書評

『文芸誌譚―その「雑」なる風景1910‐1935年』(雄松堂出版)

  • 2022/08/20
文芸誌譚―その「雑」なる風景1910‐1935年 / 紅野 敏郎
文芸誌譚―その「雑」なる風景1910‐1935年
  • 著者:紅野 敏郎
  • 出版社:雄松堂出版
  • 装丁:単行本(727ページ)
  • 発売日:2000-01-01
  • ISBN-10:4841902694
  • ISBN-13:978-4841902693
内容紹介:
文学作品の生み出されてくる直接の現場-それが作品が活字となってあらわれてくる「雑誌」(あるいは「新聞」)というものであろう。遠くさかのぼれば、作家の根元的なモチーフとか、構想メモとか… もっと読む
文学作品の生み出されてくる直接の現場-それが作品が活字となってあらわれてくる「雑誌」(あるいは「新聞」)というものであろう。遠くさかのぼれば、作家の根元的なモチーフとか、構想メモとか、また草稿の類ということになり、さらに作家のしたためた原稿ということになるのだが、まずまっ先に多くの人の眼に触れるのは、「雑誌」からといってよい。「雑誌」には総合雑誌、商業的な文芸雑誌、演劇雑誌、美術雑誌などがあるが、著者はとくに当該作家の出発点、あるいは展開期にあたる同人雑誌の類に注目してきた。
文学は感じるものであって考えて分るものではないという主張がある。長い間、私はこの意見は文学についての素朴な感想ぐらいにしか考えていなかった。

しかし紅野敏郎著『文芸誌譚』を読んでいるうちに、私のその考えはひどく平板なものだったのではないかという気がしてきた。なぜなら「感じる」ためには、文学者も読者も現場に立たなければならないということをこの著作は教えているからである。そうして、そのうえで著者は考えている。この場合、考えるという知の動きは感じるということを決して排除しない。むしろ、感じることのなかに含まれ、そこから生れ出てくる知の動作なのだ。

しかし、このことは何を意味しているのか。

明治以後の近代文学の歴史は、常に感じることと考えることとの二律背反に悩んできたのではなかったろうか。

この著作に取り上げられている八十誌を超える同人誌、文芸誌の背後を流れる問題意識のひとつにこの二律背反があり、それがいくつもの趣向・組合せによって登場している様子が伝ってくるのである。そのなかから、私たちが一定のイメージを持ってしまっている文学者の無名時代の意外な顔や彷徨の姿が現れるのである。また、続く者に強い影響を与えながらも、近代文学史の表舞台からは消えてしまっていた精神と感性の所有者も発掘されてくるのであった。

秋庭の個人雑誌『軟文学研究』創刊号入手。一九二九年(昭和四)五月十五日発行。一九〇七年(明治四十)生れの秋庭太郎はこのとき二十二歳である。まさにあっと驚く。

というような紅野の記述には、研究者として宝の山を掘り当てた時の驚きと喜びが伝ってくる。

『軟文学研究』がプロレタリア文学運動の激烈であった一九二九年(昭和四)という時期に、若き学徒(まだ東洋大学に籍を置いていた)一人の手で、時代そのものに背を向けるようなかたちで創刊された史的意義は、強調してもしつくせないほど甚大。

という文章に続けて著者が、

創刊号表紙の上方には『江戸明治時代』という言葉が刷り込まれていたことも、江戸から東京への連続面を意識してのことであったと想像される。

と書いているのを読むと、近代文学史のなかでの第二の主題、伝統的美意識といかに向い合っていったらいいのかという問題の前に私達は連れ出されるのである。

感性と思想の問題は切り口を変えれば、伝統的美意識と新知識の問題なのであった。維新以後、アジア大陸の東端にある島嶼(とうしょ)国家である我国には、当時文化の中心であったヨーロッパで何が起っているのか、もしかすると自分達だけが遅れているのではないかという不安が定着してしまったかに見える。この心理的習性はもっとも敏感に文芸思潮の面に現れていた。と同時に、同じ心理構造から過度に古い権威を拒否し、自らの存在理由を明示したいという衝動が生れた。ここから、「新しい」「もう古い」という、本来価値判断基準になるはずのない軽い物指しを文芸の意識の上に投影させたのであった。

次々に誕生した文芸誌のいくつかは、こうした「権威の否定」を背骨に持っていたのであった。ただ、その否定は、日本の社会の構造変化に基盤を持っている場合は少なかった。プロレタリア文学運動が体制の苛酷な弾圧にもかかわらず、敗れること必定の戦いを続けることができたのは、信仰的な側面と同時に社会構造のなかに、文芸上の主張を裏付ける一定の条件があったからと思われる。

尾崎翠の『第七官界彷徨』の初出誌として知られている「文学党員」誌はプロレタリア文学を目指したものではない。紅野敏郎も指摘しているように、この同人誌の意識は、

「党員の文学ではなく、文学の党員である」

のであった。この雑誌の創刊号は昭和六年の一月一日であるが集っていた人々の名前を、尾崎翠、逸見広、高橋文雄、尾崎一雄、宮本顕治、杉本捷雄、保高徳蔵、和田伝、と見ていくと「文学の党員」だと承知していてもある意外な感じが湧いてくるのである。

