自著解説

『図説 日本民俗学』(吉川弘文館)

  • 2020/10/30
図説 日本民俗学 / 福田 アジオ
図説 日本民俗学
  • 著者:福田 アジオ
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(276ページ)
  • 発売日:2009-10-01
  • ISBN-10:4642080279
  • ISBN-13:978-4642080279
内容紹介:
日本列島各地にいきづくさまざまな民俗。日本人の心のふるさとを豊富な図版で探る。

民俗を知り、民俗学を理解する

日本の民俗学は欧米の民俗学とは大きく異なる。その最大の相違は、欧米の民俗学が語りの民俗学であるのに対して、日本の民俗学は行為の民俗学であるという点にある。欧米の民俗学も日本の民俗学もともに、現在生きて暮らしている人々に会って、その人の語りを通して研究資料を獲得する。いわゆる聞書きという方法である。しかし、聞書きが共通であっても、その後の研究手続きは大きく異なる。欧米は聞書きで得た語りそのものを研究する。昔話、伝説、民謡などであり、近年親しまれている表現では都市伝説である。日本の民俗学も、もちろんそれらの口頭伝承と呼ばれる事象も取り扱うが、それらが中心を占めてはいない。日本の民俗学は、聞書きを通して、人々が行っていることを把握し、研究しようとする。

民俗学が研究対象とする事象を民俗という。民俗と表現される事象は、民俗学の概説書の構成に示されているように、年中行事であったり冠婚葬祭であったりする。それらは人々が集合的に過去から継承して、現在も行っていることである。正月から始まって年末にいたるまで、月日を定めて様々な行事が行われる。あるいは誕生に始まり、人間の成長過程の重要な節目に様々な儀礼が行われる。七五三、成人式、結婚式、還暦祝いなどであり、人生最後で最大の儀礼である葬式、そして故人の供養まで、人生の各段階に儀礼がある。民俗といえば、このような儀礼や行事のことであり、また華やかな祭礼がイメージされる。また、人々の生活の様々な場面で集合的に引き継ぎ、行っていることも民俗である。農業とか漁業とか狩猟という生業・生産、また人々の組織であったり、制度であったりする。民俗は人々が日常的に行っていることである。

民俗は人々の集合的事象であり、誰しもが経験してきたことである。学問として大学で学んで知ることではなく、生活体験のなかで知ることであり、仮に民俗学の先達である柳田国男(やなぎたくにお)が書いた論文や著作を読む場合であっても、自己の生活体験の裏付けがあって、その体験に照合して理解してきた。等身大の事柄として柳田国男やその他の先達の著作も理解することができた。しかし、現在はそれが不可能な状況になってきた。ムラの解体が叫ばれて久しい。過疎化と都市化が民俗の伝承母体を壊し、さらにグローバル化の波は地域の個性を消してきた。そのような状況のなかで育った人たちが大学で学問として民俗学を学び、体験の裏付けのないままに、民俗を解釈し、また先達の著述を理解しようとする。言葉として民俗を理解し、解釈することが当然のようになってきた。その点では、語りの民俗学になっていると言えるかもしれない。それは空疎(くうそ)な言葉が散りばめられた評論的民俗学になってきたことを意味する。

現実の生活のなかから民俗を把握し、その等身大の世界で民俗学を構築しなければならない。民俗学を学ぶ者が自ら直接民俗を体験することが簡単にできないのであれば、別の補助的な方法を採用することが試みられて良いだろう。日本の民俗学が行為の民俗学であるという特質に対応して、民俗を間接的に体験できる方法を考え、体験に代わる手段としなければならない。このようにして考えて編集したのが、『図説日本民俗学』である。世界的に見て、恐らくこのような類書はないであろう。語りの民俗学では、そのような発想は出てこない。行為の民俗学という特質が生み出したアイデアである。

