書評

『日本文壇史1 開化期の人々』(講談社)

  • 2020/01/16
日本文壇史1 開化期の人々  / 伊藤 整
日本文壇史1 開化期の人々
  • 著者:伊藤 整
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(348ページ)
  • 発売日:1994-12-05
  • ISBN-10:4061963007
  • ISBN-13:978-4061963009
内容紹介:
同時代の文士や思想家、政治家の行動、「そのつながりや関係や影響を明らかにすることに全力をつくした」という菊池寛賞受賞の伊藤整畢生の明治文壇史・全十八巻の"1"。仮名垣魯文、福沢諭吉、鴎外、柳北、新島襄、犬養毅ら、各界のジャーナリズムを動かした人々。坪内逍遥の出現と、まだ自己の仕事や運命も知らずに行き合う紅葉、漱石等々を厖大な資料を渉猟しつつ生き生きと描写する人間物語。
読書家の友人にすすめられて読んでみたのだが、いやー、面白かった、伊藤整の『日本文壇史1――開化期の人々』(講談社文芸文庫)。

例によって私は知らなかったのだが、この『日本文壇史』って凄い本だったのね。まず第一にボリュームからして凄い。何しろ、雑誌『群像』に一九五二年から一九六九年まで、つまり十七年間にわたって連載されていたもので、単行本としては伊藤整没後の一九七三年に全十八巻となった――というのだから。

そんな大作が、今回、講談社から文庫版で復刻出版されることになった。昨年('94年)末に、この第一巻が出て、このあとどんどん、全十八巻が出版されてゆく。第二回配本(第二巻)は二月予定だという(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1995年)。うかうかしていると、次のもどんどん出ていって、読むのがおっくうになってしまう人もいるだろう。今のうちに乗ったほうがいい。ぜひとも第一巻から早く読んでほしい。そう思って、あわてて書く。

第一巻のサブ・タイトルは「開化期の人々」、最後の第十八巻は「明治末期の文壇」である。明治期の文学状況の話だけで十八巻も費やしているのだ。今回私が読んだ第一巻「開化期の人々」は、明治の初めから明治十九年頃までが対象になっている。この長大な評伝の書き出しは、こうだ。

明治三年(一八七〇年)、数え年四十二歳になった江戸の戯作者(げさくしゃ)、仮名垣魯文(かながきろぶん)は浅草の寝釈迦(ねしゃか)堂の近くの長屋に住んでいた。明治維新の全国的な戦乱がやっと納まったばかりで、これから何を書き、どう生活を立てて行けばいいか、何か新工夫はないか、何か種本はないかと、彼は街の本屋をあさった。そして彼は、前年出た福沢諭吉(ふくざわゆきち)の『世界国尽(くにづくし)』を捜し出した。これだ、と彼は思った。

早くも仮名垣魯文と福沢諭吉という、私にとっては教科書上の有名人二人のツナガリが(この場合は一方的なものなので、実線ではなく点線でだけれど)見えてくる。

そうなのだ、この『日本文壇史』の一番の面白さは、文学史上あるいはマス・コミ史上のスターたちがそれぞれどう影響を与えあったかというのが、静的にではなく動的に、過去形ではなく現在進行形のような感じで(「臨場感たっぷりに」と言ったほうがいいか)、描かれているところだ。

明治×年のそのとき、誰がどこで、何歳で何をしていた――というのが併行して描かれてゆく。大河ものの群像ドラマを見ているようだ。デビュー前の青少年時代に関しては本名を採用しているのも面白い。

「その学校へこの日、坪内雄蔵という小柄な、痩せた、数え年十六歳の少年が……」とあると、「あ、もしかして坪内逍遥でしょう」と思うし、「尾崎徳太郎がこの祖父の家で育てられていた明治七八年頃、その家のすぐ近くである浜松町一丁目七番地に、山田武太郎という、尾崎徳太郎より一つ年下の色白の内気な少年が住んでいた」とあると、「きっと尾崎紅葉と山田美妙だ」と、何だかよくわからないが、胸がとどろく。時代のタテの流ればかりではなく、ヨコの、人間相互の動きも、よくわかるのだ。

