書評

『アメリカの鳥』(河出書房新社)

  • 2022/05/07
アメリカの鳥 / メアリー・マッカーシー
アメリカの鳥
  • 著者:メアリー・マッカーシー
  • 翻訳:中野 恵津子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(449ページ)
  • 発売日:2009-08-11
  • ISBN-10:4309709567
  • ISBN-13:978-4309709567
内容紹介:
アメリカ人青年ピーターは、鳥や植物を愛す、ちょっと内気な19歳。パリ留学を前に母とふたり、ニューイングランドの小さな町を訪れる。4年前、母と暮らしたその地は、アメリカのよき伝統が残る… もっと読む
アメリカ人青年ピーターは、鳥や植物を愛す、ちょっと内気な19歳。パリ留学を前に母とふたり、ニューイングランドの小さな町を訪れる。4年前、母と暮らしたその地は、アメリカのよき伝統が残る、緑あふれる土地だった。しかし4年の間に自然は失われ、町はすっかり観光地化していた。母は怒り狂い、よきアメリカを取り戻すべくひとり闘う。そんな母と、アナキストだった父に育てられたピーターは、敬愛するカントの哲学に従い、「人を手段として利用してはならない」を行動原理として異国に旅立ってゆく。時代は北爆開始にはじまるベトナム戦争の拡大期。パリやローマで、ピーターは自身の反米主義に思い悩み、またイタリア系ユダヤ人を父にもつ自分のユダヤ性に常にこだわりながら、母国とヨーロッパの狭間で精神の成長を遂げてゆく。ベストセラー『グループ』をしのぐ名著、待望の新訳決定版。

事象のかけらをちりばめた輝かしい物語

これは、教養というものがごくあたり前に必要で大切だった、時と場所と人々について書かれた、おもしろい、あかるい、小説である。全編に日ざしが降り注いでいるような、祝福された小説でもあると思う。

一九六四年に十九歳の、一人の若者が主人公だ。物語はそのすこし前、彼がまだ「母親に恋している少年」だったころから始まるのだが、十九歳、という年齢がこの小説に、絶妙なフラジャイルさを与えていると思う。本人の自覚としては十全に大人である、でも子供のたっぷり残る年齢。彼の母親――「麗しきロザモンド」と息子に呼ばれたりする――がまた魅力的で、彼女が、ロッキー・ポートというアメリカの田舎町で、失われつつある古き良きもの――生活の様式、手をかけた料理、人々の意識――のために挑む戦いはきわめて印象的なのだが、それはそれとして、息子の名はピーター・リーヴァイという。

ピーターの人物造形のすばらしさが、この小説の美しい原動力である。この男の子、ともかくいいのだ。誠実であろうとするあまり、ほとんどありとあらゆることに逡巡(しゅんじゅん)する。そこから、ホテルのトイレや、浮浪者たちとの距離のとり方といった慎(つつ)ましくデリケートなエピソードが次々に生れる。「ピーター・リーヴァイの掟(おきて)」という個人的なルールを持っていたりもする。それは、「自分がやったと知られたくないことはやるな」で、この、いかにも若者らしい黄金律に、私は胸打たれた。ピーターというのはとても男の子らしい男の子であり、たとえおなじ性質を備えていても、女の子にはない生硬さとでもいうべきものが、彼にはある。本のなかに引用されているギリシャの哲学者の言葉、「性格とはその人の運命である」が、そのままこの小説の醍醐味(だいごみ)なのだ。

ロッキー・ポートでの彼と母の日々から始まる物語は、十九歳になった彼がフランスに留学し、さらにイタリアに旅行し、またフランスに戻り、という風に進むので、旅行記というか滞在記の趣も帯びている。ここには起承転結でくくれる類(たぐい)のストーリーはないのだが、だからこそ、小さなエピソードの集積が、びっくりするほど輝かしい物語となっているのだ。

ピーターの移動に伴って、一九六〇年代のアメリカ、フランス、イタリアが描かれるわけだけれど、それぞれの国のみずみずしさ、風味、個性が緻密(ちみつ)に織り込まれていて、それを読むだけでも心愉(たの)しい。また、ここにはたくさんの議論がでてくる。ベトナム戦争やアメリカ大統領選といった時事問題、美術、自然、人間、文学、歴史をめぐる考察、観光客についてのキッチュで率直な議論、などなど。登場人物たちは、みんな実によく物を考え、喋(しゃべ)り、意見を交換するのだ。英語、フランス語、イタリア語、ここには、人々の話す言葉も詰まっている(言葉は人格なのだ)。

主人公が海外で出会う友人、知人、列車で乗り合わせただけの人々や、大学の担当教授と交す会話、そこから見えてくる「人間」というもの。その滑稽(こっけい)さ、奇矯(ききょう)さ、偏屈さ、味わい深さをあぶりだすとき、マッカーシーの腕は冷徹なほどに冴(さ)える。そして、それらすべてのなかに、象徴的にくり返しでてくる「鳥」。

高く、低く、ひらひらと飛ぶ小さなちょうちょみたいな身軽さで、メアリー・マッカーシーは物語をあちこちにいわば脱線させながら、一つの時代、一つの場所の事象のかけらをちりばめて、大部の小説を書き上げてしまった。
アメリカの鳥 / メアリー・マッカーシー
アメリカの鳥
  • 著者:メアリー・マッカーシー
  • 翻訳:中野 恵津子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(449ページ)
  • 発売日:2009-08-11
  • ISBN-10:4309709567
  • ISBN-13:978-4309709567
内容紹介:
アメリカ人青年ピーターは、鳥や植物を愛す、ちょっと内気な19歳。パリ留学を前に母とふたり、ニューイングランドの小さな町を訪れる。4年前、母と暮らしたその地は、アメリカのよき伝統が残る… もっと読む
アメリカ人青年ピーターは、鳥や植物を愛す、ちょっと内気な19歳。パリ留学を前に母とふたり、ニューイングランドの小さな町を訪れる。4年前、母と暮らしたその地は、アメリカのよき伝統が残る、緑あふれる土地だった。しかし4年の間に自然は失われ、町はすっかり観光地化していた。母は怒り狂い、よきアメリカを取り戻すべくひとり闘う。そんな母と、アナキストだった父に育てられたピーターは、敬愛するカントの哲学に従い、「人を手段として利用してはならない」を行動原理として異国に旅立ってゆく。時代は北爆開始にはじまるベトナム戦争の拡大期。パリやローマで、ピーターは自身の反米主義に思い悩み、またイタリア系ユダヤ人を父にもつ自分のユダヤ性に常にこだわりながら、母国とヨーロッパの狭間で精神の成長を遂げてゆく。ベストセラー『グループ』をしのぐ名著、待望の新訳決定版。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2009年8月30日

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