列島各地で現に行われている民俗を写真によって収集して、それを見ることによって、直接的な体験に代わって、民俗の具体的なイメージを獲得できるようにした。写真で民俗を表現するということは、カメラで民俗を撮影することが前提となっている。自覚的に民俗の写真を撮ることは古くからのことではない。渋沢敬三(しぶさわけいぞう)を中心としたアチックミューゼアムの同人たちがすでに一九三〇年代から民俗を写真におさめることをしているが、その先駆性は高く評価できても、民俗全般を撮影して残してくれてはいない。やはり第二次大戦後に次第に盛んになったことである。調査にはカメラを持参することは当たり前になり、宮本常一(みやもとつねいち)はじめ多くの研究者が多くの写真を残すようになった。しかし、その活用法は開拓されなかった。

民俗を自覚的に撮った写真を、民俗事象全般について収集し、民俗学の内容に応じて配置し、それに説明を加えることで、民俗事象への知識とそこから引き出される民俗的意味の理解を図った。それらはごく一部を除くと、第二次世界大戦前に撮影された、いわゆる古写真ではない。一九七〇年代以降の四〇年間ほどの間に撮影された写真であり、その多くは九〇年代以降のこの二〇年間に撮影された現代の写真である。言い換えれば、民俗はすでに消え去った存在ではないし、過去の存在になってしまったのではないことを教えてくれる写真である。確かに日常的に経験できるほど民俗が当たり前の存在ではなくなっている。しかし、注意してみれば、列島各地に民俗は行われ、伝えられているのである。本書に収録した豊富な写真は、民俗が現在生きて存在することを示している。

若い世代の人たちも、高校受験や大学受験に際して、合格祈願の小絵馬(こえま)を神社に奉納したことがあるであろう。各地の神社には奉納された絵馬が大量にかけられている。それは立派な民俗であり、そのように見ると各地の家の出入り口にもお札や長寿の人の手形が掲げられているのを発見するであろう。これも民俗である。また、今や水田などは一枚もない住宅地の自治会が子供たちの行事として虫送(むしおく)りを盛大に実施している。これも民俗である。親子二世代の夫婦が、同じ屋敷内で暮らす家屋を別にする隠居制は、西南日本を中心に今なお盛んであり、新しい住宅に改築する際にも、母屋と隠居屋を別々に造っている。土地によっては、新しい墓石にも必ず屋号が刻まれている。別の地域では、墓石に家紋とは別に必ず家印が彫られている。これらも民俗であり、地域における家を理解するための重要な資料である。氏神・鎮守の祭りは、簡略化しつつもどこでも行っている。

民俗の存在を過去のことと考える傾向は若い人に強い。しかし、注意深く見れば、どこにでも民俗は見られる。『図説日本民俗学』は、そのことを写真によって示すことができた。明治年間や戦前の記念写真を掲げるのではなく、この数十年間の間に行われてきた実際の民俗を写真で示すことができた。民俗学は、生活文化の歴史を明らかにする学問であるが、その基礎には現代の民俗が存在する。現代の民俗は具体的なイメージを伴って理解できる。それを基礎に、世代を超えた時間を獲得しようとする。現代の民俗をこの数十年間の歴史として理解する薄っぺらな歴史研究ではない。過去から現代にいたる世代を超えた長い時間のなかでの変化・変遷を明らかにするのが民俗学である。現代の民俗を写真で知ることで、具体的なイメージを伴って歴史の深みに進むことができる。

民俗は今や滅びて存在せず、過去の記述のなかにしか見られないと思いこんでいる若い人々が、本書を手にすることで、民俗が生きて存在することを実感して欲しい。

[書き手] 福田 アジオ(ふくた あじお・民俗学)国立歴史民俗博物館名誉教授。
図説 日本民俗学 / 福田 アジオ
図説 日本民俗学
  • 著者:福田 アジオ
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(276ページ)
  • 発売日:2009-10-01
  • ISBN-10:4642080279
  • ISBN-13:978-4642080279
内容紹介:
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初出メディア

本郷

本郷 2009年11月号(84号)

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