この第一巻の前半部分は、文学史というよりもむしろマス・コミ史、いやジャーナリズム史である。薩長土肥と言われた倒幕派も、やがて薩長グループが政権を牛耳るようになったため、野にくだった土佐と佐賀の実力者たちが次々に新聞を創刊し、政府批判的な勢力を形成していった――というのが、もしかしてインテリの間では常識なのかもしれないが、私には面白かった。

この時期で、あらためて驚くべきことは、「学問」と「天下国家」の直結ぶりだ。「大学生=エリート」という等式、そして「エリート=日本を背負って立つ人」という等式が、たぶん空前絶後的に強かった時代のようだ。

学問があり、特に東京大学卒業という極めて数の少ない第一流の智識人は、学者か政治家になれば、立身出世は確実に保証されていたのである。この時期、良心があり学識のある青年のほとんど全部は政治青年であった。

その東大を出たばかりの坪内雄蔵青年が『当世書生気質』を出版したとき、福沢諭吉は「文学士ともあろうものが、小説などという卑しいことに従事するのは怪しからん」と言った、という噂もあったほどだそうだ。

ゴシップ的エピソードの入れ方もなかなかほどがいい。私が一番驚いたのは、森林太郎(もちろん、のちの鷗外だ)の秀才ぶりだ。なんと彼は十三歳で大学(今の東大)に入ってしまうのだ!

幼少の頃から「神童」と呼ばれ、四書五経の類いは、一度習うとすぐおぼえてしまったという。それで、受験学校でドイツ語を二年ほど学び、「十三歳では年が足りなかったので、願書には二年前に生れたことにして十五歳」と書いて、受験し、パスしてしまう。「多くの学生は二十歳位で、若い者でも十七歳位であったから、彼一人が子供であった」「この子供のような学生はよく出来て、同級生三十名のうち、いつも三四番の所にいた」――というんだから、凄い。しかも「彼は学業が楽なので、学校へ本を背負ってやって来る貸本屋から、馬琴や京伝など、江戸時代の小説を借りて読みふけった。彼は貸本屋で手に入るような小説類は、ほとんど読み終り、次には江戸の随筆文学を読みあさった」のだそうだ。余裕しゃくしゃく。

唐突かもしれないけれど、お正月にテレビで見た「最強の男は誰だ! 壮絶プロスポーツマンNo.1決定戦」を思い出す。

さまざまなジャンルのスポーツ選手たちが、五十メートル競走とか腕立て伏せとか綱引きとか、私たちにもなじみ深い競技をしたのだが、その中の跳び箱競技の場面が忘れられない。プロ野球の飯田(ヤクルト)と元体操の池谷が、なんと十六段を跳んでしまったのだ。これは絵柄的に凄いインパクトだった。それで私は「さすがプロは違う。確かにずば抜けた能力の持ち主だ、肉体のエリートだ」と感心してしまったのだが……森林太郎はその頭脳能力を肉体能力に置きかえたら、たぶん跳び箱二十段とか三十段てなものだろう。

明治は、エリートの時代である。だから、この第一巻には、何か(頭脳のほうの)英雄伝説のようなおもむきがある。体のほうの英雄の話だけでなく、頭のほうの英雄の話も、やっぱり血わき肉おどる面白さだ。

当時の東京の様子(なんと、明治十六年には銀座四丁目の四つ角はみな新聞社が占めていた!)も詳しく描かれている。とりたてて文学に興味のない人でも、いろいろに楽しめる本だと思う。



前項では、もっか刊行中の『日本文壇史』の第一巻について書いたけれど、書き足らない思いが残ってしまった。それに、つい先日出版された第二巻が、ますます面白かったので、ごめんなさい、今項もこのシリーズ本の話で。

