書評

『文学の贈物―東中欧文学アンソロジー』(未知谷)

  • 2022/01/03
文学の贈物―東中欧文学アンソロジー /
文学の贈物―東中欧文学アンソロジー
  • 編集:小原 雅俊
  • 出版社:未知谷
  • 装丁:単行本(421ページ)
  • 発売日:2000-05-00
  • ISBN-10:489642008X
  • ISBN-13:978-4896420081
内容紹介:
東中欧の国々の息吹を引き継いだ力強い文学作品の数々を収録した一冊。第一線の研究者32人が紹介したい文学作品を厳選し、直接その言語から翻訳した32編を掲載する。

「青いへそ」の幻

激しい動乱を生き、また現在も生きつづけている東中欧諸国について、私たちはどの程度まで理解を深めつつあるのだろうか。未曾有の紛争を契機として情報は増えているけれど、皮肉なことに、そのぶん真偽の境界も曖昧になっている。正しさの基準は、誤りの基準がそうであるように個々ばらばらなのだから、複雑な歴史のからみあいをすべての民族の立場から公正に把握することは、ほぼ不可能に近い。

にもかかわらず、いくつかの国名が地図から消える時代にあって、いかなるデータよりも信用に値する不変の基準を私たちは有している、と言えるのではないか。右と左を決定し、東と西を裁断する偏狭な視点ともイデオロギーとも無縁な、裸の人間がくっきりと浮かびあがる地平。すなわち、大陸に寄り添う島国の人間がなかば忘れかけているような、生の拠り所としての「文学」である。

ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、セルビア、クロアチア。東中欧文学アンソロジーとしてまとめられた本書には、十六世紀から現代にいたるまで、総計三十二人の訳者の手によって選出された三十二人の文学者の作品が収められている。ルネサンス期の大詩人とノーベル賞詩人がならび、二十世紀のエッセイのあとに十九世紀の詩がならぶという編年体をとらない自在な構成が、「文学の贈物」と呼ぶにふさわしい書物をもたらした。テーマも豊富で、あからさまな政治寓話に偏らないのが好ましい。

チェコのモラヴィア地方に生まれた詩人ヤン・スカーツェル(一九二二―八九)が、「青いへそについての小さなエッセイ」と題した一文でこんなことを書いている。少年の頃、モラヴィアでチェコ人に出会うのはとても珍しく、彼の村では、ボヘミア出身の人間はみな青いへそを持っていると信じられていた。ところが夏休みを過ごすためにプラハから男の子がやってきて、水浴びをするため川辺で服を脱いだところ、へそは青くなかった。チェコ人とモラヴィア人はおなじ民族なのだった、と。

ここに紹介された諸作品は、たぶん国と国のあいだを結ぶ「青いへそ」の迷信を解く手だてになるだろう。「青いへそ」とは、いわば偽りの境界線である。ただし、私たちは「青いへそ」を現出させる言葉に対しても疑念と同等の信頼を寄せなければならない。本当の裏の嘘、嘘の裏の本当。この恐るべき背理もまた「贈物」のひとつなのだから。

【この書評が収録されている書籍】
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

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文学の贈物―東中欧文学アンソロジー /
文学の贈物―東中欧文学アンソロジー
  • 編集:小原 雅俊
  • 出版社:未知谷
  • 装丁:単行本(421ページ)
  • 発売日:2000-05-00
  • ISBN-10:489642008X
  • ISBN-13:978-4896420081
内容紹介:
東中欧の国々の息吹を引き継いだ力強い文学作品の数々を収録した一冊。第一線の研究者32人が紹介したい文学作品を厳選し、直接その言語から翻訳した32編を掲載する。

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初出メディア

すばる

すばる 2000年9月

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