そのとき自然主義と蘇峰の取り合わせに違和感をもったものだが、本書を読むことで合点がいき、腹にストンと落ちたのである。
文学熱の時代―慷慨から煩悶へ― / 木村 洋
文学熱の時代―慷慨から煩悶へ―
  • 著者:木村 洋
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2015-10-30
  • ISBN:481580821X
内容紹介:
政治の季節が終わり、蘇峰が新たな理想を求め、独歩が無名の人民の経験を「記憶せよ」と呼びかけるうちに、文学は切実な営みとして「発見」された。内面の告白や青年の煩悶をひとたび正面から受け止め、経世の世にあって人生を問いかけていった知識人の挑戦を、端正に描き出す力作。

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初出メディア

熊本日日新聞

熊本日日新聞 2016年3月20日

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