第二巻「新文学の創始者たち」では、明治十九年から二十四年の頃の文学状況が描かれている。

明治十九年の、冒頭のエピソードからして早くもわくわくする。数え年二十三歳で東京外国語学校を退学した長谷川辰之助(のちの二葉亭四迷)が、坪内雄蔵(のちの坪内逍遥)の『当世書生気質』と『小説神髄』にショックを受け、ついに坪内の家を訪ねることになる。このとき坪内は五歳年長の二十八歳。

長谷川青年は、初対面の坪内に『小説神髄』につけた不審紙のところを開いて、さまざまな質問をした。坪内は、この見ず知らずの青年が非常に慎重な礼儀正しい態度で、立ち入った、鋭い質問をするのに驚いた。青年はベリンスキイやカートロフの文学評論にも詳しかった。おもにイギリスの文学評論を頼りにしていた坪内にとっては、思いがけず、興味をかき立てられる話であった。

セッカチでヤセ型で才子タイプの坪内と、対照的にいかつい顔で重厚型の長谷川青年。

若き日の逍遥と四迷。この二人が相対して語り合う姿が、はっきりと目に浮かぶ。

この日、二人の対面の間に、この時の日本の文学の一番進んだ考えが、初めてその姿を現わしたのであった。これから後、長谷川は週に一回位ずつ坪内を訪ねて話をし合うようになった。二人は、たがいに、新しい文学を語るに足る唯一の相手を発見したのである。

というのが、ジャーン! かっこいいじゃないか。こういうところに、何というか英雄伝説というか剣豪小説(「むむっ、おぬし、できるな」)を読むような楽しさがある。

翌年、長谷川青年は言文一致体の小説『浮雲』を発表して文学界に衝撃を与えることになるわけだけれど、いやー、私は驚きましたね、言文一致体という今ではまったく当たり前のスタイルが生まれるまでの、その「産みの苦しみ」のもの凄さというものに。
とにかく「当時は(明治十年代までは)、日本の最大の小説家が馬琴であるということは文士全体の通念であった」というのだから。そういう状況だったというのだから。

矢田部良吉や物集(もずめ)高見といった学者が言文一致に関する評論を発表し、山田美妙が詩や小説や評論によって新しい文体を模索し、……といういきさつがいろいろあって、そしてついに、長谷川青年、いや二葉亭四迷が苦心惨憺(さんたん)のあげく『浮雲』に結実させた。

そこには、たんに何か目先の変わった奇抜なスタイルを生み出そうというようなものではなくて、もっとやむにやまれぬ切実さがあった。もはや馬琴スタイルでは表現しきれない近代的自我を持った人間が大量に生み出されてしまっていたのだ。窮屈になってきた服を脱ぎたい、何とかしてもっと体に合った新しい服が欲しい――という、まあ、つまんない言い方になるが「内的必然性」が燃えたぎっていた、そういう時代だったことがわかる。

この燃えたぎり方をしのばせる一つの小さなエピソード。

逍遥の門人であり四迷の友人であった作家・矢崎鎮四郎(しんしろう)が、ある日尾崎紅葉の家を訪ね、ドストエフスキーの『罪と罰』という小説の話をする。そして、「何でもこの頃日本橋の丸屋善七の店(今の丸善)へ、その作品の英訳本が来ていて、春のや(逍遥のこと)がそれを買って来たそうだ」と噂する。

すると翌日、紅葉の家に内田不知庵(魯庵)がやって来て、その話を小耳にはさむ。そして次の日にさっそく丸善に行ってみると、『罪と罰』の英訳本が一冊だけあったので、買った。

このとき『罪と罰』は三冊丸善に来たが一冊を坪内が買い、一冊を森田思軒が買い、残った一冊を内田が買ったのであった。

というのが、ジャーン! やっぱり、かっこいい。

また、もう一つの小さなエピソード。

同じ金沢に住んでいた徳田末雄(のちの秋声)と泉鏡太郎(のちの鏡花)は、互いに知らぬまま、偶然、同じ頃に尾崎紅葉に原稿を見てもらって文壇にデビューしようと、上京する。徳田は直江津に出て右回りで、泉はそれとは反対に敦賀に出て左回りで、東京に出て来るのである。

