すぐに答えを求めず 待つこと、聴くこと
日々は流転しているので、ある地点や瞬間を書き留める時に、その体はどこかしら無理をしている。目の前で起きていることと頭の中の思索をそのまま混ぜ込んだらどんな文章が生まれるのだろうと、毎日のように思うのだが、なかなかできそうにない。その混ぜこぜを実現させたのがこの本、なのかもしれない。タンザニア、ガーナ、インドなどで調査を行ってきた文化人類学者は、長期のフィールドワークの間、生活の中心を占めるのは「待つこと、そして聴くこと」とこたえる。出会い、通過していく、「霊媒」のような役割を果たしてきた。
ガーナ北部の村で、土壁の外から「キャイーン……キャイーン……」と響く奇妙な声を聞く。そこから著者は、祖母の葬儀を思い出し、南インドのコーラムにふれ、松尾芭蕉の句を持ち出す。めぐりながれて、未知の場所へと連れ去られるのが、人間の営みなのだ。
スコットランドに滞在していたころ、娘を連れて幼稚園に行くと、親密な感じがした。なぜかといえば、「部屋の中に目の届きにくい場所や、濃淡の陰影がある」からだった。一方で日本の小中学校は「のっぺりとした構造」にある。人が生きる上で「豊かな隅っこに恵まれている」かどうかは重要なのだ。
隅っこを欲するということは、人の目を気にし、同時に、人の目から逃れたいと思うということ。他者の存在を感知しながら、自分の考えを蓄えていく。そのために、待って、聴くのだ。
「ひとつひとつの具体的なものから、考えていくしかない」。ある地点や瞬間に、すぐに答えを求めるのではなく、空間や時間をまたぎ、日々の営みに吸収していく。著者の思索と、読み手の頭の中が時折リンクする。いつの間にか対話が始まる一冊だ。