ハラスメントや差別が波の上を漂っている
自分に一切かかわりのない世界に対し、偏見で埋め尽くしてしまうことって誰にもあるはず。自分にとって「サーファー」がそうだった。人付き合いが柔軟、仲間を大切にする、だが、マッチョで女性への人権意識が低い。「いい波が来た」と言いながら、自然に感謝したりしている。この偏見がどうやって培われたかといえば、ドラマや映画、ドキュメンタリーなどで見かけた光景の集積だ。ただそれは、あくまでも身勝手に、記号的に処理しただけだ。実際はどうか。自身もサーファーである研究者が、女性の立場からサーフィンという身体文化を考察した一冊。やはり、軸となるのは「波の上がいかに『男たち』のものであるか」である。
着替えやお手洗いの問題、いわゆる「女性のみだしなみ」と対立せざるをえない特性、そして、着替え中に別のサーファーや観光客などから「口笛を吹かれたりする『キャットコール』(路上でのセクシュアル・ハラスメント)」の横行。
かつて、潮の満ち引きを調べるための「ビーチコーミング」という潮見表には、ナンパのテクニックや風俗店の紹介などが掲載されていたという。「嫁入り前の娘なんだから気をつけてね」など、身体への「配慮」は女性だけに向かう。
サーフィン文化の中で「白人、ヘテロセクシュアル、健康、男性、サーフィンのコアな参加者(アスリートやローカル)」が「良いサーファー」とされてきた。波の上の世界の慣習は、多くのスポーツ界に共通することであり、もっと広げれば、社会全体に共通してきたとも言える。
女性であることから逃れられない世界。そして、自分が投じてきたように、外部からの偏見が保たれてしまう世界。そこに残っている「抑圧」を知った。