書評
『やさしいため息』(河出書房新社)
ただそれだけのことが心地よい
小説家としてデビューして間もないころ親しい編集者から「本が3万部以上売れたら気をつけてくださいね。小説が甘くなってる証拠です。あなたの小説はそういうタイプですから」と忠告された。小説は大衆に読まれて初めて存在理由をまっとうするものだと思うけれど、どれほどの読者を持つか、これはタイプによって相当に異なる。広く大衆に親しまれる作風もあれば、ある特定の人たちにのみ痛烈に訴えるものもある。
青山七恵は評価の高い新鋭だが、やたら多くの読者を集めるタイプではあるまい。ストーリー性より人間の微妙な感性に目を配って快い。文体と小説の技法に仕かけがある。20~30代の女性がサラリと読んで楽しめるが、文学ファンは、もっと深い謎を読み取るかもしれない。
主人公は社会人になって5年の独身女性で、アパートで一人暮らしている。気ままな弟が舞い込んで来て、この弟の特技は姉から一日の出来事を聞いて、それを日記に綴ること。姉は自分の平凡な毎日が書かれて釈然としない。そこで嘘を交える。すると、それがその後の行動に反映したりする。弟の友人が現れ、恋人のような存在になったりして、このあたりに小説らしいストーリーの展開も見られるが、40~50代の読者は、
「このヒロイン、なに考えてるんだ」
と鼻白むかもしれない。
それは、まあ、いっこうにかまわない。この作風を熱く求める読者もいるのだから。やがて弟は去り、弟の友人も去り、ヒロインは自分を包む空気が少し移動したような変化を見いだすが、これをして成長小説(ビルドゥングスロマン)と見るのは辛い。そういうタイプの小説ではない。本当のところ代筆の日記はなにを言おうとしているのか。そんな思案も生じてくるが、この方向は多くの読者に訴えるものではあるまい。小説家は“人が歩き、犬がほえ、車が走る”というただそれだけのことを書いても文章に巧みさが、おもしろさが光る、と私は信じているが、この作家の筆致には、それが漂って、読み心地がよい。
朝日新聞 2008年7月20日
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