前書き

『攻めてるテレ東、愛されるテレ東: 「番外地」テレビ局の生存戦略』(東京大学出版会)

  • 2019/12/20
攻めてるテレ東、愛されるテレ東: 「番外地」テレビ局の生存戦略 / 太田 省一
攻めてるテレ東、愛されるテレ東: 「番外地」テレビ局の生存戦略
  • 著者:太田 省一
  • 出版社:東京大学出版会
  • 装丁:単行本(220ページ)
  • 発売日:2019-10-31
  • ISBN-10:4130530291
  • ISBN-13:978-4130530293
内容紹介:
テレビ離れが進むなか,いま最も視聴者から「愛されている」テレビ局,テレ東.そこに至るまでは後発局ゆえの挫折と苦闘の歴史があった.テレ東設立の歴史的経緯を辿り,テレ東が支持される理由(たのしさ)を存分に分析する.現在のメディア状況,ひいては日本社会のテレビの将来的可能性についての探求の書.「一番テレビを見ている社会学者」渾身の書下ろし!!
「テレビ離れ」が指摘される中でも、アイデアをこらした大胆な企画で視聴者から「愛される」テレビ局、テレ東。「一番テレビを見ている社会学者」とも称される著者が、「なぜ、私(たちは)こんなにテレビが、そしてテレ東が好きなのだろう?」という疑問に答えるべく書き下ろした本書の「はじめに」の一部を公開します。

はじめに 攻めてるテレ東、愛されるテレ東

私たちはなぜ、テレビを愛するのか? 本書はこの問いから出発し、最後までこの問いにこだわりたい。いや、テレビなんてほとんど見ないし、ましてや愛したことなどこれっぽっちもない、というひともきっといるだろう。しかし、戦後日本社会に生まれ育った多くの人びとにとって、程度の差はあれテレビは愛すべきものであり、話題の中心だったはずだ。

そして現在、最も愛されているテレビ局と言えば、テレビ東京、通称テレ東を措いて他にはないのではなかろうか。もちろん各テレビ局に人気番組や看板番組はある。だが、テレ東ほど局自体の「“キャラ”を知られ、また愛されているテレビ局は他に見当たらないと言える。

では、どのようにテレ東は愛されているのか? その一端を紹介するところから話を始めよう。

“愛されるテレ東”――「テレ東だけアニメ」の安心感

テレビ東京は「伝説」の多いテレビ局だ。都市伝説をテーマにした人気番組があるからというわけではないだろうが、まことしやかな「伝説」には事欠かない。

そのなかでもポピュラーなのが、おそらく「テレ東だけアニメ」だろう。

世間を揺るがすような事件、事故、災害などが起こったとする。すると各テレビ局は、放送中の番組を中断して一斉に特別番組を組む。ところがテレビ東京だけは、番組表の予定通りにアニメやB級映画を放送している、という「伝説」である。実際、過去には「湾岸戦争の時は「ムーミン」をやっていたし、オウム裁判の時には一部で温泉番組を、小泉首相靖国参拝には通販を、小保方さん会見やサッカーブラジルW杯代表発表の時も「午後ロード」(引用者注:「午後のロードショー」のこと)の映画を、フツーに放送」(伊藤成人「テレ東流 ハンデを武器にする極意――〈番外地〉の逆襲』岩波書店、二〇一七年、九頁)していた。

ただ、テレビ東京が緊急特番を組むこともないわけではない。たとえば、二〇一六年にアメリカのオバマ大統領が広島を初めて訪問した際にはアニメを休んで生特番を組んだ(同書、九―一〇頁)。とはいえ、そういうケースがかなりまれなことは確かだろう。かく言う私自身、テレビを見ていて「テレ東だけアニメ」の状況に遭遇したことが何度かある。そして「テレ東だけアニメ」のことをすでに聞き知っている私は、わざわざチャンネルをテレビ東京に合わせ、そうなっているかどうか確認したりもした。

