解説

『バレエ・メカニック』(早川書房)

  • 2018/12/06
バレエ・メカニック / 津原 泰水
バレエ・メカニック
  • 著者:津原 泰水
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(284ページ)
  • 発売日:2012-01-25
  • ISBN:4150310556
内容紹介:
造形家である木根原の娘・理沙は、九年前に海辺で溺れてから深昏睡状態にある。「五番めは?」-彼を追いかけてくる幻聴と、モーツァルトの楽曲。高速道路ではありえない津波に遭遇し、各所で七本肢の巨大蜘蛛が目撃されているとも知る。担当医師の龍神は、理沙の夢想が東京に"砂嵐"を巻き起こしていると語るが…。『綺譚集』『11』の稀代の幻視者が、あまりにも精緻に構築した機械仕掛の幻想、全3章。
バレエ・メカニック=機械式バレエとは美術家フェルナン・レジェと作曲家ジョージ・アンタイルの共同プロジェクトである。一九二四年、レジェの作る映画にアンタイルが音楽を付ける構想ではじまったプロジェクトだったが、実際にはアンタイルはレジェの映画の倍近い長さの音楽を作ってしまった。音楽と映画は生き別れのまま、それぞれに公開された。ふたつの異なるメディアで、ひとつの新しい美学が追究されることになった。

アンタイルの音楽では「バレエ」を踊るのは機械楽器だった。アンタイルは十六台の自動ピアノ、三台の木琴、七個の電鈴、それに三機の飛行機プロペラからなるオーケストラを構想した。機械が歌い踊る、人間抜きのバレエ。それこそがマシーン・エイジの新しい美学であった。コンサートではプロペラは観客を吹き倒さんばかりの勢いで強烈に吹きつけた。一方、レジェは脚本こそが映画最大の罪だと考えた。脚本は映画を撮影された芝居に貶めてしまう。新時代の映画に脚本は不要だ。レジェの映画では幾何図形やさまざまなオブジェの映像が何度もくりかえされる。新しい現実、誰も気づいていなかった新しい世界を見せるために。

キュビスムの画家であったレジェは第一次世界大戦への従軍時に機械の機能美を発見したという。レジェはマシーン・エイジの新しい美学を考えた。鉄道と自動車による移動速度の変化は、我々の視覚に根本的な変化をもたらしたのではないだろうか? 現代人は十八世紀のアーティストの百倍もの視覚刺激を受けているはずだ。ならばそこから新しい美学が生まれなければならない。機械とプロペラの美学が。

津原泰水がレジェからタイトルを借りた本作は、絢爛豪華なシュルレアリスム小説としてはじまる。ある日、突然、東京の町がパニックに襲われる。ラジオからはモーツァルトの曲しか流れず、ハイテク機器が暴走しはじめ、交通機関は完全に麻痺してしまう。町は幻影の津波に襲われ、巨大な蜘蛛が悠々と闊歩する。

そんな狂った世界を天才造形家「君」と女装の外科医「龍神」の二人組が往く。電子機器が狂ってしまうので、二人は自動車ではなく巨馬ペルシュロンの引く馬車に乗っていかねばならない。国立から中央線をたどって都心まで、奇跡の海を威風堂々と進む二人の道行きはドン・キホーテとサンチョ・パンサの行軍のようにも見える。男たちは現実と幻想がないまぜになった美しい世界を進んでゆく。

現実の中に次々に起こる奇想天外な事件。脈絡のないこと、出鱈目なこと、それはしばしば「シュール」と称される。だが、シュルレアリスムとは決して現実ばなれした空想のことではない。それは現実の中に、現実以上に現実的な瞬間を見いだそうとする美的運動だった。我々はみな、日々目にしている日常こそが現実だと思っている。自分たちが制度的思考に縛られ、その目が日常に慣らされてしまっていることに気づいていない。だが、現実は我々が信じこまされているよりもはるかに驚きに満ち、豊かな世界なのだ。シュルレアリストはそうした瞬間、現実が現実から飛び出し、超現実的なるものが立ちあらわれる瞬間を探しもとめた。そうした「超現実」によって世界を作りかえることこそがシュルレアリスム運動の本当の目的だったのである。

その意味において、津原泰水は正しくシュルレアリストである。『バレエ・メカニック』はこの世界を見つめるもうひとつの視点を提供してくれる。華麗なる幻想は決してこの世ならぬ世界をつむぎだすためのものではないのだ。やがて造形家はこの幻想を創りだしているのが植物状態で寝ている自分の娘であることを知る。脳の新皮質が機能喪失し、脳幹だけが生きてただ生命を長らえていた娘が、なぜか幻想を送り出しているのだ。その幻想とは娘が見ている夢だ。死んでしまった新皮質のかわりを東京の街全体がつとめている。携帯電話をはじめとするさまざまな電子機器から発する電磁波が飛び交う大都市。その電磁波こそがシナプスとなり、脳として機能する。『バレエ・メカニック』は東京という都市が見る夢なのだ。

