解説
『ホット・ロック』(角川書店)
知り合いの編集者Aは愉快なおしゃべり野郎で数かずの名言を残しているが、中でも私が気に入ったのは、
「うちの会社、キレモノが居ませんがクセモノは多いですね」
という発言だった。確かに。私は瞬間的にAの会社のいわゆる名物編集者数名を思い浮かべて笑った。そもそもA自身もそうとうクセモノ(曲者)である。そして私は画然と悟ったのだ。私は切れ者より曲者の方がずうっとずうっと好きなんだ、と。
ドナルド・E・ウエストレイクのドートマンダー・シリーズの一番の魅力もまた、私にとっては「曲者の多彩さ」にある。
主人公ドートマンダーを取り巻く常連登場人物から、ほんの一場面のみ登場の端役――一匹の犬に至るまで、人物の輪郭(見かけもパーソナリティも)が戯曲的に鮮明である。独得の癖や好みやルールを持った人びとである。愛すべき歪(ゆが)みを持った人びとである。
シリーズ第一作のこの『ホット・ロック』にはタラブウォなる国の国連大使アイコー少佐が登場するが、この人は身上調査書に格別の偏愛を抱いている。
ドートマンダー組の新顔二人を紹介された時の描写がおかしい。「アイコー少佐の心の一部は、この二つの名前をいとおしむように愛撫(あいぶ)しており、この会合が終わるのを待ちかねていた。この会合が終われば、二つの新しい身上調査書の作成を命じることができるからである」。
身上調査書によって他人の生活をのぞき見て、将棋やチェスの駒を手にしたごとく、人の運命を掌握する喜び。いかにも権力者にふさわしい趣味である。
さて。私もアイコー少佐にならって、まずは著者ドナルド・E・ウエストレイクの身上調査書を作成してみよう。
●子どもの頃から本を読むのが好きで、十一歳の時、初めて短篇小説を書く。以後、ミステリ、SF、ウエスタンなど短い物語を書いては手当たりしだいに雑誌に投稿するが、すべてボツにされる。二十歳の時、初めて雑誌に作品が掲載される。
●空軍に入隊するが、軍隊生活になじめずカレッジへ。卒業後はニューヨークに移り、出版エージェンシーのスコット・メレディスに勤務。心ならずもセックス小説を書く。
●タフなギャング小説『やとわれた男』を大手出版社のランダムハウスから出版。「ハメット=チャンドラー=マクドナルド派の後継者」と激賞される。
●リチャード・スタークという筆名でハードボイルド・タッチの『悪党パーカー/人狩り』を出版。この悪党パーカー・シリーズが、刑務所からリチャード・スタークあてのファンレターが届くほどの人気シリーズになる。
●一九七〇年頃、悪党パーカーのシリーズ新作を書き始めた時に、パーカーの柄ではないようなアイディアを思いつき、そのアイディアを捨てるのが惜しくて、ドートマンダーという別キャラクターを使うことにする。そこで生まれたのが『ホット・ロック』で、ドートマンダーものはこれ一度だけと思っていたのだが、その後、またしてもドートマンダーものにピッタリのアイディアを思いつき、『強盗プロフェッショナル』を書く。
●かくして生まれたドートマンダー・シリーズの著作リストは以下の通りである。
The Hot Rock(一九七〇) 『ホット・ロック』平井イサク訳/角川文庫
Bank Shot(一九七二) 『強盗プロフェッショナル』渡辺栄一郎訳/角川文庫
Jimmy the Kid(一九七五) 『ジミー・ザ・キッド』小菅正夫訳/角川文庫
Nobody’s Perfect(一九七七) 『悪党たちのジャムセッション』沢川進訳/角川文庫
Why Me(一九八三) 『逃げだした秘宝』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
Good Behavior(一九八五) 『天から降ってきた泥棒』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
Drowned Hopes(一九九〇)
Don’t Ask(一九九三) (※ALL REVIEWS事務局注 『骨まで盗んで』木村仁良訳/ハヤカワ文庫)
●ドナルド・E・ウエストレイク名義ではドートマンダーものの他に、もっかのところ以下の作品が翻訳されている。
