書評

『「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学』(講談社)

  • 2019/11/14
「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学 / マルクス・ガブリエル
「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学
  • 著者:マルクス・ガブリエル
  • 翻訳:姫田 多佳子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(386ページ)
  • 発売日:2019-09-12
  • ISBN-10:4065170796
  • ISBN-13:978-4065170793
内容紹介:
大ヒット作『なぜ世界は存在しないのか』に続く「三部作」の第2巻、日本語版なる! 人間の「自由」を擁護するための鮮烈な哲学。

人間の「意識」や「自己」を問う明るい哲学

著者はドイツの哲学者、一九八〇年生まれ、ボン大学教授。若手の俊英である。昨年来日しており、その記録はNHKのテレビ番組としてだけでなく、『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』としてNHKから出版されている。本書は三部作のうちの第二巻、第一巻『なぜ世界は存在しないのか』は同じ講談社選書メチエで昨年すでに翻訳が刊行されている。

若い頃、哲学者とは何だろうと思ったことがある。結論は簡単で、何も持っていない人だ、というものだった。医者なら聴診器からCTのデータまで持っている。科学者には実験室があり、技術者はさまざまな機械に触れている。でも哲学者は鉛筆かパソコンくらいは持っているだろうが、あとは日常生活以外の何物も持たず、その意味では徹底的に貧乏というしかない。その貧乏人が世界を語ると、世界は存在しなくなるというのは、なんとなくつじつまが合っている。著者がいう世界とは、それを考えているあなたの考えまで含んだ、全宇宙のことである。そういうものを考えると、論理的に矛盾が生じる。だからそういうものはない。

同様にして「私」は脳ではない。括弧がついているのは、ある特定の意味で使われる私のことである。現代の風潮を著者は神経中心主義と呼ぶ。デカルトのコギトのように、考えているのは私であり、私の中で考えるという機能を果たしているのは脳だから、私は脳だ。もちろんその考えはおかしい。どこがどうおかしいのか、それを確認するためには本書を読まなければならない。

本書はI・「精神哲学では何をテーマにするのか?」、Ⅱ・「意識」、Ⅲ・「自己意識」、Ⅳ・「実のところ『私』とは誰あるいは何なのか?」、Ⅴ・「自由」という、五つの章に分けられている。この五つの区分で、人という存在についての哲学上の重要な問題点がほぼ尽くされていると言っていいと思う。

精神哲学とは著者が自分の主張を属させている哲学の領域である。この辺りから西欧哲学を日本に移入する時の問題が起こる。精神という言葉はドイツ哲学史では素直に理解されると思うが、日本語から連想される内容とは折り合いが悪い。精神医学、日本精神、精神主義などの表現が日本語では使われるから、精神哲学と聞くと、いささか変な気分になってしまう。さらに最近では英米由来のスピリチュアルという言葉もある。著者のいう意味での精神哲学という表現が、内容を含めて定着すれば問題はないが、当分の間は但(ただ)し書きが必要な気がする。

意識の問題はきわめて重要である。意識については、じつは明確な定義、あるいは規定がない。私はそう思っている。とくに自然科学の中には意識を置くべき場所がない。神経回路の電気的な活動だというのは、どう考えてもヘンである。長屋の八つぁんだって、俺は電気じゃねえ、というであろう。エネルギーでもない。むしろ自然科学が置かれている場が意識なのである。精神が世界は物質でできていると主張するのは、まことに奇妙な状況である。その意味では精神哲学という著者の言い分は、わかり過ぎるほどよくわかる。

その意識を詰めて行けば自己意識が残る。意識はさまざまなものを対象にするが、自分を対象にすることができる。ここが論理的にはいちばん問題が起こりそうな部分である。なぜなら自己言及の矛盾がよく知られているからである。著者はそこに直接には触れていない。自分以外のものが意識の対象である場合には、意識を手続き的に扱って、話を済ませることができる。AIが典型である。べつに考えなくてもAIは将棋を指してくれるからである(それともAIは考えているのかしら?)。手続き的に考えられない場合があったら、そんなものはないことにすればいい。ただし自己意識だけはそうはいかないのである。

次の章は自己の問題である。著者はトマス・メッツィンガーの自己はトンネルだという主張を批判する。私自身は自己とはもともとナビの矢印だったという意見で、矢印がないとナビは使えないが、矢印にほとんど実体はない。著者はそういう意味での「私」への解釈は扱っていない。むしろ知るとはどういうことかといった、問題の周辺を詰める。これも大切なやり方で、問題をきちんと位置付けることができるからである。

最終章は自由を巡る話題である。本書をいきなり読み始めないなら、たとえば立ち読みするなら、まずここを読んでみれば、著者の立ち位置がわかるかもしれない。その立場は良い意味できわめて常識的というべきであろう。最近思うことだが、若い世代の優秀な人たちのほうがむしろ常識的である。私は年寄りだから乱暴。メディアやSNSの発達に伴って、多方面から考える習慣がつき、思考のバランスが良くなっているのかもしれない。

いずれにしても、著者の語る哲学は明るい哲学である。そこをなにより推薦したい。
「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学 / マルクス・ガブリエル
「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学
  • 著者:マルクス・ガブリエル
  • 翻訳:姫田 多佳子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(386ページ)
  • 発売日:2019-09-12
  • ISBN-10:4065170796
  • ISBN-13:978-4065170793
内容紹介:
大ヒット作『なぜ世界は存在しないのか』に続く「三部作」の第2巻、日本語版なる! 人間の「自由」を擁護するための鮮烈な哲学。

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