「文法装置」に注目し脳内を探る
言葉ほどふしぎなものはなく、人間を知るには言葉を知らなければならないと言ってもよいように思うが、多様な言語の個別の研究はあっても共通性は見えて来ない。そこに、人間の脳には「言葉の秩序そのもの」があらかじめ組み込まれているとし、「普遍文法」という魅力的な考え方を出したのが、N・チョムスキーである。もっともその主張にはわかりにくいところがあり、「世界で最も誤解されている偉人」と著者は言う。筆者もその考えの理解が難しかった。「かった」と過去形にしたのは、著者による理路整然とした明快な解説(専門家から出されている批判までも含めて)で分かったように思えてきたからである。
「人間は『言葉の秩序』を学習によって覚えるのではなく、誰もが生まれつき脳に『言葉の秩序』自体を備えている」。この言葉を支える基盤が三つあげられる。話され書かれた文の集積データ(コーパス)からパターンを抽出する方法で言語を解析せず、名詞・動詞などの特性を表す「素性」のはたらきに法則性を探すこと。なぜ子どもはこれまでに聞いたことのない文をつくれるようになるのかという「プラトンの問題」に答えること。文は必ず木構造(枝を出す構造)をもち階層性があり、同じような構造をくり返しあてはめて(再帰性)どんなに長い文も作れること。以上である。著者はこれを言語学をサイエンスにしたという。文に意味があるかどうかは別問題、文法的に正しく意味のない文はいくらもある。ここにあげた再帰性と階層性が文法を考える鍵と言える。
著者は、チョムスキーの主著『統辞構造論』を徹底的に読み、ここで言う文法の本質を解説する。統辞とはまさに「文を構成する時の文法規則」であり、チョムスキーはこう語る。「統辞論(syntax)は、個別の言語において文が構築される諸原理とプロセスの研究である。ある言語の統辞的研究は、分析の対象となっているその言語の文を産み出すある種の装置と見なせるような文法を構築することを目標としている。」
ここで著者が注目するのが「装置」という言葉であり、この文脈で「装置」と言えば脳であろうという。そして脳科学者として脳内に装置を探っていく。これまでにも言語に関しては「失語症」の研究が多くなされたが、注目は脳の入力と出力にだけ向けられてきた。理解(入力)の障害を「ウェルニッケ失語」、発語(出力)の障害を「ブローカ失語」と呼び、それぞれに相当する部位が知られている。実は「文法」の機能を失ったと思われる症例があるが、文法を担当する部位があるとは考えない研究者が多いのだ。
文法に関わる部位があるはずだと考えてfMRIなどを用いての実験を続けた著者は、脳内に語彙(ごい)・音韻・読解・文法に相当する部位があり、相互に関わり合いながらはたらいていること、その中で文法装置が車のエンジンの役割をしていることを見出す。
実は、文法装置があると分かってきた部位は、これまで短期記憶に関わるとされてきた場所と重なるのでこれを区別しなければならない。「太郎は、三郎が、彼を、ほめると、思う」というような文を見せて文法上の判断と記憶の有無を区別できるような問いを立てるという、よく工夫された方法で解答を導くプロセスは興味深い。更に文法中枢の損傷による「失文法」を確認した。これぞ「文法装置」と言ってよかろう。まだまだ検証すべき事実はある。一つ一つ石を積んでいくという著者に期待する。