The Mercenaries(一九六〇) 『やとわれた男』丸本聰明訳/ハヤカワ・ミステリ文庫、The Smashersに改題
Killing Time(一九六一) 『殺しあい』永井淳訳/ハヤカワ・ミステリ文庫、The Operatorに改題
361(一九六二) 『361』平井イサク訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
Killy(一九六三) 『その男キリイ』丸本聰明訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
Pity Him Afterward(一九六四) 『憐れみはあとに』井上一夫訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
The Fugitive Pigeon(一九六五) 『弱虫チャーリー、逃亡中』志摩隆訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
God Save the Mark(一九六七) 『我輩はカモである』池央耿訳/角川文庫
Cops and Robbers(一九七二) 『警官ギャング』村杜伸訳/ハヤカワ・ノベルズ
Two Much!(一九七五) 『二役は大変!』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
Brothers Keepers(一九七五) 『聖者に救いあれ』小林宏明訳/角川文庫
Dancing Aztecs(一九七六) 『踊る黄金像』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
Enough(一九七七) 『殺人はお好き?』沢川進訳/早川書房
Castles in the Air(一九八〇) 『空中楼閣を盗め!』井上一夫訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
A Likely Story(一九八四) 『ニューヨーク編集者物語』木村仁良訳/扶桑社ミステリー
Trust Me This(一九八八) 『嘘(うそ)じゃないんだ!』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
私がドナルド・E・ウエストレイクの名前を頭に刻み込んだのは、ああ遥か昔、’70年代のことだった。
最初に読んだのは『ホット・ロック』だったろうか、それとも『我輩はカモである』だったろうか。スマートにふざけたイラストレーションの表紙に惹かれて読んだのだ。たちまちファンになった。当時の私は半失業状態で、軽症だが人嫌い状態に陥っていたので、ウエストレイク作品と出会ったのは、まるで「孤島に住むロビンソン・クルーソーが初めてフライデーの足跡をみつけたような気持」(←これはビリー・ワイルダー監督の傑作映画『アパートの鍵貸します』におけるジャック・レモンのセリフ)になったのだった。笑いのセンスがぴったり来た。「同族発見!」と思った。うれしかった。淋しい心を大いに慰められた。
私はハードボイルド小説にはほとんど興味がないので、リチャード・スターク名義の作品は読まなかったが、ドナルド・E・ウエストレイク名義の作品はドートマンダー・シリーズ以外のものでも、翻訳出版されるたび、いそいそと買って読んだ。
冒頭にも書いたように、ドナルド・E・ウエストレイクの、とりわけドートマンダーものの一番の魅力は「曲者の多彩さ」だ。
『ホット・ロック』冒頭の数行目にして、読者のうちの何割かはドートマンダーという男を好きにならずにはいられないだろう。「彼(刑務所長)は近ごろの公務員によくあるタイプの男だった。大学出で、筋骨たくましく、エネルギッシュで、革新的で、理想主義的で、人あたりがいいのだ。ドートマンダーは彼が大きらいだった」……。
