解説

『文庫 天皇と接吻: アメリカ占領下の日本映画検閲』(草思社)

  • 2021/07/20
文庫 天皇と接吻: アメリカ占領下の日本映画検閲 / 平野 共余子
文庫 天皇と接吻: アメリカ占領下の日本映画検閲
  • 著者:平野 共余子
  • 出版社:草思社
  • 装丁:文庫(560ページ)
  • 発売日:2021-06-03
  • ISBN-10:4794225210
  • ISBN-13:978-4794225214
内容紹介:
「天皇」の扱いや「接吻」場面の奨励など、占領軍の検閲で日本映画の何が変わったのか。原資料と関係者取材で検証した画期的な労作。
「天皇」と「接吻」という、意表を突く組み合わせのように見える2つの事柄。これらは日本映画が占領軍によって検閲されていた際の、非常に象徴的な2つの対象でした。繊細な問題をはらむ天皇の描写と、アメリカ側が民主主義の象徴として推奨したキスシーン。戦後の日本映画の検閲の実態を明らかにし、日本映画史の一側面を浮き彫りにした本書ですが、今回はその文庫化にあたり、フィルムアーキビストのとちぎあきら氏に寄稿いただいた解説を抜粋して紹介いたします。

占領する側とされる側の視点

黒澤明監督の『わが青春に悔なし』『羅生門』、小津安二郎監督の『晩春』、溝口健二監督の『歌麿をめぐる五人の女』『夜の女たち』、木下惠介監督の『大曽根家の朝』、五所平之助監督の『今ひとたびの』、清水宏監督の『蜂の巣の子供たち』…いずれも日本映画史を彩る作だが、これらがすべて、敗戦からサンフランシスコ講和条約が発効する前日1952年4月27日まで6年8か月余り続いた占領下に生まれた作品であることを、私たちはしばしば忘れがちだ。ましてや、どの作品も、多かれ少なかれ、占領政策に伴って実施された占領軍による検閲の影響を受けていたという事実に、考えが及ぶことはめったにない。それもそのはず、占領下における検閲は、当事者以外にはほとんど知らされてこなかったのである。本書『天皇と接吻』は、アメリカの国立公文書館や日本の国立国会図書館などに残された大量の公文書や検閲記録を渉猟し、日米両国の当事者たちへのインタビューを通して、その隠蔽されてきた映画検閲の実態を詳らかにした平野共余子さんによる労作である。

1998年に出版された本書は、平野さんが87年にニューヨーク大学に提出した博士論文(英文)が基になっており、その後92年に、アメリカ・ワシントンのスミソニアン研究所出版から出たMr. Smith goes to Tokyo: the Japanese cinema under the American occupation, 1945-1952(これももちろん英文)を、筆者自らが日本語版のために翻訳したものである。当初は「いままで書かれることのなかった日本映画史の一時代を埋めることを目的としたほか、日本語の原典に当たることをなおざりにしてきた英語による日本映画の研究に一石を投じる」のが目的で、「日本語版を出す意義を筆者のなかで強く感じることができなかった」とのことだが、いざ翻訳を始めると、焦点を変えることが必要になったという。この点は本書を読み進めるうえで、常に気に留めておいた方がよい。つまり、主に日本語を母語とする読者に向けて書かれた本書であるが、そこには原文である英語によって理解する読者を意識した視点が残されているということだ。その結果として、私たちは占領する側と占領される側という、絶対的な力関係に置かれた双方の立場を、常に往き来しながら、映画検閲という事象を見ていくことになる。複眼の視点を持つことによって、占領期という歴史上の特異な時期にしか起こり得なかったかもしれない、政治権力と日本映画界との息詰まるインタラクションがもたらす一種のダイナミズムが、本書で紹介するいくつもの具体例を通して、強く印象づけられるのである。「長くつづいた戦争体制に伴う抑圧的体制から解放されたのもつかの間、すぐに別の種類の抑圧体制のもとに入ったことを悟った」当事者たちからすれば、勝手な物言いと聞こえるだろうが、いまの私たちには嫉妬さえ覚えるような時代の熱気が、そこから伝わってくる。