明治という時代のエネルギッシュな気分――政治の世界でも文学の世界でも、ほんの少数の、しかし強烈で貪欲なエリートたちが、全国からガンガンと東京をめざしてやって来て、ガンガンと欧米に出て行ったり、また欧米の“先進文化”を取りいれたりして、ガンガンと新しいものを生み出そうとしている……そういう気分が伝わってくる。

そろそろ樋口夏子(のちの一葉)が登場し始める。まだ『たけくらべ』は書かれていない。次の第三巻は「悩める若人の群」と題されていて、いよいよ露伴の『五重塔』や一葉の『たけくらべ』、そして逍遥vs.鷗外の「没理想論争」などの話になるらしい。楽しみだ。

ところで、今回の第二巻の巻末には、曾根博義氏が「伊藤整ブームと『日本文壇史』の方法」という力の入った解説を書いている。その中で、「とにかくさまざまな登場人物の間に展開される物語をパノラマ風に描いた、西洋近代小説によくあるような小説は(伊藤整自身の小説には)ほとんどないといってよい。ところがそういう作品が例外的に一つだけある。それが他ならぬこの『日本文壇史』だというのが私の考えである」と言っているのが面白い。

第一巻目から私は伊藤整の「この、資料のさばき方って凄いんじゃないだろうか!?」

と思っていたが、この二巻目にはおもな資料名が列記してあって、その数たるや、私はほとんど目まいがしてしまう。これだけの資料を駆使しながら、それに引きずられず、私のようなしろうとにも面白い読みものに仕立てあげた――というのは、やっぱりキチッとした方法論を持っていたからだろう。その方法論のポイントとは、曾根博義氏の言葉を借りれば「遠近法」だ。「明治以降の文士たちが書き残した無数の身辺雑記や文壇随筆を、遠近法を生かした描写や説明を加えながら集大成することによって、壮大な客観的歴史小説を作ったのである」。

森全体も見えるし、一本一本の木も見える。この「遠近法」のみごとさに、私は唸る。

日本文壇史2 新文学の創始者たち / 伊藤 整
日本文壇史2 新文学の創始者たち
  • 著者:伊藤 整
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(375ページ)
  • 発売日:1995-02-06
  • ISBN-10:4061963082
  • ISBN-13:978-4061963085
内容紹介:
明治十九年一月、二十一歳の二葉亭四迷は、不審紙を付けた『小説神髄』を持ち、本郷真砂町に未知の坪内逍遙を訪ねた。その翌年、幼な友達だつた二葉亭と山田美妙は奇しくも、時を同じくして日本最初の口語体小説を発表した。紅葉、忍月、露伴、透谷、鴎外等による画期的文学の創造。漱石と子規の出会い。一葉の半井桃水への入門。独歩の受洗。新文学への熱気をはらむ若き群像と文壇人間模様。

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【この書評が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
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  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN-10:4480426906
  • ISBN-13:978-4480426901
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日本文壇史1 開化期の人々  / 伊藤 整
日本文壇史1 開化期の人々
  • 著者:伊藤 整
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(348ページ)
  • 発売日:1994-12-05
  • ISBN-10:4061963007
  • ISBN-13:978-4061963009
内容紹介:
同時代の文士や思想家、政治家の行動、「そのつながりや関係や影響を明らかにすることに全力をつくした」という菊池寛賞受賞の伊藤整畢生の明治文壇史・全十八巻の"1"。仮名垣魯文、福沢諭吉、鴎外、柳北、新島襄、犬養毅ら、各界のジャーナリズムを動かした人々。坪内逍遥の出現と、まだ自己の仕事や運命も知らずに行き合う紅葉、漱石等々を厖大な資料を渉猟しつつ生き生きと描写する人間物語。

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毎日グラフ・アミューズ(終刊) 1995年3月8日号~1997年1月8日号

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