ドートマンダーは盗み専門の職人肌の男。天才的犯罪プランナー。孤児院育ちの三十七歳。「見たところは、まず病みあがりの男というところだった。少し白髪がまじり、少し疲れていて、顔には少ししわがより、やせた体はどちらかといえば虚弱な感じを与える」「自分の考えを他人にうちあけない男、決断をくだすまでには時間をかけるが、ひとたび決断をくだしたら、あくまでもそれを実行する男」。
このどちらかというと陰性のドートマンダーに、能天気に前向きで陽性のケルプが絡んで来る。ドートマンダー組のナンバー2とも言うべきこの男の口癖は「うまい話があるんだ」。がいして人集めと車の盗みくらいしか役に立たない。ドートマンダーの義理のいとこ。酒の好みはシェリー。
車ぐるいのマーチ。おなじみのバー「OJ・バー&グリル」に到着すると、必ず車でどこをどう通って来たかをマニアックにまくし立てずにはいられない。ビールを塩で泡立てるのが好き。『ホット・ロック』では一場面しか登場しないが、このマーチのおふくろというのが豪快な、いかにもアメリカにいそうな女だ。
『ホット・ロック』ではまだ出て来ないが、ドートマンダーのつれあいとしてメイというチェーンスモーカーの女ものちにレギュラー・メンバーになる。
さらに作品ごとに人並はずれた特技を持った奇人変人がゲスト出演する。偽名の使いすぎで本名を忘れてしまった詐欺師A・K・Aとか、超巨体の「短気なマンモス」「低地版雪男」「恨みを抱く戦車」タイニー・バルチャーとか。
私には彼らの姿が鮮かに目に浮かぶ。似顔絵を描きたくなる。映画化するなら誰、とキャスティングを考えたくなる。落語の中の常連人物――ガサツ者の八っつぁん熊さんや軟派な若旦那の徳三郎やチャッカリした小悪党の左平次など――に何度でも会いたくなるように、ドートマンダー組の常連小悪党に会いたくなる。ドートマンダーものが三十年近くにわたるシリーズとして成功したのは、何よりもレギュラー・メンバーの人物造型の巧みさおかしさにあったのだと思う。
意表をつく犯罪アイディアもドートマンダー・シリーズの大きな魅力だ。『ホット・ロック』では警察署にヘリコプターで侵入したり、精神病院へ何と機関車で乱入したり、合い鍵も署名もなしに貸金庫の中の宝石を入手したり……。
舞台も道具立ても、派手で大きい。ダイナミックである。しかも! その描写はデリケートな笑いに満ちている。巨視的にも微視的にもウエストレイク流の笑いのセンスが息づいていて、楽しめるのだ。
私は、例えば『ホット・ロック』の次のようなレトリックに唸ってしまう。
私はこういうくだりを、まさに舌なめずりするような気持で読んでしまう。楽しい贅肉部分である。ハツラツとした描線の、かわいい一コマ漫画のようである。貸金庫内での合言葉「アフガニスタン・バナナ・スタンド」というのも、愛敬あふれるナンセンスだ。
私はどうも、こういう、贅肉部分がユーモラスに充実している犯罪小説が一番好きらしい。いわゆるユーモア・ミステリとかコミック・クライム・ノヴェルというジャンルのもの。’70年代から’80年代の初めにかけて、私はこのジャンルのものを、わりあい熱心に読んでいた。そして、
①ドナルド・E・ウエストレイク(ドートマンダー・シリーズ)
②ロバート・L・フィッシュ(殺人同盟シリーズ)
というのが二大御ひいきだった。ドナルド・E・ウエストレイクは近年さかんに再評価の動きがあり、こうして『ホット・ロック』『強盗プロフェッショナル』も復刊されることになったわけで、そのことに対しては「ありがたさに涙こぼれる」といった心境なのだが……ロバート・L・フィッシュのほうは消えゆくのみなのが残念でならない。ドナルド・E・ウエストレイクとロバート・L・フィッシュ。ミドルネームを持つこの二人の作品を読めば、日本で「ユーモア・ミステリ」の名のもとに幅を利かせている小説のいかにちまちまと薄味であるか、身にしみてわかろうというものだ(なあんて、ついつい一言多かった)。
最後に。ドートマンダーものは何本か映画化もされている(私同様、映画化するなら誰、とキャスティング欲を刺激されながら読んでいる人が多いってことですね)。
映画題名とドートマンダー役の俳優は次の通り。
●『ホット・ロック』←『ホット・ロック』 ロバート・レッドフォード
