書評

『偶然の音楽』(新潮社)

  • 2017/07/13
偶然の音楽  / ポール・オースター
偶然の音楽
  • 著者:ポール・オースター
  • 翻訳:柴田 元幸
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(329ページ)
  • 発売日:2001-11-28
  • ISBN-10:4102451064
  • ISBN-13:978-4102451069
内容紹介:
妻に去られたナッシュに、突然20万ドルの遺産が転がり込んだ。すべてを捨てて目的のない旅に出た彼は、まる一年赤いサーブを駆ってアメリカ全土を回り、"十三ヵ月目に入って三日目"… もっと読む
妻に去られたナッシュに、突然20万ドルの遺産が転がり込んだ。すべてを捨てて目的のない旅に出た彼は、まる一年赤いサーブを駆ってアメリカ全土を回り、"十三ヵ月目に入って三日目"に謎の若者ポッツィと出会った。"望みのないものにしか興味の持てない"ナッシュと、博打の天才の若者が辿る数奇な運命。現代アメリカ文学の旗手が送る、理不尽な衝撃と虚脱感に満ちた物語。

「偶然」に身を任せた男の物語

三十年も会わずにいた父親の遺産がとつぜん転がり込み、巨額の金を手に入れたナッシュは、妻と別れたあと引き取っていた娘を姉夫婦にあずけ、それなりに好きだった消防士の仕事も辞めて、車でながい旅に出る。なりゆきに任せた気ままな旅は、しかし自由ではなく崩壊への予感に満ちたものだった。

金も底をつきかけてきたところで、ナッシュはジャック・ポッツィと名乗る若いギャンブラーに出会う。ある種の直感から彼はポッツィのなかにおのれの同類を見抜き、大富豪の二人組をカモにしようとする青年の腕に、残りの金のすべてをつぎこもうと決意する。金を取り戻そうとしたわけではない。幼少時代からトラウマのごとく抱えてきた「父」と「息子」の関係を清算するかのように、ナッシュは、ときに息子として、ときに分身としてポッツィを庇護し、そうすることであたらしい自分を見出そうとしたのだ。

ところが『ハスラー』よろしく乗り込んだ敵地にも、彼らふたりを召しあわせたのとおなじ偶然の音楽が静かに鳴り響いていた。フロベールの登場人物、あの冴えないブヴァールとペキュシェの二人組を連想させる男たちの富も、じつは宝くじという僥倖(ぎょうこう)から出発していたのである。けれどもこの奇妙な富豪たちには、偶然の連鎖を必然に引き戻そうとする得体の知れない意志が備わっていた。彼らは事前にポーカーの名手を雇って訓練を重ね、ポッツィを完膚無きまでに叩きのめしたばかりか、借金のかたに、わざわざアイルランドから運ばせた中世の城の石で敷地内に壁を造るというカフカ的な仕事を敗者に課すのである。

オースターはつねに《私》の存在を揺るがす不安の針を読者の懐に滑り込ませる。「偶然の音楽」とは、彼の全業績を言いあてた象徴的なタイトルだが、ここにはかすかな希望も残されているようだ。光のなかに飛び込んでいくナッシュの今後がどうなるのか、物語は開かれたまま、相かわらず誰にも手のとどかない偶然のなかを走りつづけている。

【この書評が収録されている書籍】
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

偶然の音楽  / ポール・オースター
偶然の音楽
  • 著者:ポール・オースター
  • 翻訳:柴田 元幸
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(329ページ)
  • 発売日:2001-11-28
  • ISBN-10:4102451064
  • ISBN-13:978-4102451069
内容紹介:
妻に去られたナッシュに、突然20万ドルの遺産が転がり込んだ。すべてを捨てて目的のない旅に出た彼は、まる一年赤いサーブを駆ってアメリカ全土を回り、"十三ヵ月目に入って三日目"… もっと読む
妻に去られたナッシュに、突然20万ドルの遺産が転がり込んだ。すべてを捨てて目的のない旅に出た彼は、まる一年赤いサーブを駆ってアメリカ全土を回り、"十三ヵ月目に入って三日目"に謎の若者ポッツィと出会った。"望みのないものにしか興味の持てない"ナッシュと、博打の天才の若者が辿る数奇な運命。現代アメリカ文学の旗手が送る、理不尽な衝撃と虚脱感に満ちた物語。

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初出メディア

東京新聞

東京新聞 1999年1月31日

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