書評
『アメノウズメ伝―神話からのびてくる道』(平凡社)
風穴をあける力
七月、晴れて婚を解かれたものの、体の中を風が吹くようなこの気分は、さっぱりしたのか、淋しいのかわからない私であったけれど、やはりなにか元気のでる薬が必要だった。鶴見俊輔『アメノウズメ伝――神話からのびてくる道』(平凡社)。今年、一番ありがたかった本。
小学校で習った『古事記』は国家の都合で語られる神話だった、と著者はいう。だが十数歳のとき、オーストラリアで「ストリッパーの神」と訳されたアメノウズメに出会ってから、そのいきいきとしたイメージが育ちつづけ、この本が生まれた。弟のスサノオの乱暴に機嫌を損ねたアマテラスが洞窟にこもり、闇の世となり不吉な気分がたちこめる。そこでアメノウズメが登場し、胸もあらわに腰紐を陰部までおしさげて踊る。自分がいないのに、どうして皆が楽しみ笑うのだろう、といぶかしく思うアマテラスを岩戸の奥から引き出す力を、アメノウズメは持っていた。著者は「じかに」この小さな女神とつきあいたいと思った。
とどのつまり、いまこの社会に「アメノウズメ」的なものが必要だ、と著者はいいたいのだと思う。管理社会に人びとががんじがらめになり、声を出したり踊ったり、の原初的な欲求が押さえられているこの時代に。それをペレストロイカだグラスノスチだ、スエーデン流の分権と自治だ、と外から持ってこなくても、日本人そのものの歴史に耳を澄して、そういう自由闊達なこころを取り戻すことはできないか。
小杉放菴描くアメノウズメの衣裳に触れているくだりも印象的だ。いってみれば〈アッパッパ〉。現在の着物教室的な固い着付ではない。布をゆるやかに身にまといつかせた国際色ゆたかな衣。それを着てアメノウズメは、太陽の光をあびて生きるもののたのしみをうたう。
アメノウズメらしい特長とは何か。
①美人ではないが魅力がある(ファニーフェイス)、②世間体にとらわれぬ自由な動きをする、③気分にさそいこんで一座を楽しくする、④生命力にあふれ他人の活気をさそう、⑤笑わせる、不安をしずめる、⑥性についての抑制をこえるはたらきをする、⑦外部の人を警戒せず開かれている、とあげ、その例として、北村サヨ、一条さゆり、瀬戸内晴美、田辺聖子らの生き方を評価しなおす。なんというユニークな人選。どの人もたっぷりしているのが太目の私にはうれしい。
たとえばシカゴ駅頭の北村サヨはどうだろう。風呂敷包を持った和装だが人間としてどこでも通じそうだ。異国にある不安や卑下がいささかもない。恋愛遍歴ばかりが強調される瀬戸内晴美への見方もあたたかい。感情の真実を守った女たちに心を寄せ、仏門に入ってなお権力側にくみせず生きる点を高く買う。
秋の一日「DIY共同企画会議」(生活クラブ生協の共同購入にかける本を選ぶ会)で、この本をめぐって話し合った。話があっちゃこっちゃ飛んでむずかしいという組合員の意見もあった。たしかに、著者の心のおもむくままに、オバタリアン論、ベトナム脱走兵の話、石川三四郎の裸体会議やオナイダ・コミューンの話まではさまっていくが、これはいかにもこの本らしい形式で、内容を豊富化していると思った。著者の女性への、インテリの大衆へのコンプレックスから土俗的な女性像を美化しすぎでは、という率直な意見もあった。瀬戸内さんは業にからめとられた女を描いてドロドロしており、アメノウズメならあっけらかんと脱いじゃった宮沢りえの方がぴったり、という意見も出た。でもさ、アメノウズメは金もうけのために脱いだわけじゃないし、もし人間だったら恋愛でドロドロ悩んだかもよ、と私は思う。
とにかく、この本の女性へのエールに励まされ、近ごろになく心が開いて話し合う時間を持てて幸せだった。
ソ連、東欧や中国の動きを見ても、「血を流さない変革は可能か」ということがこのところ私の頭の中にある。同時に生活の中では、生協にしろ保育園にしろ自然や歴史を守る運動にしろ、消耗したり観念で叫ぶのでなく、やればやるほど活力が出て解放される活動のし方ってないかな、といつも思っている。『アメノウズメ伝』はこの二つを考えるきっかけになる。
【単行本】
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

DIY(終刊) 1991年12月~1992年8月
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