戦後五十年の次は二十世紀の百年で、ここ当分歴史回顧が続くことになりそうだ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1995年)。でも一時(いっとき)の回顧では到底追いつかぬほど急速に、様々な分野で日本近代を支えた人々の存在が忘れ去られていく。とりわけ戦前の日本政治を評した豊饒(ほうじょう)な言葉の世界の担い手たちに、その感が深い。それでも長谷川如是閑(にょぜかん)、清沢洌(きよし)、馬場恒吾などは、辛うじてまだ健在と言うべきか。
水野広徳もそんな世界を担った一人だ。彼の鮮やかな蘇(よみがえ)りは、著作集刊行に先立つ猪瀬直樹著『黒船の世紀』においてだったことは記憶に新しい。そう、日米未来戦記ものの書き手の一人としてである。
無論水野の描き出す世界は、日露戦記や渡欧記に始まり自伝など長編だけとっても幅広い。しかも水野がもの書きとしてユニークだったのは、海軍軍人(大佐)出身の軍事・政治評論家として、常に軍部の政治的肥大化に批判的だった点にある。第一次世界大戦後の戦場視察にて思想上のコペルニクス的大転回をとげた水野は、軍服を脱ぎ捨て自由主義・平和主義の立場を明確にする。
歯に衣着せず直截(ちょくせつ)なものの言い方を好む水野の評論が、元軍人の背景があるだけによけいのことやがて国家から要注意のレッテルをはられることになるのは不思議ではなかった。正教は異教よりも異端に対して厳しいものだからである。
日中戦争下、唯一残された昭和十四年の日記には同期の野村吉三郎や小林躋造(せいぞう)との変わらぬ交遊ぶりや、自由主義的な評論家の集まりたる二七会での清談を楽しむ水野の姿が伺える。河合栄次郎事件に際して「蓋(けだ)シ喧嘩(けんか)両成敗カ河合氏ノ大学ヲ去ルハ惜シムベシ国家ノ損害ナリ、軍人文相ニ軍人総長、日本学界ノ名誉ナルカナ」と記し、独ソ不可侵条約締結に際して「日本亦(また)独逸(ドイツ)ノ防共協定蹂躪(じゅうりん)ニ茫然(ぼうぜん)タリ。惚(ほ)レタ女ニ逃ゲラレタ体ナリ」「こんな筈(はず)ではなかったと腕を組み」と記しているのに、水野の面目躍如たる趣があろう。
なお各巻末の解説には、戦後的価値観では捉(とら)えきれぬ水野との苦闘の跡がしのばれ、興味深い。
【この書評が収録されている書籍】