書評
『黒い瞳のエロス―ベル・エポックの三姉妹』(筑摩書房)
パリのオデオン街の古書店で、女性ジャーナリストのドミニク・ボナは「ある著名作家の秘密コレクション」というタイトルの付いた小箱を見つける。開けてみると、中からプライベートなベル・エポックのポルノ写真が出てきた。あられもない姿態を見せつけるモデルたちは皆、豊かな黒髪をなびかせた黒い瞳(ひとみ)の女だった。古書店の主はボナの耳元でそっとささやいた。撮影者は『ビリチスの歌』で有名な詩人・小説家ピエール・ルイス、モデルは高踏派の高名な詩人ジョゼ・マリア・ド・エレディアの娘たちであると。
すでにして十分にミステリアスで煽情的(せんじょうてき)な書き出しである。だが著者はコダックのレンズのこちら側と向こう側にいた二人の人物の複雑な関係を解きほぐしながらも、興味本位の覗(のぞ)き趣味に堕することはなく、ベル・エポックという、過ぎ去った一つの時代の挽歌(ばんか)を歌いあげていく。
まず忘却の淵から召喚されるのは、エレディアの美しい三人の娘エレーヌ、マリ、ルイーズである。スペインの征服者の末裔(まつえい)としてキューバに生まれたエレディアから情熱的な瞳と黒髪を受けついだこの三姉妹は、当然のように、父親のサロンに集まる若い詩人や文学者たちの熱い視線を一身に引きつけることになる。なかでも官能的であると同時に神秘的な雰囲気を漂わせる次女のマリは、世紀末の典雅なデカダンスを歌う貴族詩人アンリ・ド・レニエと、その親友で、青い瞳とブロンドの口髭(くちひげ)をもった快楽の詩人、ピエール・ルイスの二人から同時に求愛される。マリの心は、堅苦しいレニエよりも、エロスに身を捧げるルイスに傾くが、ルイスが旅行に出ている間に、レニエが父親エレディアの承諾を得て抜け駆けし、マリと結婚してしまう。だがマリは初夜の翌日、早くも自分が取り返しのつかない誤りを犯したことに気づく。それはピエール・ルイスも同じだった。二人は、二年後、必然の糸にたぐられたように不倫の関係を結ぶ。
ここまではよくある話である。違うのはこの先だ。まず、親友に妻を寝取られた夫アンリ・ド・レニエは、妻をあまりに熱愛していたので、二人が何をしようとすべて許す。三人で旅行に出て、目の前で二人がいちゃついていても、見て見ぬふりをする。
いっぽう、マリは、夫に何ひとつ遠慮せず、ためらいがちなルイスをむしろリードしていく。彼女は、恋人の淫(みだ)らな空想を一緒になって実現し、コダックの前で世にも破廉恥なポーズを取ってほほ笑む。
ついでこの三角関係に、さらに二つの角が加わって、事態をいっそう紛糾させる。一つは、自分を置き去りにしてエジプトに旅立ったピエール・ルイスに復讐(ふくしゅう)するため、マリが彼の親友の詩人ジャン・ド・ティナンと関係を結んだことである。マリは妊娠し、男の子を産み落とすが、父親はどちらの詩人だかわからない。レニエはこの子に名前だけを与える。
もう一つは、ピエール・ルイスに、マリのわがままな妹ルイーズが恋してしまったことである。マリは妹を自分と同じように幸せにするため、愛人の愛を妹にまで拡大してほしいとたのむ。ピエール・ルイスは願いを入れてルイーズと結婚し、姉妹二人を同時に愛することになる。「ピエールは、自分の悪徳に忠実に、彼女らの肢体を交互に写真に収める」。だが、結局、彼はルイーズを愛することはできず、結婚生活は破綻(はたん)する。やがて、ルイスは性欲そのものを失い、古書の収集に没頭する。絶望したルイーズは離婚を選び、夫の友人であった詩人、ジルベール・ド・ヴォワザンと再婚するが、すぐに結核で命を落とす。
いっぽう、マリはピエール・ルイスのあとも人気劇作家アンリ・ベルンスタイン、イタリアの愛国詩人ダヌンツィオといった具合に、次々に恋人をつくって、ベル・エポックの名花として輝きを増していく。同時に詩や小説にも筆を染め、ジェラール・ドゥヴィルのペン・ネームであまたの創作をものにする。
三人姉妹の長女エレーヌは、大旅行家で歴史作家のモーリス・マンドロンと幸福な結婚をするが夫に先立たれ、弔辞を述べた友人の批評家ルネ・ドゥーミックを第二の夫に選ぶ。
このようにエレディア三姉妹の『輪舞』のような生涯をたどっていくと、それだけでベル・エポックの文壇の裏面史が浮かびあがってくるが、著者の狙いもまさにそこにある。すなわち、著者は、セピア色のポルノ写真に写ったマリの「黒い瞳」を物語の大きな焦点として設定し、ここに、エレディア三姉妹が恋人の文学者たちとともに描きだす軌跡のすべてを収斂(しゅうれん)させることによって、ベル・エポックという「古き良き時代」の輝きと終焉(しゅうえん)を一冊の書物に封じ込めることに成功したのである。