紅野敏郎が紹介するこの雑誌の第二号の巻頭が宮本顕治の「評価の科学性について」であり、尾崎翠の前記の小説が続き、後に『日本の農民小説』という評論を発表した和田伝の「草深い闘志」が掲載されているのを見れば、私でなくてもこうした取合せに意外な感じを持つのではないだろうか。和田伝は農民小説に関する書評論のなかで、

(前略)農民の立場から直訳マルクシスム及び無産市民と労働者の諸無産政党に対する独自の批判が抬頭し、無産農民の新しい陣営が敷かれつゝある。

と述べているのだから、この雑誌の特性は紅野敏郎の言うように「雑居的」というところにあったように思われる。そうしてこの雑居性は「文学党員」のひとつ前に取り上げられている「東京派」が田村泰次郎、大島博光、河田誠一、宮川健一郎らによって構成され、また「文芸道」が須藤鐘一、井伏鱒二、黒島伝治、葉山嘉樹らを主な構成員としているところなどを見ても、数多くの文芸誌に共通してみられる性格なのである。

言うまでもなく雑居性とは思想的雑居性、地縁的雑居性、文芸手法上の雑居性と物指しの取り方でいろいろの様相を示すのだが、顕著なのは思想的雑居性であり、皮膚感覚的雑居性は意外に少いように思われる。

「文学党員」が創刊された昭和六年に和田伝は三十一、宮本顕治は二十三、尾崎翠は三十五だったことを考えると、若さゆえに雑居が可能だったということも、私自身の学生時代の経験を振返っても言い得ると思うのだが。しかし、若さゆえに鋭く対立することもまた多いのであってみれば、やはり我国の近代文学にあっては文学を志す者は思想ではない「何かを探して」集ったのだと言えそうである。あるいは思想が文学上の何かになっていなかったと言うべきだろうか。そして、これこそ我国の近代文学の性格でもあり宿痾だったのかもしれないのだ。このことは明治以後、いく度かの歴史の節目に〝国民文学論〟が擡頭している事実にも現れている。なぜなら、文学者の多くが自分たちが書く小説・評論が〝国民文学〟ではないことの自覚を持っていた事を、この現象は示しているのだから。このことは、歌人たちが歴史の節目に「短歌の危機」を唱えて〝国民短歌論〟を唱えなかったことと鋭い対称を示している。

この紅野敏郎の著作は、文学のみならず、舞台芸術や映画にも視野を拡げ、連載小説の挿絵にも言及することで、読者を文学を取巻く全体的情況のなかに連れ出すことに成功している。例えば、谷崎潤一郎の新聞小説『鬼の面』『黒白』の挿絵などを見ると、当時この新聞小説を読んでいたであろう人々の表情や服装、読んでいる部屋の佇いまで浮んでくるようなのだ。私は、我国の新聞小説が挿絵を持つことで独特の発達をした背景には中世の絵巻物の伝統があったのではないかと思っている。挿絵とは文と絵が一体になって読者を作品の現場に誘う装置なのではないか。

一度、このことに気付いてこの『文芸誌譚』を見直してみると、随所にその雑誌の(主に創刊号の)写真が掲載され、その他にもいくつもの図版が紹介され、そのうえ、巻末には人名索引まで作られている親切さなのである。これは、何とかして多くの読者を近代文学の歴史的な現場に誘って、感覚的にも先達文士たちの作品に触れさせることで、日本の文学全体の新しい出発の土壤を形成しようとの並々ならぬ情熱がもたらした達成ということができるのである。

そうした著者の情熱と綿密な学問的追求の努力の積重ねによってこの著作それ自体が、近代文学についての興味のつきない絵巻物になったのである。
文芸誌譚―その「雑」なる風景1910‐1935年 / 紅野 敏郎
文芸誌譚―その「雑」なる風景1910‐1935年
  • 著者:紅野 敏郎
  • 出版社:雄松堂出版
  • 装丁:単行本(727ページ)
  • 発売日:2000-01-01
  • ISBN-10:4841902694
  • ISBN-13:978-4841902693
内容紹介:
文学作品の生み出されてくる直接の現場-それが作品が活字となってあらわれてくる「雑誌」(あるいは「新聞」)というものであろう。遠くさかのぼれば、作家の根元的なモチーフとか、構想メモとか… もっと読む
文学作品の生み出されてくる直接の現場-それが作品が活字となってあらわれてくる「雑誌」(あるいは「新聞」)というものであろう。遠くさかのぼれば、作家の根元的なモチーフとか、構想メモとか、また草稿の類ということになり、さらに作家のしたためた原稿ということになるのだが、まずまっ先に多くの人の眼に触れるのは、「雑誌」からといってよい。「雑誌」には総合雑誌、商業的な文芸雑誌、演劇雑誌、美術雑誌などがあるが、著者はとくに当該作家の出発点、あるいは展開期にあたる同人雑誌の類に注目してきた。

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図書新聞 2000年5月13日

週刊書評紙・図書新聞の創刊は1949年(昭和24年)。一貫して知のトレンドを練り続け、アヴァンギャルド・シーンを完全パック。「硬派書評紙(ゴリゴリ・レビュー)である。」をモットーに、人文社会科学系をはじめ、アート、エンターテインメントやサブカルチャーの情報も満載にお届けしております。2017年6月1日から発行元が武久出版株式会社となりました。

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