書評
『リリアン・ヘルマンの思い出』(筑摩書房)
リリアン・ヘルマンの素顔
映画『ジュリア』でジェーン・フォンダが演じたリリアン・ヘルマンの美しさがまだ記憶に鮮やかだ。が、このピーター・フィーブルマン『リリアン・ヘルマンの思い出』(本間千枝子他訳、筑摩書房)を見ると、本物のリリアンの方が、美人でないにしろずっと魅力的だ。激しく怒り、たっぷり泣いた顔。十代から、最期までのポートレイトが数多くおさめられている。語り手ピーター・フィーブルマンは二十五歳年下の男。十歳のとき母の友人リリアンと知りあった。息子であり友人であり、恋人であり、保護者でもあった。二十代の彼は三つの小説と一つの劇を書いたが、干されていた。
あなたは正当(な評価)かどうかなんて考えすぎるのよ。物書きはただ書くだけ。
東海岸のヴィンヤードの海辺の家にたずねた彼に先輩女性作家が与えた言葉である。「僕にとってのリリアンは、リリアンにとってのダシール・ハメットのような存在になりはじめていた」。
そのハメットはリリアンに『秋の園』の草稿を投げつけ、ロジャースとハートのような大衆小説でも書いて誰か他の奴とでも暮らしたらよかろう、といったという。てごわい恋人だ。
リリアンは大言壮語で自説にこだわる。けんらんたる表現だし、人を怒らせるし、滑稽で、気難しくて、その上淫らときている。が少なくとも物を書くことには手ぬかりがなかった。
リリアン・ヘルマンは一九〇五年、ニューオーリンズ生まれ。二十代のデビュー作『子供の時間』がブロードウェイ六九一回上演の記録を作って成功。作品はいつも高く評価されてきた。しかし戦後、マッカーシズムに抗い非米活動委員会で証言を拒否したため、長いこと不遇であった。
「私は今年の流行にあわせて私の良心を裁断することは出来ませんし、またそうするつもりもありません」。このときの有名な言葉である。
四十三年、身近にいた男は彼女のことをよく理解した。「貧しい人びとに食物を与え、世界を変えるのだという輝かしい理想にリリアンはしがみついていた」。ブラックリストに載せられたのは彼女が共産党員だったからではない。「それほどすばらしい夢をそれほど簡単に、しかも公然とあきらめてしまえなかった頑固さによるものなのである」。そして「彼女の精神と肉体との関係は五分として首尾一貫しているようにみえたことはなかった」。
リリアンはよく転んだそうである。「はにかみながら衣服を脱ぐのに、一糸まとわぬことにはなんの恥らいもない――セックスに関しては臆病なくせに、それでいてわいせつ」
リリアンは文字通り矛盾した女だった。だから魅力的で強烈で、男を離れがたくさせた。「これは一〇〇パーセントあなただけに話すのよ」が口ぐせだった。「誰だって本当に思っていることを言うだけで、人生はずっと簡単になるのにね」「わたし、あなたの首のここのところ匂いをかいでみたい」「物書きと一緒に暮らすってのはいいなあ。いつかは得になると思ってたよ」。
彼女の印象的な言葉をこんなにすてきに訳してくれたグループにもお礼をいいたい。
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