書評
『高野聖・眉かくしの霊』(岩波書店)
問わず語りの物語
「木曾街道(きそかいどう)、奈良井(ならい)の駅は、中央線起点、飯田町(いいだまち)より一五八哩(マイル)二、海抜三二〇〇尺……」と語り出される泉鏡花『眉かくしの霊』。境という作者の友人が木曾の奈良井宿でこんな目にあったと問わず語りの物語。前夜、境は松本で夕食にうどん二杯にしかありつけなかった。そのうめあわせか奈良井の宿ではふっと煙の立つ厚焼タマゴに鶇(つぐみ)五羽、芳(かんば)しい丸焼ときて、ありがたい、じつにありがたいとむしゃぼり食ううちに思い出したのは、日本橋の芸者が客と一緒に木曾に来て、鶇猟を楽しみ、その場で焚火でつけ焼きにして、ああおいしいとむしゃぼりくらい、すっと立ったその口が血だらけで、回りはきゃっと驚いて、と話しながら芸者がハンカチで口もとをおさえた。すらりとした若い女のそのようすの凄かったこと、間違って猟師にズドンとやられかねないきれいな鬼で……。それを聞いていた宿の料理番の顔が暗く沈む。
境が橋を渡って湯殿へゆくと、二つ巴(どもえ)の紋の提灯が点って、誰もいないはずの湯ぶねに人の気配がして、ばちゃん、と湯が鳴る。取って返して女中にきくと、そんなはずはない。
窓の外でばちゃんと音がして、雨戸をあけると、白鷺が池の鯉をねらって降りてきたのだ。それを料理番が追い払っている。会釈して去ってゆく料理番の脇にふわりと巴の提灯が点った。首筋がぞっとして境がふりむくと、座敷に白鷺かと思う女が鏡台に斜めにむかって化粧をしている。こっちをむくと、両眉を懐紙で隠して、「似合いますか」とにっこり笑いかけた……。
料理番が境に、「昨年の丁(ちょう)ど今頃でございました」と問わず語りにこんな話をする。
すらりと婀娜(あだ)な姿の柳橋のお艶さんがやってきて、宿を取った。お艶さんは、着いてすぐひと風呂浴びると山王社にお参りした。山王社の奥には桔梗(ききょう)の池という池があって、水は真桔梗(まっききょう)に青く、周りの桔梗はまっ白い花を咲かせる。そこには美しい女が住み、料理番は以前、彼女が鏡台に斜めにむかって化粧をしている姿をみたことがある。その時の美しさ、凄さといったら。女は眉を落としていた。料理番はこの話をお艶にきかせた。
お艶は、東京で起きた色恋沙汰の処理をするのに義侠心からひとり奈良井に乗りこんで、夜、相手の家に押しかけてけりをつけようとする。出掛ける前の身じたくのあと、懐紙を眉にあて、料理番をにっこりふりむいて、似合いますか。顔のまっ白な皮膚の中から剃りたてのまっ青な眉のあとが浮かんだ。料理番が提灯を持ってお供する。
二つ巴の紋だね、と境が口を挟んだ。へい、よくご存じで。
ところが途中で蠟燭が切れかかり、替えを取りにもどった間に、お艶を桔梗の池の魔ものと見誤った猟師がズドンと一発。料理番があわてて駆けもどると、お艶は土手の雪を枕に、寒いわ、ああ冷たい、とつぶやき、唇から血がつーと流れてこと切れた。それが昨年の丁ど今頃で……とここまで話して料理番の顔がまっ青になる。
「旦那、提灯が、あれへ、あ、あの、湯どのの橋から、……あ、あ、ああ、旦那、向うから、私(てまい)が来ます、私とおなじ男が参ります。や、並んで、お艶様が。」
(略)
「似合いますか。」
「語り」の妙を存分に尽くした傑作だ。僕は時々、これを子供たちに朗読してやる。なんといっても彼らが興奮するのは、ああ、旦那、向うから私(てまい)が来ます、という条(くだり)だ。そして、僕は最後に、読んでいた本を眉にかざして、か細い女の声音(こわね)で、「似合いますか」。まわりがはっと息をのんで、しんとなる。
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