もちろん、テレビ東京は意図的にそうしているわけではない。そうせざるを得ない事情を抱えているから、「テレ東だけアニメ」という事態が起こる。

この後の歴史編で詳しく述べるが、テレビ東京は一九六四年、「東京12チャンネル」として現在ある在京キー局のなかで最も遅れて開局した。しかも一般総合局ではなく科学教育専門局として。つまり、教育教養番組の放送がメインで、娯楽番組の割合が厳しく制限されたなかでの船出だった。さらに他局とは異なり、民間企業ではなく財界が設立した財団法人が経営母体。したがって、良くも悪くも収益を上げようという意識が薄く、異色と言えば聞こえはいいが、視聴率面で苦戦するのは最初から目に見えていた。

そして予想通りと言うべきか、視聴率はやはりまったく振るわなかった。加えて当てにしていた資金援助の目論見も外れ、開局からそれほど時が経たないうちに早くも一日の放送時間の大幅な短縮、大規模な人員整理を余儀なくされた。高度経済成長期のテレビの普及を背景に他の在京キー局が競って進めた全国的ネットワークの構築も、当然後回しになった。ようやく名古屋、大阪と結ぶ大都市圏限定のネットワークを築いたのは、「東京12チャンネル」から「テレビ東京」に局名を変更した一九八〇年代前半になってからのことだった。

その状況は、いまも基本的には続いている。他の民放局に比べて予算、人員、ネットワークなどの面で後れを取っているため、大きなニュースになるような出来事が発生したときに即応する体制が不十分なのである。「テレ東だけアニメ」は、それだけが理由ではないとはいえ、制作者側からすれば苦渋の選択という面が強い。

ただし、視聴者の側に「テレ東だけアニメ」を非難する様子は露ほどもない。むしろ逆である。もしテレビ東京が他局と横並びに特番を編成するようなことになれば、それは日本社会にとって根幹を揺るがすような本当に大変なことが起こっているということになる。だから「テレ東だけアニメ」であるのを見て、私たち視聴者は「ああ、まだ日本は安心だ」とホッとする(実際、私がわざわざチャンネルを合わせて確認したのも、そう思いたいからだった)。その意味では、テレビ東京はテレビに残された「最後の砦」なのである。

この一事をとってみても、テレビ東京は“愛されている”。これがもしNHKや他の在京キー局だったら、「ジャーナリズムとして無責任」とか「報道機関として怠慢」とか言って非難されるに違いない。ところが、テレビ東京だと「さすがテレ東」となる。むろんそこにはネタ的な扱いをして面白がっている部分も少なからずある。だがその点も込みで、これほど愛されているテレビ局は他にない。

テレビ東京は攻める――「テレ東だけサッカー」になった日

しかしながら、そんなおよそテレビ局らしからぬのんびりとした雰囲気だけがテレビ東京の愛される理由ではない。テレビ東京が愛される真の理由、それはテレビ東京が“攻めてる”テレビ局だからである。

“攻めてる”とは、常識的に見れば困難、無謀と思われるアイデアや企画を実現してしまう積極的かつ大胆な姿勢を指す。現在のテレビ東京に対する評価の高まりは、そんなアイデア・企画勝負の「テレ東らしさ」がジャンルを問わずどの番組にも一貫して感じ取れるからである。そしてそれは昨日今日始まったことではなく、開局当時からそうだった。その詳細については歴史編でふれることにするが、ここではひとつだけ象徴的と思える例を挙げてみたい。

実は、テレビ東京はスポーツに強い局である。

目下のところテレビ東京の歴代最高視聴率は、一九九三年一〇月二八日に放送されたサッカーワールドカップアジア地区最終予選「日本対イラク」戦の生中継である。その視聴率は、夜一○時から夜中にかけての放送にもかかわらず、四八・一パーセント(関東地区、ビデオリサーチ調べ。以下、本書における視聴率の数字に関しては、特に断りのない場合はすべて同様)を記録した。この年の視聴率年間トップが『NHK紅白歌合戦』(第二部)の五〇・一パーセント。それに次ぐ僅差の二位というところからも、この数字がいかに高いものだったかがわかるだろう。このときの結果は、試合会場のあったカタールの首都・ドーハにちなんで「ドーハの悲劇」として有名だ。当時まだワールドカップ出場経験のなかった日本は試合終盤まで二対一でリードし、悲願の初出場まであと一歩というところまで来ていた。ところがロスタイム(アディショナルタイム)にイラクに同点ゴールを許し、一転予選敗退となってしまった。現在、ワールドカップの日本代表戦は年間トップクラスの視聴率を記録するキラーコンテンツだが、そうなったきっかけはこの試合だったと言っても過言ではないだろう。