都市はひとつの生命である。二十世紀の都市小説はそんなふうに語ってきた。都市とそこにうごめく人々は目的と生命をもつひとつの生き物なのだ。生き物は夢を見る。人々の文化活動は都市の集合無意識の影響を受ける。かつてクラカウアーはワイマール共和国で作られた大衆娯楽映画の中にナチス・ドイツを準備する精神が読み取れることを示した。ナチスを産みだす絶望と憎悪は都市の無意識の中にたゆたっていた。都市の夢は世界のかたちを変える。ときには破滅的なまでに。

メタファーをガジェットに落とし込めることこそがSFの力である、とは大森望の主張だ。だが、ここではむしろ、メタファーとガジェットが同一のものをさししめし、表層だけですべてを語れるのがSFの力なのだと言いたい。だから『バレエ・メカニック』において、都市の見る夢は文字通りの夢としてみなの前に立ちあらわれる。都市は脳のメタファーとして読まれるのではなく、少女の脳髄そのものとなる。マシーン・エイジの美学とは機械の見る夢なのだ。

レジェが夢見た新しい美学、未来派の夢はここに正しく表現される。シュルレアリスム小説として。そしてサイバーパンク小説として。

ウィリアム・ギブスンが『ニューロマンサー』で華麗に登場したとき、多くの人を驚かせたのはその世界観だった。それが特別だったのではない。むしろ、あまりに見慣れた世界だったから驚いたのだ。テクノロジーが驚異ではなく日常となり、誰もが利用し尽くすものとなった世界。新品ではなく中古の技術。それはすべて我々が知りつくしたものだった。サイバーパンクはSFを現代に引き戻した。それこそがサイバーパンクの最大の成果である。電脳空間の発見も、SFを現代化するひとつの要素に過ぎない。

『バレエ・メカニック』では都市の電磁気網がシナプスとなり、少女の脳となる。機械と人間とがひとつにつながる。華麗に、ほとんど本格SFの香りなどさせず、幻想小説のように描かれる世界は、実はハードなSF設定に裏打ちされたものである。それは優れたサイバーパンクSFとして読まれるだろう。やがて来る第三部ではマッピングされた電脳空間に住むパンクスたちさえ登場する。ギブスン直系のサイバーパンク小説の貌をあらわにするのだ。

かつてJ・G・バラードはサルバドール・ダリをはじめとするシュルレアリスム画家たちに影響を受け、文章に書いたシュルレアリスム絵画として創作をはじめた。だが、やがてテクノロジカル・ランドスケープという概念にめざめ、滅びゆくテクノロジーの中で遊ぶ人々の姿を描くようになる。それはしばしばバラードの関心が変わったからだともされる。だが、実際にはバラードの興味は一貫している。サイバーパンクの父であるバラードはつねにSFを現代化しようとしていた。シュルレアリストたちが絵画を現代化しようとしたように。バラードはシュルレアリスムの源泉を求め、<濃縮小説(コンデンスト・ノベル)>と呼ばれた断片小説へ、そしてついには死せるテクノロジーにまといつく人間精神を描くようになった。その風景こそサイバーパンクが手にした世界である。現代SFの基盤はそこにある。

『バレエ・メカニック』は華麗なるシュルレアリスム小説としてはじまり、不遜なサイバーパンクSFとして終わる。それは奇想天外で、だがどこか懐かしい風景だ。それは我々の生きている世界、今この場所でもある。現実と本当の意味で出会ったとき、世界は予想だにしなかった表情を見せる。津原泰水は見事にシュルレアリスム美学に内包された現実を掘り当ててみせたのだ。

【電子書籍版2018年12月5日発売】
バレエ・メカニック / 津原 泰水
バレエ・メカニック
  • 著者:津原 泰水
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(284ページ)
  • 発売日:2012-01-25
  • ISBN:4150310556
内容紹介:
造形家である木根原の娘・理沙は、九年前に海辺で溺れてから深昏睡状態にある。「五番めは?」-彼を追いかけてくる幻聴と、モーツァルトの楽曲。高速道路ではありえない津波に遭遇し、各所で七本肢の巨大蜘蛛が目撃されているとも知る。担当医師の龍神は、理沙の夢想が東京に"砂嵐"を巻き起こしていると語るが…。『綺譚集』『11』の稀代の幻視者が、あまりにも精緻に構築した機械仕掛の幻想、全3章。

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