書評

『ルーマニア・マンホール生活者たちの記録』(中央公論新社)

  • 2023/08/28
ルーマニア・マンホール生活者たちの記録 / 早坂 隆
ルーマニア・マンホール生活者たちの記録
  • 著者:早坂 隆
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(252ページ)
  • ISBN-10:4122049644
  • ISBN-13:978-4122049642
内容紹介:
チャウシェスク体制崩壊後のルーマニアでは、ストリートチルドレンの一部がマンホールでの生活を強いられていた。著者はマンホールに単身乗り込み、シンナーを吸ったり、結婚し、子どもまでつくっている生活の様子を取材した。弱者どうしのいがみあい、彼らをさらに追い立てる社会の非情さなどを浮き彫りにした傑作ルポルタージュ。

母胎であり墓でもあるこの地下世界

ルーマニアの首都ブカレストのマンホールに冷戦後孤児が群れをなして住んだ。十代から二十代も前半のいわゆるチャウシェスクの子どもたち。チャウシェスクの人口増加政策で急増した子だ。独裁政権崩壊後、国家の拘束を脱した子どもたちが街にあふれた。親に棄(す)てられた子、家出してきた子。ブカレストの厳冬は零下二十度になる。地下のマンホールにもぐれば温水パイプのおかげで冬でも十五度はある。糞尿(ふんにょう)の悪臭が気にならなければ、住み心地はそう悪くない。

マンホールの闇は巨大な母胎だ。そこのダンボール製寝台で孤児たちはシンナーに酔う。もう外へ出ていく気はない。孤児の保護施設や学校があっても、「俺(おれ)は本当はここが気に入っている」とある少年。シンナーで現実と隔絶した彼は、あたかも生まれてきた事実を取り消したいとばかりに、この生ぬるい地下世界を母胎とも墓とも心得ているようだ。

マンホール生活者には被差別民ロマ(ジプシー)が多い。彼らは外の世界ばかりかここでも集団暴行にあう。暴行を避けるために、わざと自分の腕にナイフで傷をつけ、大量の血をひけらかして難を逃れたりする。

国外に出稼ぎに行こうとする者もいる。若夫婦と子ども三人で国外脱出を謀る一家。亭主はバンク(一種の風刺小咄(こばなし))が得意で、一家には笑いが絶えない。さすがはイヨネスコを生んだ国。悲惨のなかにも人びとは道化役者のようにのほほんとしている。

ルーマニアはローマ帝国滅亡後、旧植民地としてスラブ圏の只中(ただなか)でしぶとく生きのびた。これからどこへ行くのか。ちなみに少子高齢化のわが「経済大国」とは正反対でいて共通の悩みがある。こちらでは中高年の青テント生活者が水平に拡散する。あちらでは年少者が垂直に地下にもぐる。わが国でも昭和ヒトケタ世代あたりまでは、佐野美津男『浮浪児の栄光』の焼け跡の現実を目のあたりに体験した。若いレポーターはときにルーマニアの現実への距離感のとり方にとまどうが、独特のユーモア感覚で巧みにバランスをとり戻している。
ルーマニア・マンホール生活者たちの記録 / 早坂 隆
ルーマニア・マンホール生活者たちの記録
  • 著者:早坂 隆
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(252ページ)
  • ISBN-10:4122049644
  • ISBN-13:978-4122049642
内容紹介:
チャウシェスク体制崩壊後のルーマニアでは、ストリートチルドレンの一部がマンホールでの生活を強いられていた。著者はマンホールに単身乗り込み、シンナーを吸ったり、結婚し、子どもまでつくっている生活の様子を取材した。弱者どうしのいがみあい、彼らをさらに追い立てる社会の非情さなどを浮き彫りにした傑作ルポルタージュ。

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2003年7月20日

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