書評
『偶然の音楽』(新潮社)
「偶然」に身を任せた男の物語
三十年も会わずにいた父親の遺産がとつぜん転がり込み、巨額の金を手に入れたナッシュは、妻と別れたあと引き取っていた娘を姉夫婦にあずけ、それなりに好きだった消防士の仕事も辞めて、車でながい旅に出る。なりゆきに任せた気ままな旅は、しかし自由ではなく崩壊への予感に満ちたものだった。金も底をつきかけてきたところで、ナッシュはジャック・ポッツィと名乗る若いギャンブラーに出会う。ある種の直感から彼はポッツィのなかにおのれの同類を見抜き、大富豪の二人組をカモにしようとする青年の腕に、残りの金のすべてをつぎこもうと決意する。金を取り戻そうとしたわけではない。幼少時代からトラウマのごとく抱えてきた「父」と「息子」の関係を清算するかのように、ナッシュは、ときに息子として、ときに分身としてポッツィを庇護し、そうすることであたらしい自分を見出そうとしたのだ。
ところが『ハスラー』よろしく乗り込んだ敵地にも、彼らふたりを召しあわせたのとおなじ偶然の音楽が静かに鳴り響いていた。フロベールの登場人物、あの冴えないブヴァールとペキュシェの二人組を連想させる男たちの富も、じつは宝くじという僥倖(ぎょうこう)から出発していたのである。けれどもこの奇妙な富豪たちには、偶然の連鎖を必然に引き戻そうとする得体の知れない意志が備わっていた。彼らは事前にポーカーの名手を雇って訓練を重ね、ポッツィを完膚無きまでに叩きのめしたばかりか、借金のかたに、わざわざアイルランドから運ばせた中世の城の石で敷地内に壁を造るというカフカ的な仕事を敗者に課すのである。
オースターはつねに《私》の存在を揺るがす不安の針を読者の懐に滑り込ませる。「偶然の音楽」とは、彼の全業績を言いあてた象徴的なタイトルだが、ここにはかすかな希望も残されているようだ。光のなかに飛び込んでいくナッシュの今後がどうなるのか、物語は開かれたまま、相かわらず誰にも手のとどかない偶然のなかを走りつづけている。
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