書評
『バディ・ボールデンを覚えているか』(新潮社)
マイケル・オンダーチェを知っているか――。四十三年スリランカ生まれ。五十三年のイギリス移住を経て、五十九年にカナダへ。それらの作品の全てを母語ではない英語で書いている経歴によって、ロシアからアメリカに亡命し英語で作品を書き続けたナボコフ同様、外国人作家というより世界作家という呼び方がふさわしい逸材なのである。
これまでに邦訳された小説はというと、『ビリー・ザ・キッド全仕事』(国書刊行会)と『イギリス人の患者』(新潮社)の二冊。映画化されたこともあり、『イギリス――』のほうが読まれているかとは思うけれど、個人的には『ビリー――』がより好きだ。詩人でもあるオンダーチェの語り口はとてもトリッキーで、ある物語の断片から、また別の物語の断片へと目まぐるしく飛び、文章もいわゆるエンターテインメント系作家のそれのように説明的ではなく、行間からイメージを立ち上がらせる感覚的な力にみなぎっている。そこがとんでもなくカッコイイ!
『イギリス――』もそうした基本スタイルこそ備えてはいるのだけれど、二十代で書いた『ビリー――』と比べると、五十歳に手が届く円熟期に書いただけあって、その身振りが上品で、洗練されすぎているといった印象を受けてしまう。知らぬ者とていない西部のならず者の短い人生を、詩や写真、インタビューなど様々な声で再構成。語り手もクルクル変わるというポリフォニックな詩小説『ビリー――』の前衛性の荒々しさ、みずみずしさ、カッコよさに打ちのめされた後では、『イギリス――』の成熟した筆致が物足りなく思えてしまうのだ。
『バディ・ボールデンを覚えているか』は、『ビリー――』タイプのテイストの作品だ。一八七七年生まれのニューオリンズ・ジャズ最高のコルネット奏者。その後の黒人ジャズのスタイルを創出したといわれるほどの天才だったけれど、一九〇七年に精神に異常をきたし、後半生を精神病院で送った。写真が一枚残ってはいるものの、演奏の録音は残っていない――そんな伝説の人物の数奇な生涯を、オンダーチェはバディその人や、彼の友人知人、妻や愛人に、まるで恐山のイタコのように憑依されることで再現している。
床屋をやっていたとか、噂話や醜聞や陰惨な事件だけで構成した個人新聞を作っていたとか、彼の演奏が二十キロ先まで聞こえたとか、今となっては研究者によって事実ではないとされている数々の伝説を、虚構の力を愛する小説家オンダーチェは逆に生き生きと現実化してみせる。断片を無造作に並べただけに見えるコラージュ、それに伴う視点の急激な変化、詩に限りなく近いスタイリッシュな文体を駆使して、オンダーチェはビリー・ザ・キッドの時と同様、バディ・ボールデンの人物像を3D的に立ち上げることに成功しているのだ。事実が一体なんぼのものなのか。時に虚構のほうが“真実”をよく伝えることを立証した、これは小説の、世界に対する勝利宣言のごとき傑作なのである。
【この書評が収録されている書籍】
これまでに邦訳された小説はというと、『ビリー・ザ・キッド全仕事』(国書刊行会)と『イギリス人の患者』(新潮社)の二冊。映画化されたこともあり、『イギリス――』のほうが読まれているかとは思うけれど、個人的には『ビリー――』がより好きだ。詩人でもあるオンダーチェの語り口はとてもトリッキーで、ある物語の断片から、また別の物語の断片へと目まぐるしく飛び、文章もいわゆるエンターテインメント系作家のそれのように説明的ではなく、行間からイメージを立ち上がらせる感覚的な力にみなぎっている。そこがとんでもなくカッコイイ!
『イギリス――』もそうした基本スタイルこそ備えてはいるのだけれど、二十代で書いた『ビリー――』と比べると、五十歳に手が届く円熟期に書いただけあって、その身振りが上品で、洗練されすぎているといった印象を受けてしまう。知らぬ者とていない西部のならず者の短い人生を、詩や写真、インタビューなど様々な声で再構成。語り手もクルクル変わるというポリフォニックな詩小説『ビリー――』の前衛性の荒々しさ、みずみずしさ、カッコよさに打ちのめされた後では、『イギリス――』の成熟した筆致が物足りなく思えてしまうのだ。
『バディ・ボールデンを覚えているか』は、『ビリー――』タイプのテイストの作品だ。一八七七年生まれのニューオリンズ・ジャズ最高のコルネット奏者。その後の黒人ジャズのスタイルを創出したといわれるほどの天才だったけれど、一九〇七年に精神に異常をきたし、後半生を精神病院で送った。写真が一枚残ってはいるものの、演奏の録音は残っていない――そんな伝説の人物の数奇な生涯を、オンダーチェはバディその人や、彼の友人知人、妻や愛人に、まるで恐山のイタコのように憑依されることで再現している。
床屋をやっていたとか、噂話や醜聞や陰惨な事件だけで構成した個人新聞を作っていたとか、彼の演奏が二十キロ先まで聞こえたとか、今となっては研究者によって事実ではないとされている数々の伝説を、虚構の力を愛する小説家オンダーチェは逆に生き生きと現実化してみせる。断片を無造作に並べただけに見えるコラージュ、それに伴う視点の急激な変化、詩に限りなく近いスタイリッシュな文体を駆使して、オンダーチェはビリー・ザ・キッドの時と同様、バディ・ボールデンの人物像を3D的に立ち上げることに成功しているのだ。事実が一体なんぼのものなのか。時に虚構のほうが“真実”をよく伝えることを立証した、これは小説の、世界に対する勝利宣言のごとき傑作なのである。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする







































