啓蒙の原点、歴史の手法で再現
『記録を残さなかった男の歴史』で十九世紀のフランスの農村に暮らしていた木靴職人の人生を蘇(よみがえ)らせたアラン・コルバンが本書で試みたのは、第三共和政下、アフリカの植民地化を進めていた十九世紀末にモルトロールという農村で小学校教師が行った連続講演を再現してみせることだった。講演原稿は残されていないが、コルバンは、教師の人となりを示す資料や手紙を史料館から発掘し、その頃の出来事や世相、当時読まれていた書籍から時代背景を浮かび上がらせ、教師の語り口や講演内容、さらには聴衆の反応まで鮮やかに描き出す。時代の空気や歴史の情景を描く「手口」は本来、小説が得意とするところだが、歴史と小説の境界線はどの辺りに引かれるのだろうか? 古文書や資料の解読、吟味を徹底する態度に変わりはないし、真実に接近しようとする欲求も共通している。だが、前者は創作を排し、実際に起きたことの忠実な再現を意図し、後者はあらかじめ創作を加えることを意図している。コルバンは歴史家としての姿勢は保ちつつ、小説との境界を少しだけ越えた。歴史家が背景的事実を十分に調査し、その時代にタイムスリップしようと試みれば、一人の小学校教師の人物像や口調を真似(まね)ることは可能であることを示した。十九世紀末の農村における大衆への啓蒙のあり方、歴史の共有のされ方を再現することで、知識欲の満たし方の原点を探り当てようとしたのだ。
講演は村人の知識欲を満たす唯一といっていい機会だった。新聞や本を読む習慣がまだ根付いていない時代、歴史は感動を伴う物語にアレンジされることで、大衆に共有され、「良識ある愛国」が醸成されていったことがよくわかる。歴史記述が不都合な真実を隠蔽(いんぺい)し、安易な自己正当化に傾く今日、啓蒙の原点を見つめ直すことは反知性主義や衆愚政治への地道な対抗策になり得ると思った。