前書き

『鳥獣戯画を読む』(名古屋大学出版会)

  • 2021/02/05
鳥獣戯画を読む / 伊藤 大輔
鳥獣戯画を読む
  • 著者:伊藤 大輔
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2021-02-08
  • ISBN-10:4815810125
  • ISBN-13:978-4815810122
内容紹介:
謎の絵巻とも言われる国宝「鳥獣戯画」。なぜ動物が擬人化されているのか。その流動する画面はどのように連環しているのか――。中世日本の芸能、王権、美意識にもとづく精緻な分析と、動物と人間のシームレスな関係についての考察により、全四巻を読み解く。マンガ・アニメ起源論も検証。
日本美術史上の「四大絵巻」の一つにも数えられる「鳥獣戯画(鳥獣人物戯画)」。擬人化された猿・兎・蛙……人々を惹き付けてやまないあの絵巻には、いったい何が描かれているのでしょうか?
『肖像画の時代』などの著作で知られる美術史家・伊藤大輔氏による『鳥獣戯画を読む』がこのたび刊行されました。以下、本書の「はじめに」全文を特別に公開いたします。

謎多き国宝絵巻、全四巻をどう読み解く?

「鳥獣戯画」は謎の絵巻と言われている。誰が、いつ、どこで、何のために作ったのか分からない。また、何を描いているのかも分からない。一番有名な甲巻では、一見、動物たちが心明るく遊びを楽しんでいるように見えるが、しかし、猿との争いの結果、蛙が昏倒していたりする。模本にまで目をやれば、最後には蛇が出現して、楽しいはずの世界は破綻に追い込まれてしまっている。遊びの楽しさがないとは言わないが、蛙の昏倒はもとより、相撲の取り組みで蛙が兎の耳にかみついていたりするのを見ると、自然ならではの殺伐とした暴力性の香りもそこはかとなく漂っているようである。

さらに甲巻だけでなく、乙巻・丙巻・丁巻のそれぞれが何を語っているのかも不明であり、全四巻が連作として相互に連携し合って一つの体系を構築しているのかも分からない。

要するに、制作事情など作品を外から支えるコンテクストについても、またテクスト内部の読み取りに関しても、確かなことは分からないのである。

従って、「鳥獣戯画」を理解するためには、関連がありそうな文献史料を掘り下げて外側のコンテクストを実証的に確定するか、目の前に残された絵画テクストを丁寧に読み解いて作品の志向するところを内側から明らかにするか、いずれにせよまずは一つの方向から地道に探究を進める以外、手立てがないのである。

タイトルを見れば分かるように、本書では後者の方法を採る。しかし、だからといって簡単に問題が解決するわけではない。「鳥獣戯画」は四巻を通して詞書が無く、制作者の側から読み取り方が指示されることはない。また、その画面も意味の確定を逃れるようなところがある。先にも述べたように、楽しい遊びは時にエスカレートして争いと化す。そこには、人間らしい文化性と自然の暴力性といった矛盾する要素が両義的に提示されている。

これまでの研究は、実証性を重んじるあまり、こうした矛盾を何とか解決し、合理的かつ統一的にこの絵巻が語るところを理解しようと試みてきた。しかしその結果は必ずしも成功していないことは、この作品が謎の絵巻と言われ続けていることからも明らかである。

そのため、本書では狭義の実証の観点から離れ、矛盾を矛盾として受けとめることから始める。一つのテクストの中に、矛盾や非合理性、両義性や多義性が存在することは、実証にこだわらずテクスト論的立場に立てばそれほど奇妙なことではない。そしてこれは私個人の思いつきではなく、研究の流れを踏まえたものである。本書の第2章で詳述するように、研究史をたどってみると、テクスト論的な立場に研究の段階はシフトしつつあることが分かる。こうした研究史的な反省の上に、本書の立論の足場は築かれている。

言い換えると、かつてのように主題や意味の確定に一直線に向かうのではなく、一歩引いて、謎が生み出される仕組み、どのような仕掛けが謎を生んでいるのかを考えるということである。テクストの中の矛盾や非合理性、両義性や多義性をえぐり出し、それを合理的なものや一義的なものに整序するのではなく、そうした矛盾や両義性の提示こそがテクスト生成の意図であると発想を転換することで「鳥獣戯画」というテクストを読み解いてゆくのが本書の方針である。

