前書き

『人類は噛んで進化した:歯と食性の謎を巡る古人類学の発見』(原書房)

  • 2019/10/04
人類は噛んで進化した:歯と食性の謎を巡る古人類学の発見 / ピーター・S・アンガー
人類は噛んで進化した:歯と食性の謎を巡る古人類学の発見
  • 著者:ピーター・S・アンガー
  • 翻訳:河合 信和
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(380ページ)
  • 発売日:2019-08-23
  • ISBN:4562056789
内容紹介:
巨大な大臼歯を持つ早期ヒト族は何を食べ、どんな環境で生きていたのか。歯と顎(あご)、咀嚼(そしゃく)に注目して人類の進化を解明しようとした著者は、歯の摩耗痕や骨の炭素同位体比などを追及するうち、従来の見方を覆す衝撃の復元像に導かれる。
早期ヒト族は何を食べ、どんな環境で生きていたのか。
歯と顎、咀嚼に注目して人類進化を解明しようとした著者は、歯の摩耗痕や骨の炭素同位体比などを追及するうち、従来の見方を覆す衝撃の復元像に導かれる。

歯は人類の進化について何を教えてくれるのか

人は誰でも口中に進化の遺産を持っている。自然は、何万世代にわたって我々の歯の形態を変えてきた。祖先が生きるために食べてきた食物を噛むのに適した道具へと、である。そして人類の起源を研究する私の仲間の古人類学者たちは、そのことに考えをめぐらせるのに膨大な時間を費やしている。歯こそ、過去へと渡す古人類学者の架け橋なのである。歯から、ある種から次の種へという諸々の変化を追跡でき、それにより人類進化を追究できる。一方で一緒に研究できる化石頭蓋と骨格も、確かに見つかっている。
しかし歯は、それでも特別なのだ。歯は数百万年間も、事実上、その本質を変化させずに維持されてきた極めて好都合な化石である。さらに重要なのは、歯は消化器系の中で最も保存されやすい部分だということだ。だから歯は、我々の祖先の食性を解明する最高の手がかりとなる。研究者たちは、歯のサイズ、形状、摩耗パターンを観察し、その化学成分を追究し、とっくに絶滅した種が食べた食物を推定する研究を行っている。

歯を使って食性を復元できるので、歯はある絶滅した種の自然界での位置を解明する鍵ともなる。映画『ウディ・アレンの愛と死』では、監督・主演したウディ・アレンが主役を演じたボリス・グルシェンコに、自然のことを「大魚が小さな魚を飲み込み、植物が別の植物を犠牲にし、動物が動物を食う」と語らせた。さらに彼は、こう続けた。「私の見るところ自然とは、大きなレストランみたいなものだ」。
私も、自然をビュッフェと考えるのを好む。そこでは動物は、自分の棲む生物圏のどこであれ、そこに暮らす生き物たちの中から好みの生き物を選んで食べることができる。この「生物圏のビュッフェ」に盛られた食物は、変化しつつある環境条件に合わせて常に内容が交換され続ける。
例えば果実や葉は、気候が冷涼化したり乾燥したりすると、そこの森林はサバンナに変化するから撤去され、それにつれてメニューは草の根と塊茎類に変わる。それまでと違ってしまった居住環境は、食物、選択肢、種と環境との関係が以前とは変わることを意味する。すなわち種が食物を選ぶことは、別の生き物との関係、食う者と食われる者との関係、周りのより大きなコミュニティーの中での種の位置を明確にする助けとなる。

本書では、歯、食べ物、ヒトの起源の話を述べていく。私の目標は、祖先の食物を理解するのに歯が利用できること、それを拡大して自然界における私たちヒトの位置、さらにヒトがどのようにして現生する種になってきたのかを示すことである。
この物語の核心には、祖先を取り巻いた気候と環境の変化の影響がある。それは、種としてのヒトの成功は、どんどん変わってゆき予測不能になった太古の世界に、我々の祖先が少なからず巧みに対処していったためにもたらされたということを科学者が理解し始めてから、やっとはっきり見えてきた物語である。

