書評
『殺人全書』(光文社)
山の中の殺人
美濃の山奥で、炭焼きの男が貰い子の娘と実の男の子を斧で切り殺した。炭が売れず、その日も里へ米を都合しにおりたが甲斐なく、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。眼がさめて見ると、小屋の口いっぱいに夕日が差していた。秋の末のことであった。二人の子供たちがその日当たりのところにしゃがんで、一心に大きな斧をといでいる。「おとう、これでわしたちを殺してくれ」といって入口の材木を枕にして、二人並んで仰向けに寝た。……有名な柳田国男の「山の人生」第一章、「山に埋もれたる人生あること」の冒頭である。柳田はこの事件を法務局参事官のとき、厖大な裁判調書をめくっていて偶然みつけた。彼がこの話を友人の田山花袋にすると、花袋は、事実が深刻なので文学とか小説とかにできない、と聞き流してしまった。
この章は、「我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遙かに物深い」と締めくくられている。
生意気いうようだが、僕ならこの話にとびついて「文学とか小説」にする。第一、柳田の文ですら大いに小説的で、かつそれだからこそこの語りがかくも人々の心に強烈な印象を与え続けてきたのだ。別の資料によると、この事件については、炭焼き自身の打ち明け話が残っており、姉娘は貰い子でなく実子で、時は秋の末ではなく夏の初め、斧をとぐのは子供でなく父親だ。
そして、何よりも柳田の語りが力を持つに至ったと思えるのは、炭焼きが「すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった」という描写だ。昼寝をしてしまった男がふと目をさましてみると、夕日が小屋口いっぱいに差している。その夕日の光景が凄絶に美しければ、あとはどのような惨劇が起きようと……。
山の中の殺人というのはどこか僕の心をそそる。以前、紀伊半島南部の山村で四十五歳の男が六十六歳の男に農薬入りの酒をのませ、自分ものんで死ぬという事件があった。怨恨でもなく、謎の無理心中として話題になった。僕はこの事件から「マノンの肉体」という中篇小説を書いたが、二人の男が酒をのんでいる山の斜面の家に夕日をいっぱい浴びさせた。
山の中の殺人で、忘れられないのがもうひとつ。岩川隆の『殺人全書』に収められている。
清三(仮名)は小さい頃から虚弱で耳がよくきこえなかった。短気で酒乱の父親はいつも清三を冷たく扱い、母親に対しては暴力をふるった。その父親がナメコ栽培で山奥深く入った嵐の夜、清三は耳鳴りがして眠れず、父親が彼を殺しに山をおりてくるのをみる。もちろん幻覚だが、翌日、彼は雪の山へ父に会いにゆく。ちょうどその日、父親は山で夫婦ムジナのかたわれをワナで獲ってほふったばかりで、突然現れた息子をムジナが化けて出てきたものと思いこむ。
ムジナでねえよ、おれは、と何度いっても父親の疑いは深まるばかりだ。その夜、二人はムジナの肉鍋を食い、焼酎をのんだ。一晩、二人は山小屋でまんじりともせず、父はムジナの正体を見破ろうとし、息子は正体をわかってもらおうと必死になる。「おれ、ほんとムジナじゃねえよ」「いや、変だ。どうもおかしい」。父親は腰の斧に手をかけてにじり寄る。このままではムジナにされて殺される。と、息子ははっと目がさめたように、自分がなんのためにここにきたかを悟り、父親に躍りかかった。
岩川のこの本は、「ムジナ幻想」一件を拾ったことで名著となった。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする