自著解説

『転生するイコン―ルネサンス末期シエナ絵画と政治・宗教抗争―』(名古屋大学出版会)

  • 2021/03/04
転生するイコン―ルネサンス末期シエナ絵画と政治・宗教抗争― / 松原 知生
転生するイコン―ルネサンス末期シエナ絵画と政治・宗教抗争―
  • 著者:松原 知生
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(652ページ)
  • 発売日:2021-01-15
  • ISBN-10:4815810079
  • ISBN-13:978-4815810078
内容紹介:
古今の時間を自在に行き来し、「像」と「アート」の汽水域にたゆたうシエナ派絵画。イタリア戦争と宗教改革にともなう波乱のなか、「聖母の都市」を守護する古きイコン=聖画像はいかに動員され、新たな使命を獲得したのか。繊細なシエナ美術に秘められたダイナミズムを析出し、イメージ論の新地平を切り拓く。
『物数寄考――骨董と葛藤』(平凡社、2014年)などの著作で知られる美術史家・松原知生氏が、今年、『転生するイコン――ルネサンス末期シエナ絵画と政治・宗教抗争』を刊行しました。シエナ派絵画の知られざる魅力の数々を紹介するとともに、従来のイメージを刷新する本作のみどころとは。以下、書き下ろしの自著紹介を公開します。

繊細優美なシエナ派絵画、その裡に秘められたダイナミズムを解き放つ

ポスト/プレ近代における古物との対話

グローバルなアートワールドや建築界の「スター」と目される現代日本の作家たちには、古い作品とその素材感から新たな滋養を得ようとする者が少なくない。ニューヨークで古美術商を営んだ経験をもつ杉本博司は、写真や建築を骨董品と融合したハイブリッドな作品世界を切り拓く。いまやナショナルアーキテクトと目される隈研吾は、とりわけ地方で手がけた初期作品において、地元の古い建築に寄り添うかのように、石や和紙や日干しレンガなど、土地古来の素材を頻繁に用いている。生ぬるく通俗化した温故知新とは区別される、共感と緊張感をはらんだ古物との協働=競合の背後に、モダニズム特有の発展的な歴史観・時間観から距離をとろうとする、ポスト近代の心性がみてとれることは、いうまでもないだろう。

近世初期すなわちプレ近代のイタリア美術においても、類似した現象を認めることができるといえば、意外に響くかもしれない。16世紀、ラファエッロやミケランジェロの登場とともに、ルネサンス芸術の発展が臨界点あるいは飽和点に達したという意識のもと、画家たちは過去の遺産に新たに目を向け、「ラファエッロ以前」の古画や古様との対話を始めたのである。さらに、折しも半島全域に広まりつつあった対抗宗教改革の波が、中世の聖画像がもつアウラやメディウム性の再評価を促した。このたび上梓した拙著は、イタリア中部の小都市国家シエナに照準を定め、ルネサンス末期のシエナ派絵画における「イコンの転生」、すなわち古画の再活用や中世美術への懐古=回顧趣味に光を当てるとともに、その政治的・宗教的背景について論じたものである。

「衰退期」のシエナ派絵画とアナクロニズム

シエナ派絵画といっても、一部の美術愛好家をのぞいてはなじみが薄いかもしれない。町が政治的・経済的な繁栄を謳歌し、シモーネ・マルティーニら名高い画家たちがこぞって腕を振るった中世後期はともかく、長い戦争の末、1555年に共和国滅亡の憂き目を見るルネサンス末期のシエナは、歴史においても美術においても、通常「衰退期」とみなされている。めぼしい画家といえば、幻想的な作風で知られるベッカフーミと、レオナルドやラファエッロの優美な様式を模倣したソドマくらいで、あとは個性に乏しい群小作家ばかり、特に共和国滅亡以後は文化的にも停滞し、見るべきものは何もない、というわけである。しかし、近代主義的な発展史観に基づく、型にはまった評価はいったん棚上げして、あらためて当時の作品群を眺めてみると、画家たちが各人各様に、中世の古画や聖像と親密な対話を交わしているという興味深い現象が目を惹く。

たとえば、革新的な前衛家とみなされることの多いベッカフーミは、中世シエナ絵画の構図や古風な額縁の形状を意図的にとり込み、そのアルカイズムに自身の独創的なマニエリスム表現をぶつけることで、独特の異化効果を生み出している。また、盛期ルネサンス様式を「器用」に駆使するソドマは、祭壇画の中央に開口部を設け、古拙で「不器用」な表現で描かれた中世の聖画像を直接その中に埋め込むという、「絵画タベルナクルム」とよばれる絵画形式をシエナにおいて創始した。新旧の芸術表現を滑らかに融合させるのではなく、あえて両者を対比させるかのような、ある種ちぐはぐなコラージュないしブリコラージュ的手法により、特異なアナクロニズム(時間の錯乱)が達成されたのである。

イコンの動員、あるいは戦場としてのシエナ派絵画

とはいえ、こうしたハイブリッドな様式操作を、単に芸術上の工夫と見なすことはできない。ここでは詳述できないが、ソドマが絵画タベルナクルムを通じて中世のイコンを再利用した背後には、「カモッリーアの戦い」におけるフィレンツェ軍に対する勝利(1526年)、それに伴う神聖ローマ皇帝カール5世と無原罪懐胎の聖母に対する崇拝の高まり、カールのシエナ来訪計画とスペイン兵のシエナ駐留開始(1530年)、スペイン・フィレンツェ連合軍との「シエナ戦争」勃発(1552年)、さらに共和国滅亡(1555年)など、いくつもの政治・宗教抗争が複雑に絡み合っていた。その中で、いにしえの礼拝像がもつ神秘的なアウラや物質的なメディウム性が流用され、政治的な目的のために「動員」されるに至ったのである。