本書の探究の中心は、やはり芸術的出来映えが優れ、全四巻の中核をなすと考えられる甲巻である。そこに登場する擬人化された猿・兎・蛙などの動物たちは、既にして動物と人間の両方の意味を担った両義的存在である。動物とも人間ともつかない意味不明のキャラクターが動物的自然の領域と人間的文化の領域をまたいで自在に活動する甲巻は、二律背反の合一そのものである。

しかし、ここで一歩踏み込んでおきたいのは、動物と人間の関係を二律背反と捉えてしまう考え方自体の問題性である。よくよく考えれば、人間もまた動物の一種であり、ヒトとチンパンジーの遺伝子的差異はほんのわずかであるとも言われている。動物と人間を区別することを通して人間性を考察するという問題の立て方は、アリストテレス以来の西洋の哲学における伝統的な思考方法である。そしてまた、現代思想や人類学では、そうした弁別的な思考が近代の人間中心主義を生んだと批判的に捉えられ、自然との共生が大きな思想的課題となっているのは周知の通りである。

動物と人間のシームレスな関係を描いている「鳥獣戯画」甲巻も、大きくはこのような動物と人間の哲学に関わる思考を示していると考えられる。こうした観点から甲巻を考えることで、「鳥獣戯画」は院政期の日本という限られた時空から抜け出て、広い人文的知の連環へと開かれてゆくことになるはずである。一方で、「鳥獣戯画」は、他でもない院政期の日本という独自の環境において生み出されたことも事実であり、この作品が生み出された歴史的に固有の事情を等閑に付すこともできない。普遍と特殊の間を往還する中で、「鳥獣戯画」という作品の読み取りを煮詰めてゆくことになるであろう。

本書では、甲巻の考察に留まることなく、これまで研究の少なかった乙・丙・丁の各巻についても併せて言及する。甲巻を解釈する際に、連歌の文芸性との類比を行うが、乙・丙・丁巻にも各々連歌的原理による表現構造があることを指摘して、四巻全体が、中世的な文芸である連歌の精神に裏打ちされている可能性を提唱する。

これまで四巻全体を通して読み解く試みはなされていなかったが、連歌的な創作基盤の存在は、「鳥獣戯画」四巻全体を通してテクストを読み解くことによって初めて浮かび上がるものであり、筆者の説の当否はともかく、甲巻だけに思考を限定せず、四巻全体に広く目配りすることも重要な課題であることが新たに認識されよう。

具体的には、第1章から第8章までが甲巻、第9章が乙巻、第10章が丙巻、第11章が丁巻を扱う。第12章では、「鳥獣戯画」が現代のマンガ・アニメの祖であるとされている問題について論じる。これは基本的には、テクスト読解とは別の受容史的な観点からの考察ということになる。昨今の展覧会において、「鳥獣戯画」は、キラーコンテンツのようになっているが、謎が多いにもかかわらず、人々はなぜこれほどまでにこの作品に惹き付けられるのだろうか。それは受容の問題とともに、この作品の内側にある現代性を探ることにもなる。テクスト読解という行為も作品の受容形態の一つだとすれば、マンガ・アニメとの関係を考察することも、大きくはテクストの読み取り方に関わってくることになるであろう。

そして終章での総括を経て、補論において、本論部分に収めきれなかった動物と人間の関係に関する哲学・人類学的背景についてまとめ、本論部分の思想面での参照枠について概観できるようにしたい。

最後にお約束の断り書きになるが、本書では作品名は「鳥獣戯画」で統一する。文化財としての公式の登録名は「紙本墨画鳥獣人物戯画」であるが、人口に膾炙し、通称として通りのよい「鳥獣戯画」で記述を行うことにする。

[書き手]伊藤大輔(横浜市生まれ。名古屋大学大学院人文学研究科教授)
鳥獣戯画を読む / 伊藤 大輔
鳥獣戯画を読む
  • 著者:伊藤 大輔
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2021-02-08
  • ISBN-10:4815810125
  • ISBN-13:978-4815810122
内容紹介:
謎の絵巻とも言われる国宝「鳥獣戯画」。なぜ動物が擬人化されているのか。その流動する画面はどのように連環しているのか――。中世日本の芸能、王権、美意識にもとづく精緻な分析と、動物と人間のシームレスな関係についての考察により、全四巻を読み解く。マンガ・アニメ起源論も検証。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
名古屋大学出版会の書評/解説/選評
ページトップへ