書評

『一人の男が飛行機から飛び降りる』(新潮社)

  • 2020/04/30
一人の男が飛行機から飛び降りる / バリー・ユアグロー
一人の男が飛行機から飛び降りる
  • 著者:バリー・ユアグロー
  • 翻訳:柴田元幸
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(400ページ)
  • 発売日:1999-08-30
  • ISBN-10:4102209115
  • ISBN-13:978-4102209110
内容紹介:
一人の男が飛行機から飛び降りる。涙を流しながら、靴箱いっぱいのラブレターを空中に投げ捨て…・魚を先祖に持つ女の逸話・世界で最後の煙草を持った男が、ブロンド女からマッチを手に入れようと苦労した物語・サルタンのハーレムを警備していた私が、テントの中を覗き込んで見たものとは…などなど、あなたが昨夜見たかもしれない、リアルでたのしい悪夢、149本の超短編。

パパは犬だったんだ

「ビッグコミックスピリッツ」の9月23日号に『パパ犬』という読み切りのマンガが載っていた。作者は神原則夫。新人だ。あんまり面白いので、読みながら涙が出てきて、読み終わるとリビングまで走っていって家人に「これを読んで!」といったぐらいだった。

『パパ犬』の粗筋を書いてみよう。

風采の上がらぬサラリーマンがいる。妻は朝食を作ってくれず、小学生の息子とは顔を合わす機会もなく、朝帰りした高校生の娘と玄関で会ってもなにもいえない。楽しみはというと、ラッシュの電車で押されるふりをして女子高生のおっぱいを肘で触るぐらいだ。ある朝出社すると、男は資料室長に左遷されたことを知る。ガランとした資料室で「猿拳」の真似をしていた男は、その様子をOLに思いっきり見られる。なにやってんだかなあ、おれ。会社にも家庭にも居場所をなくした男は、人間をやめようと決意する。夕方、帰宅した妻は台所にいる夫を発見して驚愕する。夫は巨大な犬のぬいぐるみを着て座り新聞を読んでいるのだ。

「お帰りワン!ここに退職金がある……。これからは私を……ペットとして家に置いてくれ!」

かくして、ペスと名付けられた男は、ペットの犬として暮らしはじめる。献身的に家族につくす男に心を開きはじめる妻子たち。やがて男は思う。

「犬になってからのほうが……人間らしく……生・き・て・い・る!」

感動の大団円である。たぶん、日本のおとうさんの八〇%は、これを読むともらい泣きしてしまう(もしくは大笑いしてしまう)のではないかな。

では、このたった二十四頁しかないマンガに、いろんなことが詰め込まれているような感じがするのはなぜなんだろう。それはたぶん、このマンガが「家庭」を、特に「父親」を中心にして描いているからだ。「家庭」はどんな時代になってもドラマの最大の発信地なのだ。ポツンとひとりの登場人物を出しても、男女のカップルを出しても、作品にするためにはいろんな条件や設定を付け加えなくちゃならない(もちろん、なにも付け加えず、ドラマでなくするやり方もあるけれど)。しかし「家庭」を舞台にするなら、きわめて省エネでドラマを作れるわけなんだ。ぼくは『パパ犬』を見て、最近読んだバリー・ユアグローの傑作『一人の男が飛行機から飛び降りる』(柴田元幸訳、新潮社)を思い出した。三百頁ほどの本に百四十九の超短編を詰め込んだこの作品は、一つ一つは短い悪夢に似ているけれど、よく読むと家庭が、特に「父親」を素材にしたものが断然面白いことがわかってくる。ユアグローは「父親」を、若い娘に変身させたり、魔法の絨毯に乗ってやって来させたりする。いや、「父親」を死んだことにしてしまうことがいちばん多い。けれどその死んだ「父親」はおとなしく死んではいなくて、ずんぐりした中年女性になったり、小さくなって壜に入って酔っぱらったりしていつまでも主人公を悩ませる。そんな夢のような設定なのに、ぼくたちはそれがあまりにもリアルな感情を与えるので、びっくりしつつも笑ってしまうのだ。リアリズムの小説はいろんなことに気を遣うあまり注意力が散漫になってしまうことが多い。けれど、ユアグローは一気に本質を摑みだす。近代人を最初に描いたとされる『ハムレット』の主人公は、父の亡霊を見た。現代文学の黎明を告げた『変身』の主人公は、父の前で虫に変身する。彼らが、先駆的であったのは、どんなリアリズム小説より遥かにリアルなある「感じ」を摑んでいたからなのだ。

【この書評が収録されている書籍】
退屈な読書 / 高橋 源一郎
退屈な読書
  • 著者:高橋 源一郎
  • 出版社:朝日新聞社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • 発売日:1999-03-00
  • ISBN-13:978-4022573759
内容紹介:
死んでもいい、本のためなら…。すべての本好きに贈る世界でいちばん過激な読書録。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

一人の男が飛行機から飛び降りる / バリー・ユアグロー
一人の男が飛行機から飛び降りる
  • 著者:バリー・ユアグロー
  • 翻訳:柴田元幸
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(400ページ)
  • 発売日:1999-08-30
  • ISBN-10:4102209115
  • ISBN-13:978-4102209110
内容紹介:
一人の男が飛行機から飛び降りる。涙を流しながら、靴箱いっぱいのラブレターを空中に投げ捨て…・魚を先祖に持つ女の逸話・世界で最後の煙草を持った男が、ブロンド女からマッチを手に入れようと苦労した物語・サルタンのハーレムを警備していた私が、テントの中を覗き込んで見たものとは…などなど、あなたが昨夜見たかもしれない、リアルでたのしい悪夢、149本の超短編。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1996年9月6日~1998年4月24日

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
高橋 源一郎の書評/解説/選評
ページトップへ