地球というシステムの科学と古気候の研究から新たな洞察力を得て、そこに歯がどのように作用したのかという新しいアプローチと、それに古生物学、霊長類学、考古学やさらにその他の分野の新たな発見を結びつけて考えていけば、過去のヒトの暮らしとその暮らしが時と共にどのような変遷をたどったかについて、今よりもっと完全な見方に到達できる。物語は、分かりやすい方がいい。広がりつつあるサバンナは、我々の祖先に木から下りるように誘った。そしてその挑戦が、祖先を人間にした。

しかし現実には環境条件が過去に湿潤と乾燥の間で行きつ戻りつ変動したことが今、明らかになりつつある。この変動こそ、ヒトの中で食物に融通の利かない連中を排除するように働き、絶え間なく変化する生物圏のビュッフェから、それがどんな物であろうと気にせずに自分たちの皿を山盛りにできる食物を見つけ出せる融通無碍なヒトだけを生き残らせたのだ。
私たち人類は、最も食に選り好みをしない霊長類である。山野をうろつき回っても、どこでも満足のゆく食物を見つけ出せるのだ。それが、人類が世界を征服するようになった理由である。気候変動こそ、ヒトを人間にした原動力であり、進化がその機会をもたらしたのである。

私は、人類進化の全体像を見るのに役立てるべく、さらにまた過去三〇年間に及ぶ研究から学んだことを広く知らせるために、本書の執筆を決めた。しかしいざ人類進化について考え始めた時、科学そのものに単なる物語以上の意味があることが明らかになってきた。現在我々が有する知識をもたらしてくれた先人の情熱、アイデア、決断もある。彼らはその物語を説得力あるものにし、生命を吹き込んでくれたのだ。
さらに次章以降では、ここに至るまでの私の研究仲間や他の科学者たちを訪ねながら、読者は世界中を旅することになる。また科学者たちの発見と過去を知るための新しい道への案内図により、読者は過去を振り返ることにもなる。

まずは歯から、歯はどのように機能し、どのように使われてきたかを見ていくことから始めよう。自然はある任務をこなすのに最良の道具を選ぶと仮定すると、それぞれ違う食物を食べる動物は、それに合った歯を持つはずである。
だから歯がどのように働いていたかを理解することは、歯の形態と機能との間の関係を解明する最初のステップとなる。そしてそうした関係の答えを出すことが、歯を用いて化石の種の食性を復元する基本的作業である。

だが、それでは十分ではない。現生のサルを野生のままにその生息地で観察することで、食物の選択はある個体が何を食べられるかをはるかに超える意味があることが分かる。歯がどのように機能するかということとどのように用いられているかの間の違いは、食性、自然界での位置、そしてつまるところは進化を解明する鍵になる。これが、古生物学の通常の仕事、すなわち動物たちは歯を進化させてきた食物に自らの歯を特殊化させざるを得ないという仮説の出発点である。
確かにすべての動物種は、歯の解剖学的構造によって食べられるものが制約されている。だが、それと同様にテーブルの上の皿は次から次へと変わっていき、時とともにすっかり変容してしまうということを思い起こすのも重要である。言い換えれば食物の選択は、食性の適応ということばかりでなく、何を食べることができるのかということでもある。選択肢が変われば、食物も変わり、それとともに生物とその環境との関係もまた変わるのである。

歯の機能についての実験室で分かった知識と、歯がどのように使われているかの森での観察から得た知見で、過去に向かって前進できる。人類進化研究の配役、すなわち化石の種とそれらを見つけてその意味を究明する研究者たち双方の役割を、これから考察していく。

人類の進化は動物を取り巻く変化しつつある世界によって何らかの形で引き起こされたという考えは、別に新奇なものではない。しかし科学者が地球の気候の歴史を詳しく選別・整理し、太古の環境を復元しているので、我々の祖先は拡大しつつあるサバンナに対応すべく樹上から下りたという古いモデルは、砂上の楼閣のように崩れている。
地軸の傾きのふらつきと太陽周回の軌道の変遷が気候変動の指標になり、移動する大陸が我々の住む安定しない惑星の顔を変貌させる、と我々は教えられてきた。人類の揺り籠は、単純に冷涼化し、乾燥化したわけではなかった。環境は、時と共により激しく行きつ戻りつ変動したのである。我々の祖先は、ますます予測不能となる世界に直面し、それが人類の進化を促す反応となったのだ。