二重検閲体制

本書はまず、戦前・戦中の日本における映画検閲の歴史から筆を起こし、敗戦直後から占領行政を担った連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が日本政府に対し、映画政策に関わる指令を続けざまに発令するなかで、映画への検閲体制をどのように設計・運用していったのか、事実を積み重ねながら追いかけていく。その体制とは、二重検閲である。総司令部は、先乗り部隊が日本に上陸してすぐに情報頒布部を設置、これが45年9月22日に民間情報教育局(CIE)に改組されるが、民主的思想の教化による日本人の再教育を担ったCIEは、同日日本映画界に対する初の指令を出す。日本から軍国主義を撤廃し、基本的自由を推進するとともに、世界の平和や安全への脅威にならないことを保証する条件を打ち立てることを基本目標とし、その達成に寄与する映画の製作を促すべく、10項目の方針を掲げたのである。その後、CIEは占領期を通して、映画政策の顔として、多くの日本の映画人にとって占領軍権力と直接つながる唯一の窓口となるが、初の指令発出後の10月初旬から「民間検閲」を開始している。一方、総司令部における検閲・諜報活動の中核を担っていたのは参謀第二部。民間に対しては民間諜報局(CIS)が所掌し、その下に置かれた民間検閲支隊(CCD)のプレス・映画・放送課が「軍事検閲」に当たった。CCDは秘密機関だった。46年1月28日に総司令部から日本政府へ発出された「映画検閲に関する覚書」には、CIEによる企画書と脚本の事前検閲から、完成後の検閲、続くCCDによる検閲を経て、認証番号(検閲検査番号)が付与される、という二重検閲の流れが示されているが、ここには提出先としてCIEは記されているものの、CCDの存在は完全に隠されている。

検閲の対象となった映画は、長篇・短篇、劇・文化・記録・ニュース・アニメーション、無声・発声、35㎜・16㎜の別を問わない、公開を目的としたすべての作品である。認証番号が付与されないと、公開できない。再上映される旧作映画も、検閲の対象となった。一方で、総司令部は45年11月16日に「反民主主義映画の除去に関する覚書」において、「国家主義的、軍国主義的、または封建主義的思想の宣伝に利用された」戦前の日本映画のうち、236作品について、販売、交換、上映を行わないように直ちに処置を講ずるよう、すでに指令を出していた。占領下の日本の映画産業は、敗戦後4年で映画館数を戦前の数字にまで戻すほど、興行面では急速な復興が見られたが、製作面においては、生フィルムの生産や映画資材の調達が不安定だったことに加え、高額な映画館入場税やフィルム物品税、幹部の公職追放、過度経済力集中排除法や独占禁止法の適用、そして激しい労働争議が頻発したことにより、回復した需要に応えるだけの生産体制を再建するのは難事だった。そのうえ、多くの旧作が禁止映画となり、そうでなくとも、検閲で禁止されれば公開できないため、自社のライブラリーを自由に活用できなかったのである。

禁止された映画たち

果たして、禁止された戦前の日本映画はどうなったのか。ここで話を少し脱線させていただく。私が3年前まで勤務していた東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)には、フィルムライブラリーと称していた1967年に米議会図書館との間で締結した協約書に基づく戦前日本映画の返還事業によって、故国に戻ってきた約1400作品のフィルムが収蔵されている。70年にライブラリーは「フィルムセンター」の名の下、美術館の一つの課に昇格したが、アメリカからの日本映画の返還は、国家事業としての映画保存が本格的に始動するきっかけとなった。しかし、これらの映画が辿ってきた経緯は単純ではなかった。前記の禁止作品のフィルムは、内務省、文部省の管理を経て、占領終結後に各社に返還されたが、その時点ですでに失われていたものもある一方、議会図書館から日本に戻ってきたフィルムのリストに入っていた作品もある。他方、フィルムセンターが収集した約1400本のうち、80%以上は文化・記録映画やニュース映画が占めているが、これは前記の「映画検閲に関する覚書」が発出されたのち、1か月以内に認証番号がない作品のリストや上映用フィルムをCCDに提出することが求められており、その結果として、さまざまなジャンルのフィルムが軍関係者を通じて、アメリカ本土まで渡ったためではないかと推測されている。しかも、後年明らかになったのは、議会図書館に集められた日本映画には、占領下の日本で上映禁止となった作品だけでなく、太平洋戦争下の日系人社会から敵国財産として没収されたものも、多く混ざっていたという事実である。溝口健二監督の『残菊物語』、マキノ正博監督の『鴛鴦歌合戦』、そして膨大な数のドキュメンタリーやニュース…日本映画史の鳥瞰図に欠くことのできない多くの映画の生存は、前世紀の数十年に及ぶ日米関係に大きく左右されてきたわけである。

本書に戻ろう。アメリカ式民主主義の教化という教育的な目的と国家主義、封建主義の排除、そして、占領政策への批判の封じ込めといった大原則はあるものの、二重検閲という複雑な仕組みには、それぞれに担当する部署の思惑や担当官の政治志向などが異なるなかで、齟齬や対立も多かった。そのため、個々の検閲は、多分に担当官の恣意的な解釈や判断に左右された。本書はこうした実態を、多くの事例を通して詳らかにしていく。なかでも、特筆すべき例は、禁止された題材との関係で検閲の経緯を克明に追いかけた二作品の顚末――7回もの書き直しを命じられた挙句、現在のような上等兵と慰問団の女歌手との恋という脚本になった谷口千吉監督の『暁の脱走』、アジアへの侵略戦争の要因が日本資本主義にあることを喝破し、昭和天皇の戦争責任を明らかにしたことにより、一度は公開が許可されたものの、のちに再検閲によって上映禁止の処分が下された亀井文夫、吉見泰編集による記録映画『日本の悲劇』。そして、個人の自由や女性解放という文脈から、奨励された題材として取り上げられた接吻映画の隆盛である。本書が「天皇と接吻」と題された所以が、豊富な資料に裏付けられた事例研究によって明らかにされる。