●『強盗プロフェッショナル』←『悪の天才たち』 ジョージ・C・スコット
●『ジミー・ザ・キッド』(日本未公開) ポール・ルマット
●『逃げだした秘宝』←『ホワイ・ミー?』 クリストファー・ランバート
悲しいかな、全員、ドートマンダーのイメージではない。私は長い間、ドートマンダーは(もう少し若い時の)クリント・イーストウッドに演(や)っていただきたいと切望していたのだが、数年前にウエストレイク自身が「ドートマンダーはハリー・ディーン・スタントンのイメージで書いた」と語っているのを知って、「あっ」と思った。そう言えば確かにうらぶれた感じはハリー・ディーン・スタントンだ。
しかし、それを知っても、私の頭の中ではやっぱりドートマンダーはクリント・イーストウッドなのだった。だから、昨年『目撃』という映画で、クリント・イーストウッドが黒装束に身を固めた職人肌の泥棒役で出て来た時は、ようやっと、ようやっと長年の夢が(少しだけだが)叶ったようでうれしかった。
映画版『ホット・ロック』はピーター・イェーツ監督の手がたい演出で、なかなか楽しい作品に仕上がっていた。登場人物や結末は少し変えていたけれど。
狡猾(こうかつ)な弁護士の役を晩年の喜劇俳優ゼロ・モステルが演じていて、そのふてぶてしく、しかしどこか憎めない表情の変化が絶品だった。あ、それから「アフガニスタン・バナナ・スタンド」という言葉に呪縛される貸金庫係のおやじ俳優の表情も。
今のスターでは、ドートマンダー役は思いつかないが、ケルプ役は断然スティーブ・ブシェーミだなあ。監督は『ユージュアル・サスペクツ』のブライアン・シンガーにお願いしたい……なあんて、勝手にキャスティングを楽しんでいる。
【この解説が収録されている書籍】
 
 「うちの会社、キレモノが居ませんがクセモノは多いですね」
という発言だった。確かに。私は瞬間的にAの会社のいわゆる名物編集者数名を思い浮かべて笑った。そもそもA自身もそうとうクセモノ(曲者)である。そして私は画然と悟ったのだ。私は切れ者より曲者の方がずうっとずうっと好きなんだ、と。
ドナルド・E・ウエストレイクのドートマンダー・シリーズの一番の魅力もまた、私にとっては「曲者の多彩さ」にある。
主人公ドートマンダーを取り巻く常連登場人物から、ほんの一場面のみ登場の端役――一匹の犬に至るまで、人物の輪郭(見かけもパーソナリティも)が戯曲的に鮮明である。独得の癖や好みやルールを持った人びとである。愛すべき歪(ゆが)みを持った人びとである。
シリーズ第一作のこの『ホット・ロック』にはタラブウォなる国の国連大使アイコー少佐が登場するが、この人は身上調査書に格別の偏愛を抱いている。
ドートマンダー組の新顔二人を紹介された時の描写がおかしい。「アイコー少佐の心の一部は、この二つの名前をいとおしむように愛撫(あいぶ)しており、この会合が終わるのを待ちかねていた。この会合が終われば、二つの新しい身上調査書の作成を命じることができるからである」。
身上調査書によって他人の生活をのぞき見て、将棋やチェスの駒を手にしたごとく、人の運命を掌握する喜び。いかにも権力者にふさわしい趣味である。
さて。私もアイコー少佐にならって、まずは著者ドナルド・E・ウエストレイクの身上調査書を作成してみよう。
ドナルド・E・ウエストレイク(Donald E. Westlake)
●一九三三年、アメリカのニューヨーク州のオルバニーで育つ。●子どもの頃から本を読むのが好きで、十一歳の時、初めて短篇小説を書く。以後、ミステリ、SF、ウエスタンなど短い物語を書いては手当たりしだいに雑誌に投稿するが、すべてボツにされる。二十歳の時、初めて雑誌に作品が掲載される。
●空軍に入隊するが、軍隊生活になじめずカレッジへ。卒業後はニューヨークに移り、出版エージェンシーのスコット・メレディスに勤務。心ならずもセックス小説を書く。
●タフなギャング小説『やとわれた男』を大手出版社のランダムハウスから出版。「ハメット=チャンドラー=マクドナルド派の後継者」と激賞される。