ではそうした反応とは、何だったのか。自然が生物圏のビュッフェの盛り皿を変えた時、祖先は取り皿をいっぱいにすべく何を選んだのか。歯の化石のサイズと形状がその手がかりを与えてくれるが、そうしたものは、祖先が日常的に実際に何を食べていたのかということよりも食べられた物についての情報である。
だから生きている間に摂られた食物によって残された、私が「食跡(foodprint)」と呼ぶ手がかりに目を向けなければならない。歯の咬耗の特徴的なパターンと歯の組織の化学組成は、右記の食い違いを埋めるのに役立つ。それができてやっと、祖先が生きた生物圏という大きなコミュニティーの中での、そして自然の中での祖先が占めた位置が分かり始めるのだ。

人類史においては、食以外にも大きな変遷があったが、それを探究する新しい研究法を使うこともできる。変化した地球環境は、どのようにヒトを人類にしたのか。それこそ、我々の生物学上の属であるホモ属の起源についての物語、ホモが地球全体に広がるのに不可欠だった多くの技術を駆使できる才を与えた狩猟採集生活の始まりになる。さらに彼らは、どのようにしてゲームのルールを変えてビュッフェに食物を加えたのか。それが、新石器革命、すなわち食料収集から食料生産、農耕への移行の物語である。
ここに至るとサルと類人猿は、もはやモデルとして役立たない。この場合、今日もなお野生動物と野生植物を狩猟採集して生活している、世界にわずかに残った人々に目を向けねばならない。彼らの祖先は、食料生産という流行に決して飛び乗りはしなかったのだ。考古学者たちは、こうした一連の移行を記録し、説明を加えるために、これまでに大量の土を剥がしてきた。早い話が、これらの変化・移行とも環境変化に密接に結びつけられ、祖先の歯と骨に読み解ける印を残したのである。

これは現在まで続くのだが、思わぬ面白い展開で過去にまで話は遡る。というのは旧石器時代の食が、今日、とても人気があり、私が行っている種類の研究に関心が集まっているのだ。現在摂っている私たちの食とそれを食べるために進化した身体との間に不一致、不均衡がある、と多くの研究者が論争している。彼らは、これこそが私たち現代人の保健システムを蝕む慢性の退行性疾患の大半を説明するものだと信じている。
事実、現代人の繁栄を導いた食の多彩さへの適応は、同時に繁栄の犠牲をも導いたのだ。現代人は必要をはるかに超える食を食べることが「でき」てしまう。人類を進化させたのは祖先の食性だけではなかったという単純な理由で、私は旧石器時代の食のファンではないが、進化の観点からの全体像が現代人の身体と幸福について多くのことを教えてくれるという点には疑問の余地がないと思っている。

本書は、最初から最後まで歯にまつわる話になる。人類以外の種は、並びが悪かったり、びっしりと込み入っていたり、時には歯茎に埋没したりしている齲蝕だらけの歯など持たない。それはなぜか。明らかなのは、我々の祖先は様々な時代に、様々な場所で、雑多な食べ物を食べていたのに、現代人の食物と歯との間には根本的な不均衡があるということだ。この観点から歯のことを考えていけば、歯はヒトの進化にいろいろ教えてくれるだろう。歯は、現代人を我々の祖先と結びつけてくれるのである。

[書き手]ピーター・S・アンガー(アメリカの古人類学者、進化生物学者。アーカンソー大学特別教授(DP)、環境動態プログラム・ディレクター。ジョンズ・ホプキンス大学医学部とデューク大学医療センターでも教鞭をとった)(河合信和訳)
人類は噛んで進化した:歯と食性の謎を巡る古人類学の発見 / ピーター・S・アンガー
人類は噛んで進化した:歯と食性の謎を巡る古人類学の発見
  • 著者:ピーター・S・アンガー
  • 翻訳:河合 信和
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(380ページ)
  • 発売日:2019-08-23
  • ISBN:4562056789
内容紹介:
巨大な大臼歯を持つ早期ヒト族は何を食べ、どんな環境で生きていたのか。歯と顎(あご)、咀嚼(そしゃく)に注目して人類の進化を解明しようとした著者は、歯の摩耗痕や骨の炭素同位体比などを追及するうち、従来の見方を覆す衝撃の復元像に導かれる。

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