書評
『イタリア・ルネサンスの文化 上』(筑摩書房)
「万能人」史家による類稀なる名著
もう四〇年以上も前のこと、ある西洋史研究会後の酒宴の席だった。古老の大家が「近ごろの若い研究者の論文は緻密にはなっているが、ちっとも面白くない。やはりブルクハルトの本のような雄大で緊張感のあるものを読みたいね」と語っておられた。評者も古老の域に近づきつつある昨今、まったく同感である。「ルネサンス」といえば、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロなどの絵画や彫像が思い浮かぶ。その陰翳(いんえい)にとむ華麗さに目をうばわれ、この時代が造形美術とともに始まったかの印象をもつ人々が少なくない。
だが、ブルクハルトはまずもって「教養が芸術に先行する」ことを強調する。とくにイタリアにおいてはその感が深く、イタリア人は「ヨーロッパの息子たちの長子」となったという。そのために、膨大な資料群の森林に踏みこみ、さりげなく区分けして近代文化の原像としての全体図を描きだす。その巧妙な腕前はお見事!と感嘆せざるをえない。
ところで、イタリア人を早くして近代的人間の姿に造りあげたのは、なによりも彼らの国家の性質であるという。それは、共和国と専制国家を問わず「精緻な構築体としての国家」であり、本書の第一章の題名をなしている。
政治的出来事が優先されるからといって、歴史を物語る常道の名残りではない。フィレンツェの例に見られるごとく、ルネサンス期の国家は数世紀にわたって合理的に改造されており、国家とあらゆる事柄とを「客観的に考察し、かつ処理する精神が目覚める」時だったという。この主張の当否はともかく、古代の再生や華麗な造形美術に注目しがちな読書人には、人類史上突出した時代があらたな意味で迫ってくる。
このような権力の集中にともなう不穏な政治・社会情勢のなかで、そこに生きる人間が個人としての認識に到達する。精神的存在であることを自覚した個人は、自分の出自や相続財産によらず、もっぱら自分の力量と判断力にもとづいて行動する。そこには「人目を惹(ひ)くこと、他人と違っていること」を「はばかるような人間は一人もいない」という。
このような個人が登場するからこそ、それを槍玉(やりだま)にあげる嘲笑や機知が生まれる。まず十四世紀にはダンテが現れ、その侮蔑の表現によってすべての詩人は後塵(こうじん)を拝した。たとえば、詐欺師たちであふれる地獄の風俗画の描写だけでも、『神曲』は原題の「神聖喜劇」にふさわしい最高の巨匠の傑作喜劇なのである。やがて毒舌家も輩出し、「《真実》は憎悪を生ず」という金言も出てきた。
ところで、ルネサンスはしばしば「古代の再生」運動として語られるが、それは古代の遺産をたっぷりと受け継いだイタリアの民族精神と結びついたからである。このために、第二章「個人の発展」に第三章「古代の復活」がつづく。
古代建築・芸術の遺物よりもさらに重要なのは、ギリシア語やラテン語の古文書である。すでに十四世紀には、古代作家のギリシア語写本やラテン語訳、あるいはラテン語の詩人、歴史家、雄弁家などの写本が流布し、ボッカッチョやペトラルカの世代を夢中にさせたらしい。メディチ家はこれらの書物購入の費用にはいくらでも融通したという。修道院を中心に図書館が作られ、古代文化を理解する人文主義者が登場した。
中世の制約を脱し、個性を伸ばし、古典古代に訓育されながら、イタリア人の眼(め)は外界に広がり、第四章「世界と人間の発見」が浮かびあがる。ジェノヴァ人コロンブスは遠洋航路の発見に乗り出した多くのイタリア人の一人であったにすぎない。さらにまた、自然を研究するだけでなく、イタリア人は「風景美」を知覚し楽しむ。その類の最初期の人々だったという。まずは、詩人たちのなかで、絵画の営みよりずっと以前に、風景や風俗の描写と出会うのだ。
イタリアでは都市において貴族と市民が入り交じって住んでいた。第五章「社交と祝祭」では、個性の現れとしての服装・服飾の流行、女性の地位や教養などにも注目し、社交生活における楽器と名手などの音楽愛好とともに、民衆の祝祭行事のさまざまな形が俎上(そじょう)にあがる。
最後の第六章「習俗と宗教」では、深刻な不道徳とならんで高貴な人格との調和があり、そこから個性ある生を讃美(さんび)する華麗な芸術が発達したという。自然と人間とのかかわりが変化したことから精神の世俗化は避けがたかったが、イスラム教をはじめとする他の宗教への寛容が生まれたものの、聖なるものへの批判の始まりでもあった。
ブルクハルトの原書は一八六〇年の初版である。それから一六〇年も経(た)つから、「十二世紀ルネサンス」論をはじめとして諸所に批判はあるだろう。美術史への言及が少ないことも不満の種になる。だが、著者自身が語るように最もルネサンスらしい人間類型が「万能人」であるなら、視野の広さ、洞察の深さ、直観の鋭さ、さらに叙述の精彩さにとむ本書は、まさしく「万能人」史家の巨匠にしか描けない類稀(まれ)なる名著である。本書は読者の人生をことさら豊かにしてくれるにちがいない。