書評

『武満徹 音・ことば・イメージ』(青土社)

  • 2023/05/27
武満徹 音・ことば・イメージ / 小沼純一
武満徹 音・ことば・イメージ
  • 著者:小沼純一
  • 出版社:青土社
  • 装丁:オンデマンド (ペーパーバック)(236ページ)
  • 発売日:2012-10-10
  • ISBN-10:4791727320
  • ISBN-13:978-4791727322
内容紹介:
武満にとって音楽とは、響きをつむぎ、自然と交感する歓びを私たちひとりひとりと分かち合ういとなみに他ならなかった。水、鏡、夢、庭など、武満を象徴するテーマを読みとき音楽を通して音楽を超える宇宙を召喚したたぐいまれな感性の内奥に迫る。

未知の微動を探る試み

武満徹の音楽に指で触れてみること。それも他者のまえで鍵盤をつまびくプロフェッショナルな緻密さからは遠い、ゆるやかな「愛好家」として触れてみること。ロラン・バルトの定義をかりれば、「愛好家」とは「記号表現のなかに《優雅に》(無報酬で)腰をすえ」、芸術の材質のなかに身を沈めている人の謂だが、武満の表情にはそんな言いまわしが似合うようだ。

稀有な作曲家の生涯を振り返り、喚起力のつよい作品のタイトルに耳を澄ましながらその音楽の特質を論ずるのは、すぐれた批評家であればさほど困難でもないだろう。しかし指の腹から伝わってくる音のひとつひとつに身をさらし、共感をもって愛の対象を追いつづけるのはたやすい作業ではない。

小沼純一の『武満徹 音・ことば・イメージ』は、この作曲家の定番となったエピソードや楽曲をみずからの指でたどり直し、未知の微動を探ろうとする美しい試みである。全篇を貫いているのは、他者との共同作業を率先して引き受ける武満の、「友愛」の感覚に対する注視だ。武満は孤独な部屋に閉じこもることなく、つねに複数の人間と接しながらなにかを吸収し、そのうえで自分の声を発していく、いわば編集者的な感覚を晩年まで持ち合わせていたのである。

シュールレアリスト瀧口修造を中心にまとまった一九五〇年代の「実験工房」以降、ある時期までの武満徹は、集団のなかに身を置くことを厭わず、テレビ、ラジオ、映画の音楽を担当し、音楽祭のコーディネートを引き受け、さらには「へるめす」のような雑誌の編集同人となって「ことば」を用いた連携をも行っている。興味深いのは、どのような集まりであれ武満がけっしてその主導権を握ろうとしなかったという事実で、それが彼に穏やかな「文化人」の相貌を与える結果ともなったのだが、同時にまた、他者との接触に際してつねに活動の中心になろうとする政治的欲求とは縁のない、なにか生理的な判断基準が働いている可能性を暗示することにもなった。

小沼氏はそんな武満の姿勢に「愛好家=アマチュア」の本質を見出し、「友愛」を基盤とする「血のかよった」コミュニケーションのありようを説きながら、「複数の文化の更に深部、文化とさえ呼びえないひととひととのあいだにうごめく何か、或る直観/直感的なつながり」こそ、彼の芸術の底にある秘密なのだと指摘する。曲を書くにあたって武満徹が最も頼りにしていたのは、この「或る直観/直感的なつながり」だった。ひとつの具体的な、けれどもかすかな交感が成立したと肌で認められるような音楽家にだけ、彼は曲を捧げている。フルートなら、ギターなら、ピアノならこの人、とかならずしも技量や地位とは関係のない顔が見えた段階で、ようやく作品が胎動しはじめるのだ。

また、それぞれの顔への注視は、もうひとつ上位のコスミックな世界観である「庭」の概念とも無縁ではない。自作のタイトルにも多く用いられている「庭」とその変奏。武満によれば、「庭はひとを拒まない」。そこで人々は動きを強制されず、自由に歩き、好きなように立ち止まって周囲を眺め、樹木の一本一本を観察することができる。時間も空間もそなわった壁のない庭。すべての楽音が、この庭=楽譜を構成する要素なのだ。それは演奏のたびに一期一会を果たすと言ってもいいオーケストラにふさわしい「イマジネールな共同性」であり、錯綜する出会いの編み目であり、宇宙的なひろがりをもたらす混沌なのである。

武満徹の「庭」では、「ことば」も音となり、樹木となる。楽想を与えた大江健三郎や谷川俊太郎の「ことば」を「鳥羽」や『空の怪物アグイー』から拾いあげ、私家版の小説『骨月 あるいはa honey moon』に立ち返って「骨/月」「ホネ/ムーン」「ハネ/ムーン」の言葉遊びを解き明かす章では、言語が「庭」のなかで音楽や他の芸術と並列されうる事実が語られている。じつを言えばこの「庭」も「友愛」とおなじく著者自身の足場なのだ。比較的ながい「論述」ふうの文体でつづられた章のあいまに、短い間奏曲、いや「断/章」が配置され、灌木と喬木が交互にならんで林間の空き地まで添えられた森を思わせるという章立てに、それは明白だろう。

しかし著者の眼は、武満徹の内部の樹木を丁寧に観察すると同時に、森全体をも見わたしている。一九三〇年に生まれ、幼少時代を大連で過ごした、特権階級でもなんでもない少年のまっさらな耳が摑んだイマジネールな「庭」の音は、ジョゼフィン・べーカーもバッハもデューク・エリントンも等価にならびうる明治以来の「日本の歴史のながれとシンクロナイズ」し、「戦後高度成長期の感性、いま生きている、生活しているひとびとが共有しうるもののひとつのありようを体現」しているのではないか、と。

武満徹は、著者自身にとっても読者にとっても、内面を映し出す鏡なのである。

【この書評が収録されている書籍】
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

武満徹 音・ことば・イメージ / 小沼純一
武満徹 音・ことば・イメージ
  • 著者:小沼純一
  • 出版社:青土社
  • 装丁:オンデマンド (ペーパーバック)(236ページ)
  • 発売日:2012-10-10
  • ISBN-10:4791727320
  • ISBN-13:978-4791727322
内容紹介:
武満にとって音楽とは、響きをつむぎ、自然と交感する歓びを私たちひとりひとりと分かち合ういとなみに他ならなかった。水、鏡、夢、庭など、武満を象徴するテーマを読みとき音楽を通して音楽を超える宇宙を召喚したたぐいまれな感性の内奥に迫る。

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初出メディア

論座

論座 1998年8月

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