永田町と政治学つなぐ分析
政治の現場で悩みながら動きまわる生身の政治家を、どう捉えたらよいのか。著者の考察の出発点はここにある。もっとも連日新聞紙上を賑わせている永田町の政治家たちについて、誰がこう言ったの、彼がこう洩らしただのという情報には、我々も案外精通している。問題は、そうした永田町マスコミレベルの情報と、構造的抽象的に精緻さを究めるようになった現代政治学の間をいかにつなぐかという点にある。そこで著者が用意する分析の方法は、レトリック論であり認知心理学だ。現におきた状況を別の何ものかになぞらえて認識し表現すること、これをすなわち「見立て」と言う。政治における「見立て」の基本は、「船」である。○○丸の船出、○○船長の舵取り、円高の厳しいうねり、難航する政治改革など。「船」はこうして多くの縁語をよび、時には「飛行機」に変形し、さらには乗り物一般へと拡大していく。
理くつはさておき、著者が描写する一九八九年から九三年にかけての「見立て」の構図は、政治の言語戦争的側面をよく現していて興味深い。この時期の基本的な「見立て」は、追い風、逆風に象徴される「風」である。「追い風」をうけ「山が動いた」と勢いづく社会党。「逆風」にさらされ「お灸」をすえられじっとしている自民党。
しかし「風の行方」は一方向的ではなく、常にくるくると変わる。とはいえ、それはあくまでも五五年体制の枠の中に止められた「風」なのだ。だからこそ、あまりにも有名な「ダメなものはダメ」という土井たか子社会党委員長の発言が、国対政治の否定という意味で五五年体制の枠を越えようとした時、何でも「絶対反対」という社会党の伝統的な文脈に、物の見事に戻って行ったのであろう。
がんらい「見立て」は保守政治に適合的であった。しかし五五年体制が過度に硬直化したためか、自民党であれば、いわゆる保守政治家から最も遠いところにあった宮沢喜一、自社両党であれば革新の社会党が、しだいに「見立て」のダイナミズムに馴染むようになった。これは「見立て」の有効性における最大のパラドクスと言えまいか。