自著解説

『松岡洋右と日米開戦: 大衆政治家の功と罪』(吉川弘文館)

  • 2020/07/15
松岡洋右と日米開戦: 大衆政治家の功と罪 / 服部 聡
松岡洋右と日米開戦: 大衆政治家の功と罪
  • 著者:服部 聡
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(222ページ)
  • 発売日:2020-02-20
  • ISBN-10:4642058966
  • ISBN-13:978-4642058964
内容紹介:
日米開戦の原因をつくった外交官とされているが、実際は日米戦争回避を図って行動していた。複雑な政治状況を繙き、人物像を再評価。

松岡洋右の現代的意味

松岡洋右(ようすけ)が活躍した時代と現代との間には、いくつかの類似点を認めることができる。帝国主義にもとづく資源と市場の争奪は、植民地の争奪戦へと発展し、悲惨きわまる第一次大戦の原因となった。それゆえ、第一次大戦後、大戦の再発防止を図るべく国際連盟が創設され、自由貿易体制の確立と国際協調が追求された。すべての国が資源と市場に自由にアクセスできるようになれば、戦争は発生しなくなると考えられたのである。さらに、国際協調の追求と並行して自由主義(民主主義政治と資本主義経済)が世界に浸透し、資本主義経済に基づく世界の一体化、現代でいうグローバリズムがもたらされた。

ところが、大恐慌の発生によって一九三〇年代が幕を明けると、風向きは変わった。民主体制の下で民意に突き動かされた各国政府、特に、既得権益として多くの植民地を持つ先発自由主義国の政府は、国際協調よりも自国経済の安定化を優先させ、保護貿易主義を追求するようになったのである。そのような自国第一主義の追求には他国への配慮はなく、保護貿易主義の拡散は、一九二〇年代に追求された国際協調の機運を雲散霧消(うんさんむしょう)させた。大戦での教訓は、あっさりと忘れ去られたのである。その結果、植民地を持たない国々は苦境に陥り、共食(ともぐ)い状態となった国際社会は、大戦の再発を招いてしまう。

では、現在の国際社会はどうか。第二次大戦後の国際社会では、第一次大戦後の国際社会と同様に、国際連盟に代わって創設された国際連合の下で、自由貿易体制の確立と国際協調が追求されてきた。そして、一九八九年の冷戦終結後は、共産主義体制に対する自由主義体制の絶対的優位が常識化し、自由主義にもとづくグローバリズムが全世界に浸透しつつある。このような展開は一九二〇年代の国際社会と類似しているが、一九二〇年代のグローバリズムが一九三〇年代になって反動を生んだように、冷戦終結後に加速したグローバリズムは、最近になって、その歪みを表面化させつつある。

現代のグローバリズムは、経済分野において過当競争を発生させ、特に先進国の国民生活を疲弊させている。グローバリズムのなかで多国籍企業が台頭し、低賃金の労働力と新興市場を求めて、先進国から途上国へと資本と雇用を移転させているためである。自由主義にもとづくグローバリズムには国際協調の促進という側面があり、その点からすれば、確かに、現代の国際社会では、資源や市場をめぐって国家間で戦争が発生するリスクは著しく低下している。だが、その代わりに、途上国の経済発展と連動した雇用争奪戦という、形を変えた国家間闘争が発生しているのも事実である。先進国で深刻化するワーキングプアや産業構造の空洞化などは、そうした状況を如実に物語っている。

他方、グローバリズムは民主政治の浸透を進展させている。民主政治の柱となっているのは政党政治であるが、グローバリズムによってもたらされる国民生活の疲弊に対して、各国の既存政党は有効な解決策を見出せていない。政党によっては、多国籍企業と結びついてグローバリズムを後押ししてさえいる。そのため、各国の大衆の間では、既存の政党に対する不満や不信が高まり、政党離れと無党派層の拡大を招いている。

現代の民主主義国家では、拡大する無党派層の動向が選挙の行方を左右しており、無党派層の支持を取り込むべく、ポピュリズム(大衆迎合主義)が発生している。そして、ポピュリズムの中で登場する新政党や政治家は、支持を集めるために大衆を魅了しようとし、往々にして、実現可能性のないファンタジーのような政策や、大衆の不満の捌(は)け口(ぐち)として、時として暴力的な、分かりやすくて過激な解決策を掲げる。