ではなぜ、この劇的な展開となった試合の中継をテレビ東京が担当できたのか? その背景には、テレビ東京が東京12チャンネル時代から地道に築いてきたサッカーとの深い関係があった。

いまでこそ日本人選手が海外のメジャーなサッカーリーグでプレーすることが当たり前になり、日本代表のサッカー中継は人気コンテンツのひとつになっているが、かつてはまったく違っていた。とりわけ、海外のプロサッカーリーグの試合は、ほんの一部のサッカー通以外には関心を持たれていなかった。

そうしたなか、一九六八年に東京12チャンネルで始まったのが『三菱ダイヤモンドサッカー』(以下、『ダイヤモンドサッカー』と表記)である。この番組は、VTRとは言え、それまでせいぜいサッカー雑誌の写真くらいでしか見られなかった海外の一流選手のプレーを目の当たりにできるという点で、サッカーファンには夢のような番組であった。実況のテレビ東京アナウンサー・金子勝彦と解説の岡野俊一郎(番組開始当時日本代表コーチ)のコンビも絶妙で、それも視聴者を惹きつける一因になった。

そして一九七〇年、東京12チャンネルは、さらにある意味無謀とも思える挙に出る。その年に開催されたサッカーワールドカップメキシコ大会のVTRを全試合買い付け、『ダイヤモンドサッカー』で約一年間かけて毎週放送することにしたのである。しかも番組は一時間だったので、前半と後半に分け、二週で一試合分を放送するという変則的なスタイルだった(布施鋼治『東京12チャンネル 運動部の情熱』集英社、二〇一二年、一四一頁)。「スポーツは生中継に限る」といういまも根強い考え方からすると魅力が半減するような気がするかもしれない。しかし録画で試合結果もわかっていたとしても、当時のサッカーファンにとっては十分堪能できるものだったのである。

だがもちろん生中継ができるならば、やはりそれに越したことはない。その四年後の西ドイツ大会で、東京12チャンネルは、とうとう日本初のサッカーワールドカップの衛星生中継に挑むことになった(テレビ東京社史編纂分科会編『テレビ東京50年史』テーマ史編、テレビ東京、二〇一四年、二三〇頁)。しかも決勝戦「西ドイツ対オランダ」の生中継である。

決勝戦の日程は、日本時間の一九七四年七月七日の深夜。しかしその日は、日本では参議院議員選挙の投票日にたまたま当たっていた。当然各テレビ局は、国政選挙とあって投票終了後の夜から深夜にかけて開票速報番組を組む。ところがそこで東京12チャンネルだけが、ミュンヘンからのサッカーの生中継を放送したのである(前掲『東京12チャンネル 運動部の情熱』、七二頁)。

つまり、「テレ東だけアニメ」ならぬ「テレ東だけサッカー」というわけである。いまはサッカーワールドカップ決勝と言えば第一級のビッグイベントだけに、同じようなことにもしなったとしてもそれほどインパクトを感じないかもしれない。だが日本がワールドカップに初出場する二〇年以上前、サッカー自体がテレビのコンテンツとしてまだ確立されていなかった当時としては、きわめて異例の編成だった。それはまさに、“攻めてるテレ東”と“愛されるテレ東”が合体したような出来事であった。

[書き手]太田省一(おおた・しょういち)社会学者、文筆家。テレビ文化論、ポピュラー文化論の著作に加えウェブメディアへの寄稿も多く、「一番テレビを見ている社会学者」とも称される。著作に『紅白歌合戦と日本人』『中居正広という生き方』『マツコの何かが“デラックス”か』など。
攻めてるテレ東、愛されるテレ東: 「番外地」テレビ局の生存戦略 / 太田 省一
攻めてるテレ東、愛されるテレ東: 「番外地」テレビ局の生存戦略
  • 著者:太田 省一
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  • 装丁:単行本(220ページ)
  • 発売日:2019-10-31
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