●リチャード・スタークという筆名でハードボイルド・タッチの『悪党パーカー/人狩り』を出版。この悪党パーカー・シリーズが、刑務所からリチャード・スタークあてのファンレターが届くほどの人気シリーズになる。
●一九七〇年頃、悪党パーカーのシリーズ新作を書き始めた時に、パーカーの柄ではないようなアイディアを思いつき、そのアイディアを捨てるのが惜しくて、ドートマンダーという別キャラクターを使うことにする。そこで生まれたのが『ホット・ロック』で、ドートマンダーものはこれ一度だけと思っていたのだが、その後、またしてもドートマンダーものにピッタリのアイディアを思いつき、『強盗プロフェッショナル』を書く。
●かくして生まれたドートマンダー・シリーズの著作リストは以下の通りである。
The Hot Rock(一九七〇) 『ホット・ロック』平井イサク訳/角川文庫
Bank Shot(一九七二) 『強盗プロフェッショナル』渡辺栄一郎訳/角川文庫
Jimmy the Kid(一九七五) 『ジミー・ザ・キッド』小菅正夫訳/角川文庫
Nobody’s Perfect(一九七七) 『悪党たちのジャムセッション』沢川進訳/角川文庫
Why Me(一九八三) 『逃げだした秘宝』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
Good Behavior(一九八五) 『天から降ってきた泥棒』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
Drowned Hopes(一九九〇)
Don’t Ask(一九九三) (※ALL REVIEWS事務局注 『骨まで盗んで』木村仁良訳/ハヤカワ文庫)
●ドナルド・E・ウエストレイク名義ではドートマンダーものの他に、もっかのところ以下の作品が翻訳されている。
The Mercenaries(一九六〇) 『やとわれた男』丸本聰明訳/ハヤカワ・ミステリ文庫、The Smashersに改題
Killing Time(一九六一) 『殺しあい』永井淳訳/ハヤカワ・ミステリ文庫、The Operatorに改題
361(一九六二) 『361』平井イサク訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
Killy(一九六三) 『その男キリイ』丸本聰明訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
Pity Him Afterward(一九六四) 『憐れみはあとに』井上一夫訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
The Fugitive Pigeon(一九六五) 『弱虫チャーリー、逃亡中』志摩隆訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
God Save the Mark(一九六七) 『我輩はカモである』池央耿訳/角川文庫
Cops and Robbers(一九七二) 『警官ギャング』村杜伸訳/ハヤカワ・ノベルズ
Two Much!(一九七五) 『二役は大変!』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
Brothers Keepers(一九七五) 『聖者に救いあれ』小林宏明訳/角川文庫
Dancing Aztecs(一九七六) 『踊る黄金像』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
Enough(一九七七) 『殺人はお好き?』沢川進訳/早川書房
Castles in the Air(一九八〇) 『空中楼閣を盗め!』井上一夫訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
A Likely Story(一九八四) 『ニューヨーク編集者物語』木村仁良訳/扶桑社ミステリー
Trust Me This(一九八八) 『嘘(うそ)じゃないんだ!』木村仁良訳/ハヤカワ文庫