このような現象の源流は、国際協調が崩壊した一九三〇年代にある。当時の既存政党もまた、大恐慌にともなう不況に対して有効な解決策を打ち出せなかったのである。そのため、既存政党への信頼が低下して政党政治は衰退し、イギリスや日本では挙国一致内閣が、またドイツやイタリアでは、暴力的な解決策を掲げる独裁政権が誕生した。大衆の不満を民族主義と国家主義によって集約したのが独伊でのポピュリズムであり、その結果として、ヒトラーやムッソリーニといったカリスマ指導者と、その指導者を支える一党独裁体制が出現し、暴力的な現状打破政策が追求された。

今回上梓した『松岡洋右と日米開戦』の主人公である松岡洋右もまた、典型的なポピュリスト(大衆政治家)である。松岡には旺盛な出世欲があったが、庶民から身を起こした松岡には、政治家としての活動に必要な支援団体がなかった。そのため、大衆世論に支持基盤を求めるしかない松岡は、ポピュリストとなった。経済的困窮に起因する大衆の不満を巧みな言語表現によって集約し、その解決策として対外強硬政策を掲げることで、大衆からの支持を集めたのである。

独伊では大衆からの熱狂的支持を集めるカリスマ独裁者が政策を支配したが、天皇主権の政治体制をとる当時の日本では、カリスマ独裁者は出現しなかった(出現する余地がなかった)。その代わりに、官僚組織である日本陸軍が政策を支配し、一九三一年の満洲事変以降、中国大陸への軍事的進出を追求した。そうした中で勃発したのが、一九三七年の日中戦争である。日本陸軍は安易な認識でこの戦争を始めたが、当初目論(もくろ)んでいた短期間での限定戦争の追求に失敗し、中国全土におよぶ長期の全面戦争という泥沼に嵌(は)まった。だが、その反面、日本は、一九三八年秋までに、大陸において広大な占領地を手にし、そうした状況を捉えた日本政府は、日本本土、台湾、朝鮮、満洲国、そして大陸占領地からなる「東亜新秩序」の樹立を掲げた。

「東亜新秩序」樹立の目的は自給的経済圏の確立であったが、実際には、日本が必要とする戦略物資を「東亜新秩序」内で確保することはできなかった。また、「東亜新秩序」の追求は、中国のみならず、東アジアの現状維持を主張する英米との決定的対立をも招いたが、その一方で、日本は、日中戦争を原因とする需要の増大によって、英米に対する戦略物資の輸入依存度(全需要の七〇%以上)を高めた。すなわち、自給的経済圏の樹立を目指した日中戦争は、対立する英米への貿易依存度を高めるという自己矛盾を招いたのであり、「東亜新秩序」の実態は、日本陸軍によって生み出された巨大な国家的負債に過ぎなかったのである。そのような状況の下で、松岡は外相に就任することになった。

松岡が外相に就任したのは、一九四〇年七月である。松岡が外相として担うことになった役割は「東亜新秩序」の発展的清算であり、それは、西欧諸国から東南アジア植民地を奪取することで達成される。すなわち、「東亜新秩序」に資源豊かな東南アジア植民地を編入して、自己完結性の高い経済圏として「大東亜共栄圏」を確立するのが、外相としての松岡に与えられた使命だったのである。

『松岡洋右と日米開戦』は、新史料と新視角によって通説とは異なる松岡像を描き出しているが、同時に、グローバリズムに潜む危うさと国際協調の脆(もろ)さ、そしてポピュリズムの是非を、読者に問いかける。

[書き手] 服部 聡(はっとり さとし・大阪大学外国語学部講師)
松岡洋右と日米開戦: 大衆政治家の功と罪 / 服部 聡
松岡洋右と日米開戦: 大衆政治家の功と罪
  • 著者:服部 聡
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(222ページ)
  • 発売日:2020-02-20
  • ISBN-10:4642058966
  • ISBN-13:978-4642058964
内容紹介:
日米開戦の原因をつくった外交官とされているが、実際は日米戦争回避を図って行動していた。複雑な政治状況を繙き、人物像を再評価。

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本郷 2020年5月第147号

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