書評
『アジア ルネサンス―勃興する新・都市型文明』(PHP研究所)
「変電所」機能発揮した近代化
著者がロンドン大学へ留学した一九六三年、日本製品はとうてい国際市場で太刀打ちできる状態ではなかった。ところが著者はロンドン大学の教授に、なぜ日本は唯一、非西欧社会で近代化、工業化に成功したのかと質問された。英国人教授は日本的システムの秘密を知りたかったのである。当時、国内では、なぜ日本はいつまでも近代化に成功しないのかしきりに論じられていたわけだから、教授の問いかけは著者にとってある種のカルチャーショックとなった。日本の近代化論は、欧米のシステムをどう模倣したらよいか、に終始していたのである。アカデミズムが現実と別の場所で空理空論をもてあそんでいる間に、たしかに日本は高度経済成長を実現していったのである。三十年前に投げかけられた疑問を抱え込んだ著者は、従来の一国的経済史の枠を取り払い世界史のなかで考察を進めた。その結果、日本の近代化は欧米のもの真似と否定的に評されてきたが、そうでなく「変電所」機能を発揮したのだと理解する。発電所は、たしかにヨーロッパである。だが西洋から送電される高圧電流は、そのままでは遥かに所得が低いアジア民衆の手に触れることかできない。それを低圧に変える一定の加工を施すステーションが必要になる。戦前なら、マッチ、洋傘、石鹸などが文明のシンボルだった。欧米からの直輸入品は高価で容易に手に入らなかったが、日本の零細家内工業によってこれらの商品はアジアヘ広く普及した。
戦後の最先端技術においても、日本の「変電所」機能は発揮された。カメラ、電卓、自動車などがアジアの工業化を促し、アジアを世界経済の中心へ移行させはじめた。となればもはや日本は「逆発電所」ともいえる。だが果たして日本文明にその資格があるか……。本書の「日本型経済文明モデル」はもうひとつわかりにくい。これは著者のせいというより日本人自身の課題なのであろう。