着て食べて…個人の営みが主役
「暮しを軽蔑する人間は、そのことだけで、軽蔑に値するのである」。今こうして、できる限り家にいなければならない生活に、花森安治の言葉が改めて染み込む。「おそらく、一つの内閣を変えるよりも、一つの家のみそ汁の作り方を変えることの方が、ずっとむつかしいにちがいない」とある。雑誌「暮しの手帖」初代編集長が残した言葉をまとめた三冊の選集に共通するのは、個人の営みから社会を見渡す目線、そして、権力者が個人の営みを奪おうとするのを、もう二度と許さない決意だ。
一九四一年、花森は大政翼賛会の宣伝部に入り、「戦意高揚」「生産増強」を目的とする宣伝物を作った。後に「当時は何も知らなかった、だまされた。しかしそんなことで免罪されるとは思わない」「過去の罪はせめて執行猶予にしてもらっている」と語った。
生活に美しさを宿す方法を探し続けたのも、広告を入れない雑誌作りで批評を存分に注いだのも、戦後を生きる人々の声を丁寧に拾い上げたのも、「執行猶予」という自戒があったからなのだろう。
時系列ではなく、「美しく着ることは、美しく暮すこと」「ある日本人の暮し」「ぼくらは二度とだまされない」と題した三つのカテゴリーに分けて編まれており、この整理によって、花森の思いが再びの強度を宿して放たれている。
美しさとは、手つかずの状態に宿るのではなく、働く人からこそ生まれなければならない。日本中を歩き回り、「いわば名もない人たちの、ありのままの暮し」を記録し続けた。暮しを切り取った写真に添えられた丁寧な説明文もいい。夫を亡くしたある女性の家では、夕ご飯を済ませた後、机が二つしかない一間で四人の子どもが勉強していた。本屋さんがないその村では、「ほしいときには、バスの車掌にたのんで買ってきてもらう」。生活の断片こそが、いつも主役だった。
人がいて、国がある。この順番を、ひっくり返してはいけない。国に翻弄(ほんろう)されたからこそ、国を疑い続けた。「しかし、いまの日本のように、べつになんにもしてくれないで、いきなり、みずから〈くに〉を守る気概を持て、などといわれたって、はい、そうですか、というわけにはゆかないのである」。一九六九年に書かれた原稿を、今、この二〇二一年にそのまま〈くに〉に差し出したくもなる。
今日も明日も、いつものように暮すというのは、そう単純なものではない。起きて、着て、食べて、歩いて、話して、聞いて、学んで、寝る。それぞれの積み重ねが、その家の、地域の、暮しとなる。個人の暮しより大切なものなんてない。「二度とだまされない」と誓った言葉が優しく強く響く。