黒澤の『わが青春に悔なし』から見えるもの

しかし、私には、占領軍による映画検閲と日本映画との関係を批判的に捉えた平野さんの視点がもっとも明快に語られているのは、二章を割いて取り上げられた黒澤明監督による『わが青春に悔なし』の分析にあると思う。京都大学法学部教授が思想を理由に辞職へと追い込まれた滝川事件と、スパイ活動への関与を疑われた評論家・尾崎秀実が死刑に処されたゾルゲ事件――戦前におけるこの二つの思想弾圧事件を題材に、困難な時代を生き抜く女性像を提示した作品として、『わが青春に悔なし』は戦後民主主義を代表する一本との評価を得ている。46年10月29 日の封切当初から大きな反響を呼び、黒澤作品ということもあって、海外でも戦後日本映画の代表格として語られることが多い。筆者はまず、本作の背景に横たわるさまざまな要素から、本作が「CIEから奨励されたものか、あるいはCIEの意向に沿おうとした撮影所側から出されたものと推測できなくもない﹂との見方を示す。そして、冒頭の解説字幕に当初含まれていた、滝川事件当時の文部大臣・鳩山一郎に触れた文言が削除された件に及び、製作当時の政治状況に対する会社側の配慮があったのではないか、と見る。一方、画面分析から、黒澤監督が得意とする対位法的な表現により、手、花、雨、そしてヒロインの服装が物語を動かす重要なイコンとして機能していることに触れ、フレーミングの異なるショットを大胆な編集で見せていく技巧の妙を評価する。このあたりは、映画学者としての平野さんの面目躍如といった筆の運びである。

章が変わると、平野さんの筆先は作品の思想性へと向かう。原節子演じるヒロイン・幸枝の性格づけと変化に対する評論家たちの賛否両論を紹介したのち、大島渚監督による戦後日本映画総体の主体性欠如に対する激烈な批判を媒介に、幸枝についても、滝川や尾崎をモデルにした八木原教授や野毛についても、その思想を充分に掘り下げないまま、あとに残るのは綿々と描かれる「自己犠牲」の印象ばかりであることを、筆者は鋭く指摘している。その点においては、民主主義を標榜した戦後の日本映画も、国家主義を扇動してきた戦前の日本映画も、根は同じなのである。共感や同調を権力への迎合の隠れ蓑に、自己保身してきた日本映画の姿があらわになる。「思想的にはむしろ真空状態であった『わが青春に悔なし』をはじめとする民主主義啓蒙映画、そして戦時中の戦意高揚映画の数々は、時の権力との安易な協力を意識的に避けた日本の映画作家の戦略であったのかもしれない。」この指摘は重い。

それでも私は、「思想的真空状態」とはいえ、いかなるシチュエーションにおいても、自己を欺瞞することによってしかそこに関与できないことへの憤りが、ほぼ全篇を通して噴出しているように見える幸枝の表情に、目を奪われる。野毛との恋愛がどのような展開を見せようとも、それでは決して解決できないかのように、常に行き場のない違和感にもがいている幸枝の表情に、当時の観客も思い入るところがあったのではないか――仮にそれが女性解放へのバネにならなかったとしても。占領下の日本映画の可能性を、あえてそこに見たいと思う。そして、作品内容と作家の置かれた状況を安易に混同させてはいけないが、当時は映画を作る者までが、ヒロインと同じような自己欺瞞を背負わなくては生き延びれない時代だったのだとすれば、今の日本映画が置かれている状況は、もはやそんな時代ではないことを心から信じたい。

[書き手]とちぎあきら
フィルムアーキヴィスト。『月刊イメージフォーラム』編集長などの職を経て、2003年よから2018年まで、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)研究員。現在はIMAGICA Lab.によるアーカイヴ事業などにアーキビストとして携わる。
文庫 天皇と接吻: アメリカ占領下の日本映画検閲 / 平野 共余子
文庫 天皇と接吻: アメリカ占領下の日本映画検閲
  • 著者:平野 共余子
  • 出版社:草思社
  • 装丁:文庫(560ページ)
  • 発売日:2021-06-03
  • ISBN-10:4794225210
  • ISBN-13:978-4794225214
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「天皇」の扱いや「接吻」場面の奨励など、占領軍の検閲で日本映画の何が変わったのか。原資料と関係者取材で検証した画期的な労作。

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