書評
『幕末・維新の新視点 孝明天皇と「一会桑」』(文藝春秋)
維新は薩長だけの力じゃない
以前、早乙女貢の歴史小説『会津士魂』を読んで、幕末・維新に対するイメージがずいぶん変わった。それまで抱いていたのは、幕府側は変化を恐れる無知蒙昧かつ頑迷な人びとで、薩摩や長州は開拓精神あふれた進歩派だ、という印象だった。だが、そうしたイメージは明治以降、薩長によって作られたもの。いわば勝者による歴史である。家近良樹の『孝明天皇と「一会桑(いっかいそう)」』は、もっと公平に幕末・維新を見てみると……という本だ。書名にある「一会桑」というのがわからなかった。そういう偉い坊さんでもいたのかと思ったら、一橋(慶喜)と会津藩、桑名藩のこと。歴史は薩長だけが作ったわけじゃない、孝明天皇と一橋・会津・桑名の動きも大きかったんだよ、というのが本書のいいたいことである。それを薩長だけでなく朝廷や一会桑それぞれの人びとの動きを丹念に追って立証している。
通読して、「なんでこんなことに気づかなかったんだろう」と思った。だって、薩長がススんでて、幕府がオクれてた、ってだけなら、なんであの時点で倒幕・維新になったのか説明できないもの。もっと早くてもよかったはずだ。そうではなくて、べつに薩長が圧倒的有利だったのでもなく、たまたま慶喜の大ポカなどがあって歴史は転がった、というわけである。
歴史は偶然の積み重ねでしかない、だがその底流には大きな必然がある。なぜ幕府政治は終わったのか。その問いに対して著者は次のように答える。
薩長両藩がはたした役割よりも、もっと大きな功績をあげた何物かが他にあったとみざるをえない。それが何かといえば、いままでの政治体制では駄目だという多くの人々の思いであった。
世の中がぐちゃぐちゃになると、よく英雄待望論が顔を出す。いまだって「坂本龍馬がいれば……」なんてジジババはいいたがる。だけど、歴史を動かすのは大衆。英雄なんてその尻馬に乗るだけなのである。