私がドナルド・E・ウエストレイクの名前を頭に刻み込んだのは、ああ遥か昔、’70年代のことだった。
最初に読んだのは『ホット・ロック』だったろうか、それとも『我輩はカモである』だったろうか。スマートにふざけたイラストレーションの表紙に惹かれて読んだのだ。たちまちファンになった。当時の私は半失業状態で、軽症だが人嫌い状態に陥っていたので、ウエストレイク作品と出会ったのは、まるで「孤島に住むロビンソン・クルーソーが初めてフライデーの足跡をみつけたような気持」(←これはビリー・ワイルダー監督の傑作映画『アパートの鍵貸します』におけるジャック・レモンのセリフ)になったのだった。笑いのセンスがぴったり来た。「同族発見!」と思った。うれしかった。淋しい心を大いに慰められた。
私はハードボイルド小説にはほとんど興味がないので、リチャード・スターク名義の作品は読まなかったが、ドナルド・E・ウエストレイク名義の作品はドートマンダー・シリーズ以外のものでも、翻訳出版されるたび、いそいそと買って読んだ。
冒頭にも書いたように、ドナルド・E・ウエストレイクの、とりわけドートマンダーものの一番の魅力は「曲者の多彩さ」だ。
『ホット・ロック』冒頭の数行目にして、読者のうちの何割かはドートマンダーという男を好きにならずにはいられないだろう。「彼(刑務所長)は近ごろの公務員によくあるタイプの男だった。大学出で、筋骨たくましく、エネルギッシュで、革新的で、理想主義的で、人あたりがいいのだ。ドートマンダーは彼が大きらいだった」……。
ドートマンダーは盗み専門の職人肌の男。天才的犯罪プランナー。孤児院育ちの三十七歳。「見たところは、まず病みあがりの男というところだった。少し白髪がまじり、少し疲れていて、顔には少ししわがより、やせた体はどちらかといえば虚弱な感じを与える」「自分の考えを他人にうちあけない男、決断をくだすまでには時間をかけるが、ひとたび決断をくだしたら、あくまでもそれを実行する男」。
このどちらかというと陰性のドートマンダーに、能天気に前向きで陽性のケルプが絡んで来る。ドートマンダー組のナンバー2とも言うべきこの男の口癖は「うまい話があるんだ」。がいして人集めと車の盗みくらいしか役に立たない。ドートマンダーの義理のいとこ。酒の好みはシェリー。
車ぐるいのマーチ。おなじみのバー「OJ・バー&グリル」に到着すると、必ず車でどこをどう通って来たかをマニアックにまくし立てずにはいられない。ビールを塩で泡立てるのが好き。『ホット・ロック』では一場面しか登場しないが、このマーチのおふくろというのが豪快な、いかにもアメリカにいそうな女だ。
『ホット・ロック』ではまだ出て来ないが、ドートマンダーのつれあいとしてメイというチェーンスモーカーの女ものちにレギュラー・メンバーになる。
さらに作品ごとに人並はずれた特技を持った奇人変人がゲスト出演する。偽名の使いすぎで本名を忘れてしまった詐欺師A・K・Aとか、超巨体の「短気なマンモス」「低地版雪男」「恨みを抱く戦車」タイニー・バルチャーとか。
私には彼らの姿が鮮かに目に浮かぶ。似顔絵を描きたくなる。映画化するなら誰、とキャスティングを考えたくなる。落語の中の常連人物――ガサツ者の八っつぁん熊さんや軟派な若旦那の徳三郎やチャッカリした小悪党の左平次など――に何度でも会いたくなるように、ドートマンダー組の常連小悪党に会いたくなる。ドートマンダーものが三十年近くにわたるシリーズとして成功したのは、何よりもレギュラー・メンバーの人物造型の巧みさおかしさにあったのだと思う。
意表をつく犯罪アイディアもドートマンダー・シリーズの大きな魅力だ。『ホット・ロック』では警察署にヘリコプターで侵入したり、精神病院へ何と機関車で乱入したり、合い鍵も署名もなしに貸金庫の中の宝石を入手したり……。
舞台も道具立ても、派手で大きい。ダイナミックである。しかも! その描写はデリケートな笑いに満ちている。巨視的にも微視的にもウエストレイク流の笑いのセンスが息づいていて、楽しめるのだ。
私は、例えば『ホット・ロック』の次のようなレトリックに唸ってしまう。
