書評
『密告者ステラ ~ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女』(原書房)
執筆に46年間を要した記録
学園中のみんなが憧れていたアイドルがナチスの手先に落ちていた。それも、同胞であるユダヤ人をゲシュタポに密告しアウシュヴィッツに送る死のスパイとして暗躍していたのだ。戦後その事実を知った「僕」は真相の究明に動く――。まるで映画のシナリオだが本書はノンフィクションである。著者ピーター・ワイデンは裕福なユダヤの家庭に生まれベルリンに育った。公立学校に通っていたが、強まるユダヤ人迫害から逃れるため、12歳のときに私立のユダヤ人学校に移る。ステラもまたナチに追われこのユダヤ人学校に転校してきたひとりだった。ブロンドの髪に青い目を持つとびきり美しいステラは「僕らの学校のマリリン・モンローだった」。
ピーターの一家はユダヤ人排斥が本格化する前にアメリカに亡命した。裕福ゆえに可能なことだった。資産やコネを持たないユダヤ人たちは、口実をつけてはドイツでの生活にすがりついていたが、1938年11月の反ユダヤ暴動「水晶の夜」を機に一斉に脱出を始めた。貧しいステラ一家もようやく重い腰を上げたのだが、すでに時機を逸していた。
潜伏生活に入ったステラはゲシュタポに拉致される。そして、彼女の美貌と知性に目をつけた秘密警察警部の申し出た悪魔の契約に同意し、同胞を売る密告者となった。後に「毒のブロンド」と呼ばれることになるステラが、いかに有能な密告者であり、どれほど生き生きと冷酷にユダヤ人を摘発したか、証言をもとに何度か描写される。女友達との再会を無邪気に喜んでみせた直後にゲシュタポを従え玄関の扉を叩いたという冒頭のエピソードは強烈である。
ステラは戦後ソ連軍に逮捕され10年の判決を受けた。釈放後、旧西ドイツの片隅に隠棲していた彼女にピーターはインタビューを敢行した。本書はその成果だが、執筆には終戦直後から46年間を要したという。死ぬか、仲間をガス室に送るスパイになるかという究極の選択を迫られたステラの葛藤や、また彼女が過度にも思えるほどの反ユダヤ主義者になってしまった理由の究明、著者の興味はそのへんにあるようだが明らかにされているとは言い難い。
自己正当化のために彼女が記憶をつくりかえてしまっていたこともあるが、著者本人も認めるように追及に厳しさが欠けていたきらいもある。だがそれは、ピーターの彼女に対する思いのせいというより、極限状況に置かれた人間の心理や、善と悪は一元的に決められるものではないという信念に依っているように思われる。92年にアメリカで本書が発表されたとき、著者はユダヤ人の一部から「あの悪魔を目の前にしながらなぜ殺さなかったんだ」と非難されたという。ステラは94年、72歳で自殺した。
最後に苦言を一言。本書の翻訳は、オリジナルの英語版とドイツ語版を二人の訳者がそれぞれ訳し突き合わせて仕上げられたそうだが、かなり読みづらかった。日本語の体を成していない文章も見られる。せっかくの貴重なドキュメントなのだからもう少し何とかしてほしかったところだ。
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