「イコンの転生」と同時代の社会情勢とのこのような緊密な結びつきは、よりマイナーな画家たちの活動にいっそう顕著である。信心深い画家ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォが、古い伝承をもつ中世の軍旗をもとに新たに制作した、無原罪懐胎の白い軍旗は、カモッリーアの戦いに先立つ宗教行列や戦闘のさなかに用いられ、祖国を勝利に導いたとみなされた。シエナ戦争のさなか都市防衛に従事した画家・軍事技師ジョルジョ・ディ・ジョヴァンニが共和国滅亡前後に手がけた、やはり古来の図像を再利用した2作品には、敗戦のトラウマに対する防衛機制が作動しているさまが見てとれる。有事における画家たちの「アンガージュマン」が、古来のイコンやイコノグラフィーの転生と動員を促したのである。

敗戦後のシエナは、他のトスカーナ諸都市と同様、積年の宿敵フィレンツェ公国の支配下に置かれたが、公爵(のち大公)コジモ1世・デ・メディチは、敗者のルサンチマンに配慮してか、あるいは単なる無関心からか、シエナの文化や芸術に介入することには消極的で、同地の芸術家の手になる公爵の肖像もほとんど知られていない。しかし実はシエナには、当時のフィレンツェ画家の手になる作品が複数現存している。これまで無視同然の扱いを受けてきたこれらの作例について、今回初めて体系的に考察することで、フィレンツェの画家たちが、長い歴史をもつシエナの聖母崇拝とその図像伝統を逆用ないしパロディ化し、その政治的意味を「馴致」しようとしていることが明らかとなった。さらに、こうした支配者側の「文化政策」に暗黙裡に対抗するかのように、戦後のシエナ画家たちは、コジモが建設した巨大なメディチ要塞をシエナの都市景観図からシステマティックに検閲・排除することで、聖母マリアの庇護外に追いやろうとしたのである。

このように、シエナ戦争と共和国滅亡前後におけるシエナ派絵画はそれ自体、複数のイデオロギーや記憶が交錯し衝突する「戦場」と化したのであり、その舞台で展開される「イコンの転生」のダイナミズムは、優美にして繊細という従来のシエナ派絵画のスタティックなイメージを刷新するに足るものであるだろう。

図版の語りと装丁の演出

本書では、様式分析や図像解釈、史料読解や隣接諸学の成果など、さまざまな方法や概念装置を併用したが、論を進める上で特に気を配ったのは、複数の図版の配置である。とりわけ作者帰属(アトリビューション)や図像モチーフの特定にあたっては、プレヴィターリやベッロージなど、かつてシエナ大学で美術史を講じた往年のロンギアンたちのひそみに倣い、部分図をできるだけ説得的に併置することで、図版そのものに「語らせる」ことを試みた。

造本に関しては、間村俊一氏による卓越した装丁についても、最後に触れておきたい。ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォの手になる無原罪懐胎の聖母が、タイトルと著者名の記された矩形のラベルを一枚の銘板のように読者に示すさまは、本書の特権的な考察対象である絵画タベルナクルムによる中世の板絵の「呈示=現前化」を思わせる。ここではマリアの白いマントが、防御幕としてシエナの町を庇護するだけでなく、本書を保護するカバーとしての役割をも担ってくれている。マントをうち広げるあどけない天使たちの陰部が、ちょうど帯で隠れるように配置されているのも、心憎い(?)演出である。

色鮮やかなカバーをめくると、表紙には、同じ作品が今度は二色分解で印刷されている。そのノスタルジックなセピア調は、自由を喪失したシエナ市民が抱いたであろう過去への郷愁とも響き合う。さらに表紙を開くと、上下を白と黒で塗り分けた扉が姿を表す。シエナの伝統的な紋章である「バルザーナ」より想を得たこのモノクロームの扉は、カバーの多彩色とコントラストをなすとともに、シエナ共和国の歴史的命運、その光と影を暗示する。本書を直に手にとって、テクストの内容と協和する、パラテクスト=造本の巧みな演出と豊かなプレゼンスにも触れていただければ幸いである。

[書き手]松原知生(西南学院大学国際文化学部教授・西洋美術史)
転生するイコン―ルネサンス末期シエナ絵画と政治・宗教抗争― / 松原 知生
転生するイコン―ルネサンス末期シエナ絵画と政治・宗教抗争―
  • 著者:松原 知生
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(652ページ)
  • 発売日:2021-01-15
  • ISBN-10:4815810079
  • ISBN-13:978-4815810078
内容紹介:
古今の時間を自在に行き来し、「像」と「アート」の汽水域にたゆたうシエナ派絵画。イタリア戦争と宗教改革にともなう波乱のなか、「聖母の都市」を守護する古きイコン=聖画像はいかに動員され、新たな使命を獲得したのか。繊細なシエナ美術に秘められたダイナミズムを析出し、イメージ論の新地平を切り拓く。

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ALL REVIEWS 2021年3月4日

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