この「作法」は著者の「挑発」
1冊を費やしてたった一枚のアルバムを分析
題名の『ナイトフライ』は、スティーリー・ダンのメンバーであるドナルド・フェイゲンが82年に発表した初ソロ・アルバムのタイトルから取られている。1冊を費やして、たった1枚のアルバムを分析した本なのだ。著者の冨田恵一は音楽評論家ではない。冨田ラボ名義での活動のほか、多数プロデュースも手掛ける音楽家・音楽プロデューサーである。
音楽に関する分析というと想起されるのはアナリーゼ(楽曲分析)であり、複雑なコード進行が代名詞のスティーリー・ダンなら尚更だろう。冨田ラボなんてまさに適任だ。
だが、楽曲分析は本書のごく一面に留まる。譜面もほとんど登場しない。
では何を主に分析しているのかというと、「録音」なのである。
録音技術の発明と進化は音楽鑑賞のあり方を根底から変えた。とりわけポピュラー音楽は録音ありきのメディアであり、レコードやCD(もはやダウンロードやストリーミングされるデータに移行しつつあるが)を抜きに考えることはできない。
それ以上に録音技術は音楽を作ること自体の意味を変えた。ただの記録じゃないかと思われるかもしれないが、マルチ・トラック・レコーダー登場以後「録音は単なる記録から作品を制作する工程に変化した」のだ。マルチ・トラックに記録された音を編集し加工し統合し磨き上げる。ときに録音技術はこの世に存在しない新しい音を生み出しさえもする。60年代以降のポピュラー音楽の大半は、そのように作られてきた「録音芸術」なのである。
録音はアナログからデジタルに移行していったが、一気に全部がデジタル化したわけではない。『ナイトフライ』はマルチまでデジタルが採用された最初期の作品なのだ。録音のデジタル化もまた単に方法が変ったに留まらない変化、質感という変化を音楽に及ぼすことになる。
70年代、80年代というディケイドによる分け方がよくされるが、音楽に関してこの区分は便宜的でも緩やかな変化でもないと冨田は断言する。80年代に入るや「70年代は一気に“昔のこと”になったのである」。サンプリングによって劇的な変化がもたらされたためだ。サンプリングは音をデジタル・データとして取り込むテクノロジーだが、デジタルであればコンピュータで操作ができる。たとえば取り込んだドラムの音をパーツごとに切り刻み配置し直すといったことが可能になるわけだ。
プログラミングによる統御はリズムやグルーヴに対する認識の更新を促し、精緻化したリズムは総体としての音に対する判断を変えた。当然、音の質感も変化した。
『ナイトフライ』では、まさにこのサンプリングしたドラムのプログラミングが全面的に駆使されている。つまり全部打ち込みなのである。本書でこの事実を知ったとき「ええーっ!?」とひっくり返ってしまった。これまで30年以上も生ドラムだと思って疑いもしなかったからだ。
冨田の解析能は驚異的で、各パートのパーソネル・データに基づく音色やタッチなどの差はもとより、キック1音のサンプルの差異まで聞き分けていく。
『ナイトフライ』は「70年代いっぱいまでかけて培われてきたポップスの音楽語法のゴールであり、しかし質感としては80年代という特殊な、この時期特有」の音楽を代表するアルバムとしてある。だが、数々の特殊性を率先してまといながら古びない。そこにこそ『ナイトフライ』の、名盤というだけでは片づかない特異さ、「1枚のアルバムが、何千もの曲を知るより遙かに人生を豊かにしてくれる」芸術性があるのだ。
「ポップスのなかでもとびきり良質な作品は、そろそろクラシック音楽を永く定着させたような作法で扱う必要が出てきたように思っている」
ここで試みられたのはそんな新しい「作法」だ。昨今質の上昇が著しい音楽言説の中でもかなり強力な、非音楽家としては途方に暮れそうになる1冊だが、この「作法」は著者の「挑発」でもあるのだ。