書評
『幕末維新を駈け抜けた英国人医師―甦るウィリアム・ウィリス文書』(創泉堂出版)
よくぞ訳したり!
幕末維新期に英国から来朝した逸材の一人にアイルランド人ウィリアム・ウィリスがいる。ウィリスは、物情騒然たる幕末の日本にやってきて、医師として貢献しただけでなく、外交官としても活躍した。戊辰戦争にあっては、官軍幕軍両軍の負傷者を分け隔てなく治療したことで知られる。さらに維新後は鹿児島に赴いて医学校を開き、多くの後進を育てた教育家でもあった。
彼は筆まめな人で、夥しい書簡を遺した。本書はその完全な翻訳である。早速一読してみたが、いや実に面白かった。
まずウィリスがその青年期に病院の看護助手と関係して子供が出来、その子について思い悩んでいたことを知って、いっそうウィリスという人が身近に感じられた。
歴史の激動期を直接に経験した彼が、薩英戦争、戊辰戦争、そして維新期の、ありのままの現実を生々しく記しているのは、どんな歴史の本を読むよりも興味深い。なにぶん二段組九百ページ近い大著だから、ここに委しく紹介することは不可能だが、戊辰戦争中の記事に「日本人には、共有財産であるはずの公金に対する道義心と誠実さが嘆かわしいほど欠如している」と言って、会津藩の役人が公然と公金を横領する現実を報告しているのなど、なんだか今日の現実を見るような気がしてくる。
特筆すべきことは、この翻訳の日本語がいかにも見事なことである。これだけの膨大な、それも書翰という特殊な文章を、分かりやすく自然で破綻のない、しかも学術的に正確な翻訳をされたのは、まことに敬服すべきことである。
ともあれ、これこそ歴史の生き証人の言葉として是非多くの人に読んでもらいたいと思った。
初出メディア

スミセイベストブック 2006年11月号
ALL REVIEWSをフォローする