書評
『風俗の人たち』(筑摩書房)
「永沢光雄」というジャンル
永沢光雄という名前を発見したのは、『AV女優』というルポルタージュを通じてだった。読んで驚いた。たまげた。会う人ごとに勧めた。そして、あの本を読めば誰だってそうに違いないが、早く永沢光雄の次の本が読みたいと思った。そして、『風俗の人たち』(筑摩書房)が出た。今度は驚かなかった。なぜかというと、面白いに決まっていると確信していて、面白かったからである。『AV女優』に驚いたのは、当然のことながら、そこで永沢光雄がインタビューしているAV女優たちの話が驚くべきものだったからだ。どのように驚くべきものだったか。彼女たちの体験の一つ一つが波瀾に富んでいたことか。それもある。それもあるけれど、なにより、彼女たちの話を聞いているうちに、わたしたちが「現代」というやつに洗脳されているんじゃないかと思えてくるところが驚きだった。わたしたちの情報源はテレビや雑誌だ。テレビや雑誌によると「現代」というやつは、情報化社会で、刻々と変化し、ブランドで電脳で国際化で核家族でバブルははじけてコムロで渋谷系で自虐史観でプリクラでポケモンでリストラで不倫で反町で小選挙区比例連立保保行革民営化でもののけ姫でキムタクでコギャルでその他いろいろで、そういうものは読んだり見たりしていると疲れるのである。そういう時に、永沢光雄がインタビューするAV女優の話に耳を傾けていたわたしたちは「あっ」と思ったのだ。
「あっ、これは『現代』がしゃべっているんじゃなくて、つまり……つまり『人間』がしゃべってる!」
「人間」が確かにそこにいて、何かをきちんとしゃべっている。実は、そういう体験がひどく少なくなっているような気がしていたことにわたしたちは驚く。そして、永沢光雄の本の中には「人間」が充満している。そのことにわたしたちはもっと驚くのだ。
『風俗の人たち』でも永沢光雄は同じことをやっている。けれど、AV女優たちの話よりドラマが少ない分だけ、よりいっそう、わたしたちは登場人物たちの肉声に耳を傾ける。そして、この日本で「人間」の声を聞こうとしたら、風俗の世界、性が商品化された限界の世界に行くしかないのではないかというおそろしくも、せつなく哀しい気持ちに襲われるのである。
永沢光雄の素晴らしさは、とうぜんのことながらまず「相手から聞き出す」ことにある。だが、もう一つ「聞き出したことに反応する」素晴らしさも忘れてはならない。
ロリコンショップを取材した永沢光雄は最後にこう書き記す。
僕は女が大好きだ。たまには尊敬さえしたりする。そして、僕は好きな女とつき合う時、がっぷり四つに組み合って、『恋愛』をしたいと思う。要は、その好きな女に向かって、『愛してる、大好きだ!!』と言えばいいだけの話だ。それでフラれれば、一週間ぐらい、ワンワンと泣けばいい。
簡単に、自分の中に永遠に続く傷を残すものじゃない。
いい年をして、十二歳の女の子に性欲を感じるんじゃない!!
『でも僕らがいなかったら、あの彼らのエネルギーはどこへ行っちゃうと思いますか? 恐いですよね』
と田中さんは言った。
永沢光雄は「人間」の声を引き出し、それに対して「人間」として反応する。それが綺麗事ではないことを承知しつつ、彼はあえてそうする。
わたしたちには「永沢光雄」というジャンルが必要なのだ。
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