書評
『黄落』(新潮社)
親子老醜の中に一条の輝き
老いの姿を虫眼鏡に映したり、望遠レンズで眺めたりすると、この作品に描きだされるような人間模様が浮かびあがってくるにちがいない。小説が人間の魂を抜きとっているのか、人生が小説の殻を叩(たた)き割っているのか、それが判然としないところにこの作品の落ちついた輝きがある。還暦近くの小説家には九十二歳の老父と八十七歳の老母がいて、近くのスープのさめない距離に住んでいる。音楽家修行の長男が独立し、次男と長女が同居している。事件は老母が倒れて骨折し、入院騒ぎをおこすあたりから紛糾しはじめる。あとに残された老父の世話が小説家の妻の肩にかかり、もう若くはない夫婦のあいだに隙間風(すきまかぜ)が吹きはじめる。病院通いが重なり、疲労と欲求不満がこうじていく。
やっと退院してきた老母に、こんどは異常行動が目立ち、市当局の入浴サービスや訪問看護、さらには福祉施設をみつけるためにかけずり廻(まわ)る生活がやってくる。老人ホームへの送り迎え、老母のボケ、汚れオムツのとり替え、それに老父のわがままが押し合い重なり合い、小説家夫婦の神経をキリでもむように逆なでして、ひとときも止むことがない。
だが、転機が訪れる。老母がにわかに絶食をはじめ、その死をひそかに願いはじめていた小説家の気持ちを知ってか知らずか、狂気と正気のはざまをよろめくようにして息を引きとる。葬儀が果て親族が散っていったあと、一人とり残された老父がふたたび老人ホームに引きとられていく。そのホームで小説家はあるとき、老父が見知らぬ老婆と病室で寄りそい睦(むつ)みあっている姿をかいまみる。その華やぎの光景が、やがてかれのうっくつした気分を和ませ、刺(とげ)のように突きささる人の噂(うわさ)を遠ざけてしまう。その老父を「老怪さん」と呼んで、ひとり苦笑する主人公のさびしい肉声が響く。
親と子の老醜に後光がさすのが、そのときである。
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