ドートマンダーはのっそりと立ちあがると、玄関へ行き、マジック・アイからのぞいた。ケルプのにこやかな顔がカメオ細工のように枠におさまっている。
(機関車を)運転していたのはチェフウィックだったが、彼はもう至高の歓びに酔って相好(そうごう)をくずし、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)していた。(模型機関車好きの)チェフウィックとしては、実物大の機関車を与えられたのではなく、彼自身のほうが一寸法師になったつもりでいるのだ。(太字、筆者)
私はこういうくだりを、まさに舌なめずりするような気持で読んでしまう。楽しい贅肉部分である。ハツラツとした描線の、かわいい一コマ漫画のようである。貸金庫内での合言葉「アフガニスタン・バナナ・スタンド」というのも、愛敬あふれるナンセンスだ。
私はどうも、こういう、贅肉部分がユーモラスに充実している犯罪小説が一番好きらしい。いわゆるユーモア・ミステリとかコミック・クライム・ノヴェルというジャンルのもの。’70年代から’80年代の初めにかけて、私はこのジャンルのものを、わりあい熱心に読んでいた。そして、
①ドナルド・E・ウエストレイク(ドートマンダー・シリーズ)
②ロバート・L・フィッシュ(殺人同盟シリーズ)
というのが二大御ひいきだった。ドナルド・E・ウエストレイクは近年さかんに再評価の動きがあり、こうして『ホット・ロック』『強盗プロフェッショナル』も復刊されることになったわけで、そのことに対しては「ありがたさに涙こぼれる」といった心境なのだが……ロバート・L・フィッシュのほうは消えゆくのみなのが残念でならない。ドナルド・E・ウエストレイクとロバート・L・フィッシュ。ミドルネームを持つこの二人の作品を読めば、日本で「ユーモア・ミステリ」の名のもとに幅を利かせている小説のいかにちまちまと薄味であるか、身にしみてわかろうというものだ(なあんて、ついつい一言多かった)。
最後に。ドートマンダーものは何本か映画化もされている(私同様、映画化するなら誰、とキャスティング欲を刺激されながら読んでいる人が多いってことですね)。
映画題名とドートマンダー役の俳優は次の通り。
●『ホット・ロック』←『ホット・ロック』 ロバート・レッドフォード
●『強盗プロフェッショナル』←『悪の天才たち』 ジョージ・C・スコット
●『ジミー・ザ・キッド』(日本未公開) ポール・ルマット
●『逃げだした秘宝』←『ホワイ・ミー?』 クリストファー・ランバート
悲しいかな、全員、ドートマンダーのイメージではない。私は長い間、ドートマンダーは(もう少し若い時の)クリント・イーストウッドに演(や)っていただきたいと切望していたのだが、数年前にウエストレイク自身が「ドートマンダーはハリー・ディーン・スタントンのイメージで書いた」と語っているのを知って、「あっ」と思った。そう言えば確かにうらぶれた感じはハリー・ディーン・スタントンだ。
しかし、それを知っても、私の頭の中ではやっぱりドートマンダーはクリント・イーストウッドなのだった。だから、昨年『目撃』という映画で、クリント・イーストウッドが黒装束に身を固めた職人肌の泥棒役で出て来た時は、ようやっと、ようやっと長年の夢が(少しだけだが)叶ったようでうれしかった。
映画版『ホット・ロック』はピーター・イェーツ監督の手がたい演出で、なかなか楽しい作品に仕上がっていた。登場人物や結末は少し変えていたけれど。
狡猾(こうかつ)な弁護士の役を晩年の喜劇俳優ゼロ・モステルが演じていて、そのふてぶてしく、しかしどこか憎めない表情の変化が絶品だった。あ、それから「アフガニスタン・バナナ・スタンド」という言葉に呪縛される貸金庫係のおやじ俳優の表情も。
今のスターでは、ドートマンダー役は思いつかないが、ケルプ役は断然スティーブ・ブシェーミだなあ。監督は『ユージュアル・サスペクツ』のブライアン・シンガーにお願いしたい……なあんて、勝手にキャスティングを楽しんでいる。
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