流麗な訳文は原文の持ち味をよく生かし、出色の出来栄えとなっている。
【この書評が収録されている書籍】
すでにして十分にミステリアスで煽情的(せんじょうてき)な書き出しである。だが著者はコダックのレンズのこちら側と向こう側にいた二人の人物の複雑な関係を解きほぐしながらも、興味本位の覗(のぞ)き趣味に堕することはなく、ベル・エポックという、過ぎ去った一つの時代の挽歌(ばんか)を歌いあげていく。
まず忘却の淵から召喚されるのは、エレディアの美しい三人の娘エレーヌ、マリ、ルイーズである。スペインの征服者の末裔(まつえい)としてキューバに生まれたエレディアから情熱的な瞳と黒髪を受けついだこの三姉妹は、当然のように、父親のサロンに集まる若い詩人や文学者たちの熱い視線を一身に引きつけることになる。なかでも官能的であると同時に神秘的な雰囲気を漂わせる次女のマリは、世紀末の典雅なデカダンスを歌う貴族詩人アンリ・ド・レニエと、その親友で、青い瞳とブロンドの口髭(くちひげ)をもった快楽の詩人、ピエール・ルイスの二人から同時に求愛される。マリの心は、堅苦しいレニエよりも、エロスに身を捧げるルイスに傾くが、ルイスが旅行に出ている間に、レニエが父親エレディアの承諾を得て抜け駆けし、マリと結婚してしまう。だがマリは初夜の翌日、早くも自分が取り返しのつかない誤りを犯したことに気づく。それはピエール・ルイスも同じだった。二人は、二年後、必然の糸にたぐられたように不倫の関係を結ぶ。
ここまではよくある話である。違うのはこの先だ。まず、親友に妻を寝取られた夫アンリ・ド・レニエは、妻をあまりに熱愛していたので、二人が何をしようとすべて許す。三人で旅行に出て、目の前で二人がいちゃついていても、見て見ぬふりをする。
いっぽう、マリは、夫に何ひとつ遠慮せず、ためらいがちなルイスをむしろリードしていく。彼女は、恋人の淫(みだ)らな空想を一緒になって実現し、コダックの前で世にも破廉恥なポーズを取ってほほ笑む。
彼女の優雅さをもってすれば、猥褻(わいせつ)もまた魅力となる。
ついでこの三角関係に、さらに二つの角が加わって、事態をいっそう紛糾させる。一つは、自分を置き去りにしてエジプトに旅立ったピエール・ルイスに復讐(ふくしゅう)するため、マリが彼の親友の詩人ジャン・ド・ティナンと関係を結んだことである。マリは妊娠し、男の子を産み落とすが、父親はどちらの詩人だかわからない。レニエはこの子に名前だけを与える。
もう一つは、ピエール・ルイスに、マリのわがままな妹ルイーズが恋してしまったことである。マリは妹を自分と同じように幸せにするため、愛人の愛を妹にまで拡大してほしいとたのむ。ピエール・ルイスは願いを入れてルイーズと結婚し、姉妹二人を同時に愛することになる。「ピエールは、自分の悪徳に忠実に、彼女らの肢体を交互に写真に収める」。だが、結局、彼はルイーズを愛することはできず、結婚生活は破綻(はたん)する。やがて、ルイスは性欲そのものを失い、古書の収集に没頭する。絶望したルイーズは離婚を選び、夫の友人であった詩人、ジルベール・ド・ヴォワザンと再婚するが、すぐに結核で命を落とす。
いっぽう、マリはピエール・ルイスのあとも人気劇作家アンリ・ベルンスタイン、イタリアの愛国詩人ダヌンツィオといった具合に、次々に恋人をつくって、ベル・エポックの名花として輝きを増していく。同時に詩や小説にも筆を染め、ジェラール・ドゥヴィルのペン・ネームであまたの創作をものにする。
三人姉妹の長女エレーヌは、大旅行家で歴史作家のモーリス・マンドロンと幸福な結婚をするが夫に先立たれ、弔辞を述べた友人の批評家ルネ・ドゥーミックを第二の夫に選ぶ。
このようにエレディア三姉妹の『輪舞』のような生涯をたどっていくと、それだけでベル・エポックの文壇の裏面史が浮かびあがってくるが、著者の狙いもまさにそこにある。すなわち、著者は、セピア色のポルノ写真に写ったマリの「黒い瞳」を物語の大きな焦点として設定し、ここに、エレディア三姉妹が恋人の文学者たちとともに描きだす軌跡のすべてを収斂(しゅうれん)させることによって、ベル・エポックという「古き良き時代」の輝きと終焉(しゅうえん)を一冊の書物に封じ込めることに成功したのである。
流麗な訳文は原文の持ち味をよく生かし、出色の出来栄えとなっている。
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